トーキングブルース その1


私は女性であると認識しているが、自分から所謂”女性らしさ”が過剰に出てしまうことに抵抗を覚えてしまう。
ちょっとラメ多めのヘアピンを付けたり、花柄とかフリルとかレースの服を着たり、甘い香りのする香水をつけたり。
そういった類のもの単品単品で見ると、とてもかわいらしくてテンションが上がって、バンバン買ってしまうのだが、いざ自分が身に着けて、ふと電車のドアガラス越しに写る「自分withかわいいもの」を見た途端なんと愚かなことを!王様の耳はロバの耳!裸の王様!状態に陥りwithかわいいものをむしり取りたくなってしまうのである。
こういった女性らしさのエトセトラにかかわらず、少しでも自分の”らしくなさ”を感じたり、”なにからしさ”を自分が醸し出していると感じた時、余計なお世話難解不落支離滅裂奇天烈大百科おチョンボ大戦争の自意識過剰センサーがビビビッと反応し、自分の体内に入り込もうとするそれを亡き者にしてしまう。
この鉄壁のセンサーが生まれた理由は因果応報a.k.aどう考えても自分にあって、それは人生のほとんどを偏見と差別にがんじがらめになり、人をナナメからみることで安心感を覚えていたからだと断言できる。

幼稚園年中時代、『さんまのスーパーからくりTV』が我が幼稚園にやってきて、「今ハマっているものはなんですか?」というインタビューを園児に行っていた。テレビマンの”おもしろいものとったるさかいに”というまなざしをこども心ながらに感じており、私は彼らの期待に応えたくてその当時一番キラキラして見ていた『天才テレビくん』という番組の話をひっさげて彼らのインタビューに挑んだ。

当然ながら私はさんまさんやたまおさんの目に留まることはなかった。
ふじ組のなんちゃらちゃんが、ちょつと珍しい習い事かなんかをやっていてそれがフィーチャーされたような記憶がある。
放送をみながら「あれれ?わたしもこのいんたびゅーこたえたよ」というようなことを母親に言った
「なんて答えたの?」と母親は何かを期待するような目でわたしに訪ねた。
「てんさいてれびくんっていった」
そう私がいうと母親は少しがっかりしたように、
「他のテレビの話をしちゃそりゃだめよ」
と言った。
「でもほかのおともだちもはなしていたよ」と私が反論すると、
「お友達と一緒のこと言っちゃ意味ないんじゃない?」と優しく微笑んだ。

私はなんだかその日のことが忘れられなくて、それ以来『天才テレビくん』が好きだとはいえなくて、代わりに『はぐれ刑事純情派』が好きだと母親の友達や、学校の先生、友達の母親に言うとウケた。
天才テレビ君はだめで、はぐれ刑事純情派のほうが正解なんだ。
この感覚は今も私の根幹に近いところで、異様な存在感を放っているように感じる。


次回、トーキングブルースその2『あらびき団』編へつづく

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