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デモに行ってみたい話

恥ずかしながら、デモに参加したことがありません。私は思想的には民主主義を支持する社会自由主義者です。人文社会系の学問を修め、社会問題には関心が高い方だと思います。しかし、デモには行ったことがない。

日々世の中の理不尽や不正義に怒りを覚え、不安になったり言葉にしたり回ってくる署名活動に賛同したりしているものの、アクティブな抗議活動に参加したことがないのです。学生時代に一時期住んでいたドイツでは毎週のように学生たちがその時々のイシューを掲げてデモをしていたし、東京に住んでいたときはいくつもデモを見かけたことがあるので、まるっきり馴染みのない活動でもありません。今住んでいる広島でも時折街中で小規模なデモを目にすることがあります。

デモをはじめとする抗議活動をバカにする人も多いですが、私はむしろ尊敬の念を抱いています。デモは市民が存在する問題を集団で可視化し、その問題に対する世間の認知度を高めるとともに権力に問題解決に向けたプレッシャーをかける極めて平和的かつ建設的なアクションです。それに参加するということは、権力監視という民主主義社会における市民の義務を怠らず、より良い社会に向けて他者と協力して行動を起こすということです。参加したことがない私が言うのもなんですが、誰もが気軽にデモに参加できるのが成熟した社会です。

例えば、ガザで現在起こっている大虐殺のニュースを見る度、国内の深刻な政治腐敗について見聞きする度、弱い立場の人々が苦境に立たされているのを知る度、私は絶望感を覚えます。この絶望感が良くないのだと思うのです。絶望感は自分が無力だと感じているから生まれます。つまり、この社会を「変えられる」と思えていないことの裏返しでもあります。それに対して、デモは自分の、あるいは自分たちには物事を変える力があるという信念に基づく行為です。

これまで私がデモに関心を示しつつ一度も参加したことがない理由の一つは、社会との接点の少なさです。一人暮らしで鬱々しがちで在宅で働いている私は、日常生活のレベルでさえ孤立しがちで、デモというある意味社会的に高度な集団的活動とは隔絶されてきました。でも、家で一人で社会問題に絶望しているのではなく、同じ問題意識を持つ人々とともに主体的に抗議の主張をすれば、それ自体が社会との接点になるとも言えます。

また、誰がいつどこで行なっているのかという情報が分かりづらいこともデモ参加へのハードルをあげています。東京などでは頻繁に大規模なデモがあり、大勢に紛れて一人でも参加しやすいとは思いますが、広島ではまずどこから始めていいのか分からないし、行って何をしたらいいのかも分からない。しかし、そんなのは全部言い訳でしかありません。結局、私は行動する勇気のない怠惰な人間なのです。

実は今日、Twitterのスペースでデモに参加したことがある人々の話を聞きました。その人達は、デモに参加する人々の一部が無自覚に不適切な形の抗議を行なってしまっていることを指摘していました。例えば、抗議をする対象に対して「頭がおかしい」といった精神疾患差別にあたる言葉を使ったり、批判ではなく罵倒をしてしまったりといった場合があるそうです。一緒に抗議活動をしている人がそういう感じだったら、私はイヤになってしまうでしょう。一方で、近年では抗議活動の場は徐々によりインクルーシブなものになっているとも聞きました。問題意識を同じくする立場の違う人々が連帯するというのは難しいけれど、ある意味で人間のあり方の理想だとも考えます。

私は、ガザで起こっているジェノサイドを止めたくてデモに行くような人と仲良くなりたいです。この社会が繋がっていることを理解し、他者の苦しみを見過ごせず、行動を起こす人は知性と勇気を備えていると思うからです。そういう人に出会うためにも、一度デモに参加してみたい。

今後、行ける範囲で自分のイシューに関するデモが行われることがあれば、ぜひ参加してみるつもりです。一人でできるスタンディングはしないのかとか、積極的に機会を求めないのかと聞かれると少々情けないですが、まだそこまでの熱量を持てません。とりあえず、デモという行為を身をもって体験するのが、今のところの目標です。

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