【短編小説】とろみのある生活

――飲食物が誤嚥、つまり誤って気道に入ることで引き起こされ、細菌が肺に入り込んで起こる肺炎を誤嚥性肺炎といいます。防ぐには食事中のこまめな水分補給や飲み込みやすい物を食べることが大切です。誤嚥性肺炎を防ぐためになるべく「とろみ」の付いた食べ物を摂るように心掛けましょう。


 点けっぱなしにしているテレビのワイドショーから、健康を促す音声が聞こえてきた。

「最近この手の番組増えてるような気がしません?」
デスクを隔てて向かいの席に座る柳井に声を掛けた。「木村さんの気のせいじゃないですか?高齢化の進む日本じゃこの手の特集が楽に視聴率を稼げるんでしょ」
 柳井がデスクトップパソコンから目を離さずに応える。

 来週には私たちが秘書を務める大岩議員の、地方福祉施設の先進地視察が控えている。現地のロジスティクスを組むので手一杯なのだろう。

「なんか、ワイドショー見ててもニュース見てても誤嚥性肺炎のことが報じられてる気がするんですよね」
「国内の誤嚥性肺炎での死亡者数は年間4万人、死亡原因の6位なんだから、多く報じられて然るべきでしょ」
「柳井さん詳しいですね。まぁ、そうっちゃそうですけど、我ら20代からしたら遠い話過ぎて実感湧かないですよね」
「どんな病気でも知識を付けておくことに越したことないでしょ」
 そう言うと柳井は大岩の出張をアテンドする厚労省担当課に電話を入れ始めた。

「知識を付けとくに越したことない、ねぇ」

 テレビでは「とろみを付ける食生活」と題したコーナーで、あんかけ料理の数々が出演者に配られている。
 昼食はあんかけ焼きそばにするか、とふと思った。


――よって肺炎球菌やインフルエンザのような細菌感染の環境因子に対策が困難だとしても、日頃の食事習慣によって予防が可能な種類の病気である誤嚥性肺炎に関しては、十分に注意して頂き、料理を作る方や飲食店にもご配慮、ご協力を強くお願いしたいと考えております。国民の皆様におかれましては、是非とろみのある食事をお心掛けください。


 大岩厚生労働大臣が記者会見で回答している様子がテレビに映し出される。

「ついに大岩先生がコメント出すまでになっちゃいましたね」
「まぁ、昨今の誤嚥性肺炎予防ブームが強すぎるからね」
 会見時だけ手を止めていた柳井が再びパソコンに向き直る。

「ネットでも『誤嚥性肺炎を起こしかねないお年寄りが安全に外食を楽しめるように、全ての飲食店はとろみを全メニューにつけるべきだ』みたいな意見多いですよね」
「よく分からない医者や、自称医療の専門家が『嚥下障害を持つ人やそうなり得る人を未然に救うため、固形物を撤廃しましょう』みたいな書き込みしてるのもよく見ますね」
「ここらの店もあんかけ料理出す店増えましたよね。あんかけ専門店ができたってテレビでやってました」
「片栗粉販売で最大手メーカーの明和食品は株価がここ数週間で株価が1.5倍に上がってるし、国を挙げての料理総とろみ化政策って感じですね」
「歯ごたえある固形物の方が好きだけどなぁ」

 私も柳井同様パソコンに向き直る。
 日本医師学会からの誤嚥性肺炎に係る提言と「誤嚥性肺炎から国民を守る会」からの要望書を取りまとめて今日中に大岩議員に報告する必要があった。
 不明箇所は厚生労働省の健康局か医薬食品局、どちらに照会を掛けるべきだろうか。


――東京都では毎日10人以上誤嚥性肺炎で大切な命が失われています。本日より東京都では「誤嚥性肺炎ゼロ宣言」を掲げ、全ての飲食店で固形物の提供を無くすよう強く要請致します。皆さんの協力で誤嚥性肺炎患者を無くしましょう。液状食品で高齢者の生命を守りましょう!


 テレビの中で東京都知事がフリップボードを掲げて提唱している。
 大岩大臣が誤嚥性肺炎について会見した3週間後のことである。

 大臣会見の翌日、政府は誤嚥性肺炎を「重点防止症例」に位置付け、自治体の保健所で発症した人間の発症までの食事を細かく追跡調査し、都道府県と厚労省によって細密に管理されるようになった。

 高齢化率の高い地方自治体では特に誤嚥性肺炎を恐れ、早々に飲食店に嚥下食の提供を徹底するよう要請した。
 推奨される嚥下食には普通食をミキサーにかけた「ミキサー食」や咀嚼の必要がない「ゼリー食」がある。
 それらの提供を飲食店には強く求め、誤嚥性肺炎の原因であったと推定される飲食店には実名を報道し批判した。

 都内死者数が20人を越えた日など「大切な生命を守るため、固形物を食べる時は家族のことを思い浮かべ、もう一度考え直して下さい」と涙を浮かべながら命の大切さを説くニュースキャスターも現れた。

 そして、東京都の「誤嚥性肺炎ゼロ宣言」である。都は誤嚥性肺炎対策に小国の国家予算レベルの補正予算を計上した。
 店舗がミキサーを購入する度、申請によって導入費補助を出し、売上げが下がった店には減額分満額の助成金を支払った。
 嚥下食をちゃんと提供しているか都職員は飲食店を抜き打ちでチェックし、固形物を出す店には助成を取り下げだ。
 「誤嚥性肺炎ゼロ宣言」によって、飲食店のほとんどは嚥下食のみの提供となり、誤嚥による肺炎患者は僅かに減少することとなった。

