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Yabai街、人生には自由奔放がタメになるかも

僕が住み着いた街、Parisはかなりやばいです。王制度がなくなり新しい革命が
ルイ16世、マリーアントワネットを処刑されてから200年が経つ記念する1989年に5月に渡仏した。この年は、記念する年で パリ市内は、レボリューション一色で街はお祭り騒ぎ。

7月14日は、シャンゼリゼ通りは直径200メートル近いいくつかの移動式舞台がパフォーマンサー、有名なシンガー、アーチストなどを乗せて行進。
その行進を観に来る市民、観光客などなどでかなり混んだつしていた。エッフェル塔、凱旋門は光で色づけられ、パリジャン、パリジェンヌ達は、騒ぎ立て 街を歩き回り、地下鉄のプラットホーム、車両内は、酔っ払った人たちが、国歌を
叫び歌う姿でかなりなエキサイティングを見せつけていた。通りのいくつかの窓からは、爆音量で音楽をかけパーティーが行われ、この日は、警察によって爆音のクレームは、受け入れないシステム、大きな広場には、大きい舞台を作りアメリカ、イギリスからのアーチストを呼び無料ライブ、夜6時以降はいくつかの大通りは、歩行者天国で、そしていくつかのバンドが、各分野の音楽で
演奏しまくる状態、確か、地下鉄はPM6時から翌朝AM6時まで無料運賃。

こんな街、見た事ない、ただ、ただ、クレジーなパリ。祝う時は、徹底して祝う。
パリ市が、全部許可を下すんでしょ、これって?誰も不満なく行われる大行事。
なんて分からない都市なんだとは思いましたが、長く住むと、これがモラルを守るために1日だけの無礼講が行われる行事。遊ぶ時は、徹底して遊び、働く時は、徹底じゃないけど働く。こんな国があるんだ、存在するんだっと思ったパリでした。
日本じゃ、常識を根底に人達は生活して無礼講の言葉は脳裏にない。フラストレーションを出せる時は出し切ることって大事だし、人間のストレスをこのようなイベントを通して 自分のジョークの限界を決めつけない考え方を保持できる環境って大事だと思いました。無茶するってある限界を環境を無視して行うが、正論として思い追求、実行をすることに新しい自分が見える発見。クレイジーになった事によって新しい発想が生まれる。そこ言葉使いと同意する仕草、行動、パフォーマンも奇妙で新しい自分。ただの勢いの自分が何が、これから僕を変えさせる人生を予知させてくれた一夜でした。
このような、遊びの中に新しさがあったり、新生活のヒントが未来を感じさせる。環境って本当に大事に感じた。アートって 岡本太郎さんが、「爆発だ。」言っていました。爆発って限界を越えた時に出てくる精神状態で僕が解釈していました。新しさって無から生まれる状態なので Explord (爆発)って自分を壊して全部出し切って 無になる状態。だからって壊れ切ってない精神状態で、まだまだ、燃える物がみなぎる感覚を作る状態、常識に捉われず、非常識をどうのように肯定して行くかの理論がヒントになるんだ。人が出来ないことを意識する事に近くなる。
人間のモラルを意識してると、進化は遅れる。非常識を常識に取られて行く事によって自分自身が少しずつ血が通って少しずつ成長が感じられるようになる。
「はみ出しものは、世に羽ばたく。」って言う事ですね。これって当時の僕には、
学校で列を組む時に「前にならえ。」って言われ、列に並ぶことを学校で習ってきた。物わかりが、いい教育って習ってきた時代には、大きな衝撃でした。
ちなみに、僕の子供達がフランス・パリの小学校に行ってた時の朝の朝礼は、バラバラに並んでグループがたむろする感じで、校長先生の話を聞いていました。
自由奔放がタメになる時代かも?


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