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黙ってたって過ぎてゆく - 2020.11.2

僕は人生で「スーラータンメンを刀削麺で」と「トマトとニンニクのスパゲティをダブルで」と言っているあの瞬間が一番嬉しい。嬉しくって抱き合ってしまう。揚州商人とカプリチョーザにおいて、この二品が不動のセンター過ぎて、最早メニューを見る必要すらない。これ以外のメニューを頼んだことが無いものだから、これ以外の品を頼む人を見るとその冒険心にちょっと憧れてしまう。それかもしや彼らはこの味を知らないのではあるまいか。であるならば、僕のを一口お食べなさい。どうです、美味しいでしょう。改心なさい。お礼は要りませんよ。敬虔なカプリチョンとして当たり前のことですから。

断食をするといつも、抑圧された食欲が暴れ回って少し先の食事の予定を入れてしまう。そんな時、飢えた僕の頭にあるのはいつだってカプリチョーザだ。前回の断食時には節約の一環として、予定を立てる度にどれくらいお金を使うかをスケジュールに書き込むようにしていたのだけれども、その時僕のスケジュールに刻まれた「カプチョ 7000円」という予定には僕の覚悟が透けて見えるというものだ。前回にしても今回にしても、そもそもカプチョに行く予定を立てている時点でちょっと気持ちが強すぎるよな。

幼少期の御馳走といえばカプチョだった。家族で外出をした折、何が食べたいかと訊かれる度に迷うことなくカプチョと答えていた僕は、お金のかからない良き息子であっただろう。「あんたカプチョ好きねぇ」という母の表情は流石に覚えていないが、カプチョに行きたくない人間なんていないのだし、きっと母も満更でもなかったはずである。母とよく行っていたカプリチョーザ南大沢店は今はもう無い。カプチョとサブウェイとドムドムバーガーとカフェじゃないサンマルク。お前らは死ぬな。

先日自宅でトマトソースを作った時にいつもと少しだけレシピを変えてみた。するとどうしたことか、例のパスタと味がかなり近しくなったではないか。その時、驚きと共に僕の脳裏をよぎったのは、バベルの塔の逸話である。神に近付き過ぎた人間は罰を受ける。蝋で作った翼は焼かれ、イカロスは地上に叩き落とされる。あのパスタは僕なんぞに再現できて良い料理ではない。怖くなって、それ以来トマトソースを作っていない。

あなたのおかげで生活苦から抜け出せそうです