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Twitterでの更新報告を忘れがち

普段から呟く習慣がないのでTwitterをいまいち使いこなせてない感。埴来プロジェクトの広報なので更新情報くらいでいいかなと思っているけど、投稿したら呟く癖はつけたほうがいいよなと反省。

それと文章の稚拙さは精進するとして、自分の文体が迷子になっているのが今後の課題でしょうか。文体で自分の色が出せるようになるのが理想ですが安定しませんね。せめて一つの記事での語尾くらいは揃えていきたい。記事によっては「である」などの方が雰囲気あるだろうし、「です、ます」「だ」とかもあるかも。

自分の日記だからだと適当に書くのではなく、もう少し他人にみられているという意識を持って文字を書けたらいいな。小説だったらその物語にあった文体になるんですけど、日記には特に気を使うつもりがないのも問題なのかも。ただのメモ書きになってる。これはこれで楽だから好きだな。何も考えないで思いついたことを打ち込むだけ。振り返ったらそういうのが良い味出すんじゃないかなと言い訳して推敲もロクにやらずにネットに垂れ流す。

有益なことになりそうな記事もちゃんとまとめたいけれど、日頃の更新はこんな感じでいいんじゃないか。散らばっている意識を散らばっているままに書き連ねていけば、自分の頭の中の宇宙の一端は表現できるかもしれない。そんな崇高なことは一切考えていないけれど、連想ゲームのように思いついたことを書くのは楽しい。

あと、記事のタイトルと写真も今後どうしようか。埴来プロジェクトでやりたいことに考えていた『写真を撮る』に当てはまるのでこれからも写真フォルダのネタが無くならないようにしていきたい。

タイトルの方はきっと記事に関するキーワードを入れると見てくれる人も混乱せずに読むことができるんだと思う。今はまだ自分の読者というよりは新着やタイトルから読みに来る人ばかりだろう。それならば意味のわからないタイトルは不親切になる。とはいえ、今日の日記のようなダラダラと書き綴る記事の時は何をタイトルにしようか悩んでしまうので、自分の性格上何か本編と関係のない変な一言を書いている気がする。

銀魂のタイトルのようなのが好きで、それっぽいことを言いたいというのはある。もしくはキャッチコピーとか、名言格言とか。一句詠んでみるのもいいかもしれない。

とりあえず今は執筆は小説に重きを置いているので、noteの通常記事はダラダラまったりとやっていきたい。自分との対話ではないけれど、思っていることをフィルターなしで書いてみて、未来の自分が活かせればいいなと考えています。

中身がない文章を読んでもらうことになるけれど、ダラっとした時間は提供できるのではないかなと。今ふと思ったのは個人ラジオのような日記です。この電波の先にリスナーがいるかいないか分からないけれど、誰かに自分の想いを伝えるために発信する。この時間をあなたと共有できたらいいなと思いながら喋り続けるパーソナリティーの如くです。何となく深夜のカフェオレと窓辺のテーブルにラジオと星空って感じ。

それでは、今日はこの辺で。

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