「それにしても変な世の中になっちゃいましたね」
 自宅で作った弁当を食べながら私は言った。
 飲食店は嚥下食しか提供せず、「肺炎誘発企業」のレッテルが貼られることを恐れたコンビニも液状の商品が多くの売り場を占めるようになった。
 固形食品に未練がある私は自ずと自炊スキルが上達した。

「まぁ、これもニューノーマルってことで、慣れるしかないんじゃないですか?」
 パックで販売された液状栄養食品を吸いながら柳井が応える。さながら宇宙飛行士が宇宙食を摂るようだ。

「なんか極端な気がするんですよね。人間好きな物を好きに食べればいいじゃないですか」
「へぇ、もしかして木村さんって“あれ”みたいな反液状の人だったりする?」
 柳井が窓の外を指差す。

 議員会館の前では「反液」と呼ばれる食べ物固形派の市民団体が「液状食料反対デモ」を行なっている。
 団体はこれまで通り固形物を食べる権利を主張し、現在その活動規模を着実に増やしている。
 デモの一環として路上で行われているBBQの肉が美味しそうだ。

「違いますよ。ただ、皆さんよく順応されてるなぁって」
「そりゃ、命は大事だからね。木村さんも固形物ばっかり食べて誤嚥性肺炎になっても知らないですよ。厚生労働大臣秘書が誤嚥性肺炎になるなんて洒落にならないですからね。もしかして木村さん、『肺炎はただの風邪』派の人ですか?」
「そういうわけじゃないですけど……。僕、小学生の甥っ子がいるんですよ。で、今の小学校って誤嚥性肺炎対策として全ての学校給食がミキサー食で、少しでも肺炎のリスクを下げるために食事中の会話を禁止されてるんですよね。誤嚥のリスクが低い小学生にそんなこと強いる必要ってあるのかなぁ、って」
「まぁ、対策してし過ぎることなんてないんじゃ無いかな。うちの父親って元々歯が結構抜けててさ。食べ物が全部柔らかい今の世の中の方が生きやすいって言ってるし」
「そりゃあそういう人もいるとは思いますけど」

 信条によって意見が割れるこの話題は極力避けた方が賢明なようだ。

 私は自家製キュウリの糠漬けを齧りながら、反液デモの拡声されたメッセージに耳を傾けることにした。


――速報です。かねてより固形物飲食問題で野党から追及を受けていた大岩厚生労働大臣が、先ほど議員辞職を表明した模様です。大岩厚生労働大臣は、この2年に渡り誤嚥性肺炎の発症を防ぐため固形物飲食の廃止、嚥下食の推進を行っていました。ところが先日、大岩厚労相の御子息、大岩恵一氏の経営する「リストランテ大岩」で誤飲の恐れがあるステーキ料理を提供していたことが報道され、その責任を野党に追及されていたところです。大岩議員は取材に対し「息子がとろみの無い料理を一般市民にふるまい、不安にさせてしまったことに対し深くお詫びしたい」とコメントしています。以上現場からでした。


 大岩大臣の辞任に伴い議員事務所は解体となり、私は別の働き口に移ることとなった。

 柳井は別の議員の公設秘書として再起を図っている。一方で政治家個人のフォロー、特に嚥下食を推進するための説明資料作成に疲れた私は、政党職員として党全体の事務作業に就いた。
 かつては議員秘書としてキャリアを積んだ上で政策担当秘書資格を取得しようとしていたが、ここ2年のとろみ付けに係る業務に辟易し、戦線を離脱してしまった次第だ。

「木村くん、この前の政経懇親会の出席者集約と参加費の入金確認って出来た?」
 課長の声が背後から聞こえた。
「今日中に終わらせます。それにしても政治資金パーティにこんなに参加者がいらっしゃるなんて凄いですね。今、懇親会に参加してもとろみ付きビールで乾杯して、ゼリーやムースを啜るだけじゃないですか。楽しいんですかね」
「まぁ、政治的な結びつきが第一の会合だからね。ここで顔を売る事で色々進む話もあるんだよ。その為だったら何だって啜りに来るさ」
「そんなもんですかね」

 名簿表と受付で受け取った名刺の束に目を向ける。
 些末な雑用にも感じるが、このぐらいの業務が身の丈に合っている。

 ふと、名刺肩書に気になる文字列が見えた。

――明和食品

 この名前、この集約作業で何度か見たし、単語としても聞き覚えがある。

――片栗粉販売で最大手メーカーで株価が1.5倍に

 あぁ、そうだ。柳井さんが片栗粉についてここのこと話していたな。

 ふと、これまで整理していた名刺の束をさらい直す。「明和食品」「明和食品」「明和食品」

 500人規模の懇親会ではあったが、招待を受けて参加する団体からの列席者は大抵代表者か代表代理の1人か2人だ。
 名刺を広げると、明和食品に関しては理事、役員が十数人参加していることが分かった。

 気になった私は、サーバーに管理されている過去の懇親会参加者リストを確認することにした。「明和食品」「明和食品」「明和食品」

多い。

 一般的な参加団体より明らかに多くの役員が会に列席している。

偶然だろうか。

 片栗粉販売最大手の明和食品と政府与党は何年も前から懇意にしていて、誤嚥性肺炎を防ぐためすべての食品にとろみ付けをする政策に国が転換した。

 これは偶然だろうか。

 訝しむ気持ちが頭をもたげ膨らんでいくのを感じた。

 可視化された死に怯え、国民が現在の国策を求めたのか、政治が意図的に世論を扇動することで利益を上げたのか私には分からないし、追及することも困難だろうししない。しかし、この疑念はどうも上手く飲み込めなさそうだ。

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