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「せっかくだから」は魔法の言葉

日常の中で自分の限界を勝手に設定し
これ以上は無理だと諦めていることは多い
年齢を重ねるごとにこの傾向は強くなっていくように思う

梅雨の始まりが遅れた今年の6月
特産品の高級魚を食し城址観光を楽しむ日帰りバスツアーの添乗をした
こじんまりとした町で
最初に町の神社へ参拝し、旅の安全を祈願したあとは
徒歩で移動する行程となっていた
神社のあとは、お待ちかねの食事
神社から食事処までは徒歩7分程度と資料を提供されていた

ここで一抹の不安がよぎる
こういう行程(徒歩移動)の時に限って足に不安のある方が多い
現に杖をついて歩行している人が数名いるし
日帰りバスツアーの参加者は高齢な方が多い
それに加え、6月だというのに夏を思わせる日差しと気温

先頭で旗を振りながら誘導するも
ものの数分で最後尾が見えなくなる
最後尾の確認へ走ると、今度は先頭から「次はどっちか」と声が飛ぶ
先頭と最後尾を何往復も繰り返し
やっとの思いで食事処に到着したときには
予定の7分を大幅に超えた時間が過ぎていた

参加者にとって行程表などあってないようなもの
行程表に「移動は徒歩」と記載があり、バス車内で説明をしていても
「そんなの先に言ってもらわないと困る」
「こんなに歩くつもりじゃなかった」と不満の声が飛び交う
食事処のエアコンの効きが悪かったのも
火に油を注ぐ要素となってしまった

さらに食事のあとは徒歩での城趾観光
およそ40分間ボランティアガイドについて町中を散策する
「疲れたから近場だけガイドしてもらおうかな」
という参加者もいれば
「また歩かせるの?」
と不満をあらわにされる参加者もいる
徒歩移動の行程が組まれたツアーを選んで参加したのはお客さまだが
もう少し不満が出ないような対応の仕方が
私にもあったのだろうと反省しきりのバスツアーとなった

参加者一人ひとりに徒歩移動に対する労いをしていたときに
杖をついた男性参加者が声をかけてきた

男性「今日はたくさん歩いたね」
私「本当にお疲れ様でした。足のお加減は大丈夫ですか?」
男性「少し疲れたけどね…でも、とても自信がついたんだよ」

はてな顔の私を前に男性は言葉を続ける

男性「いつもはさ、少しの距離でも杖をついているからと思って車を使ったりするんだ。でも今日は徒歩移動って言われて…最初はどうしようかと思っていたんだけどね、”せっかくだから”と思ってみんなに付いて歩いてみたんだよ。城趾の散策も行ってみた。そうしたらさ、歩けたんだよね。いつもは足が痛くなるからって最初から諦めていたのに、たまにはやってみるもんだね。今日歩けたから自信がついちゃって。家に帰ってからも、こうして歩いてみようって思えたよ。ありがとう。」

せっかくだから、と旅行で挑戦をしてくれた男性は
バスを降りて帰路に着くときも
晴れやかな顔で誇らしげに去っていった

せっかくだから
この言葉は、男性が設定していた限界を取り払ってくれた
いつもとは違う環境で、せっかくだからとチャレンジすることは
こうして新しい自分や発見に出会わせてくれる
もちろん、「挑戦」と「無理」の境を見極めなければいけないが

反省しきりの添乗となったが
男性のせっかくだからに救われた日
私も限界を勝手に設定していることが多々ある
せっかくだからの魔法の言葉で取り払われる私の限界はなんだろうか

おじさま、素敵な言葉と挑戦をありがとうございました


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