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水の気配

静かな夜の住宅街。
前を通り過ぎた家から、水の音がする。

きっとこのあたりにお風呂があって、誰かがシャワーを浴びている。
閉じていればただの箱のように見えるそれが、ひとつの家族を覆う「家」なのだということを思い出させる。
あの家も、その家も。

以前住んでいたアパートは1階にあったので、2階に住む人が洗い物をしたりシャワーを浴びていると、壁を伝って水の音がした。
はじめはこの水はどこを流れているんだろうという不思議さで落ち着かなかったけれど、そのうちに、こうして違う部屋の気配を感じられるのもアパートの良さだと感じるようになった。

閑静な住宅街、というと不動産屋さんからすればいい条件なのかもしれない。でも、必ずしもそういうものでもないと思う。
家で勉強すると集中できないという人がいるのと同じで、少しくらい外を感じられる方が安心することもある。

初めての一人暮らしで住んだマンションは7階にあって、ベランダからはスカイツリーが見えるいいところだった。
目の前には国道が走っていて、車の音が絶えない。
それまで実家でいつも誰かしらがいる暮らしに慣れていた私にとって、外の気配のない閉じた箱で暮らすのは窮屈に感じてしまったので、ちょうどよかった。

車の音が、水の音が、そこに生きている誰かを伝えてくれる。
姿は見えなくても、音で、十分見える。

帰り道の地面に続くマンホールの下からも、勢いのある水の流れが音になってやってくる。
まるで行く道を追いかけてくるみたいに、ひとつめで聞こえてきたものが、ふたつめ、みっつめ、音は続いていく。
それぞれの生活の証がこうして集まって流れていくんだと、マンホールの上を踏みながら、少しほっとする。



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