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いつも暗いこと言う

先週までかなりきつめの鬱に見舞われており、今週は一転やや調子が良くなったのでこうして勉強したり文章を書いたりと多少の活動をしています。本業の翻訳の方はちょうど今幸か不幸か依頼が途絶えているので、毎日のんびりしながら引越しの準備などに取り組めるわけです。

私はTwitterで結構暗い内容の話をtweetします。鬱がきつい時なんかは布団の中でできるのはスマホをいじることくらいなので、誰も聞きたくないような重い本音や後ろ向きなことを延々と呟いたりします。匿名アカウントということもあり、基本的にTwitterでは他人にどう受け取られるかを気にせず発言しているのですが、周囲には暗い人だなぁと思われていると思います。

今現在私の心を占めている暗い考えは大体癌と鬱をベースとした希死念慮やまだ直面していない将来的な事態に対しての不安です。若年性癌と双極性障害に罹患しており生活の基盤がグラグラしているというのは客観的に見ても結構不幸なので、多少不安を口にすることくらいは許されるでしょう。

最近、難治性と思われる重症鬱病の患者さんのアカウントをフォローしました。もともと文筆業の方なので、重い鬱状態にあってもご自身の状況や心理を実に明晰に綴っていらっしゃいます。私はその内容に共感することもあれば、鬱病的思考特有の視野の狭さが反映された筆致に、自分の状況を省みることを促されたりします。私もそのくらいしんどい時期があったことを思い出したり、その方が快方に向かうことを確信しつつ応援する中で(というのも、鬱はどんなに苦しくてもほとんどの場合は回復するからです)、その方のつらい状況を読むと、一抹の説明し難い安堵感を覚えるのです。これは、自分の状況はこの人よりマシだとかそんな陰険な気持ちではなく、私は(私たちは)一人ではないという喜びなのだと思います。

一般に、苦痛や不安、悲しみなど、ネガティブな感情は隠すものとされています。健康な人、順風満帆な状況にある人はネガティブな話が自分の領域に入るのを嫌います。でも、苦しい思いをしている人は、苦痛や不安に耐えているのが自分だけではないと知るだけで救われることもあるのではないでしょうか。そして、現代においてSNSはその点で大きな役割を担っています。

私の暗いtweetが誰かを救っていると言いたいのではありません。共感を得る場合もあるかもしれませんが、むしろ、それらを読んで心を痛めたり、逆にうんざりしている人も多いでしょう。私が言いたいのは、赤裸々な、正直な、みっともない言葉にも居場所があってほしいということです。あらゆる人間の経験は、例え少数であっても他者によって共有されているからです。抽象レベルで見れば、人類史上自分だけしか経験してないことなんて存在しません。

私は孤独です。孤独もまた現代には蔓延している経験のひとつです。苦痛や不安は表現することで和らぎます。日々を共にする人がいれば、私の暗い思考はその人との会話で回収され、インターネットまで届かなかったかもしれません。私が孤独の中で苦痛や不安と向き合うには、それを言語化し、自分以外の誰かに共有することが必要です。Twitterというアウトレットがあることで、また、Twitterで読む他者の経験によって、私は救われています。

今日もまとまんなくなっちゃった。今日は何も考えずに書き始めましたが、暗いことを言いがちで自己嫌悪に陥る自分を慰めたかったのかもしれません。読んでくださってありがとうございます。


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