旦那、美少女になる 1話 「旦那、VRゴーグルを買う」

『今日は、仕事の帰りに寄り道をするので少し遅くなります。お土産買ってくるけど何がいい?』

私のスマホに旦那さんからメッセージが来たのは、ちょうど彼の就業が終わるという19時前だった。この時間になると旦那さんはいつも家にいる私に帰るよとメッセージを入れてくれるので、自宅でご飯を作って待つ身としては有難いコールである。ただ今日は旦那さんがどこかに寄り道してくるそうなので、帰りが遅くなるらしい。いつもの時間に帰ってこないことを私が心配しないようにと連絡してくれたのだろう。私は全然気にしていないのに、お土産まで用意しようとする旦那さんの優しさにほっこりとしてしまった。

『了解しました!夕飯はハンバーグなので、デザートがあったら嬉しいです。気をつけてね』

ちゃっかりデザートの希望を伝えつつ旦那さんへの返信を終えた私は、すでに夕飯の仕込みは終わっているので、旦那さんが帰宅するまでまったりと過ごすことにした。リビングにある旦那さんのサイズに合わせた大きめなソファにゴロンと横になりながら、スマホを弄るのは何とも至福な時である。

私はインドアな性格のうえ今は専業主婦なので、いつも自宅で大人しく過ごしている。旦那さんは職務上、私が外を出歩かないことを歓迎しているみたいだし、それなら私も積極的に出かけたいわけではないのでと好きなだけ家で過ごしていた。世間はそれをズボラ嫁とかいう場合もあるらしい。

昨今は自分らしい生き方というものが問われているが、私と旦那さんは二人きりの家族で同居人として、私たちが私たちらしく生きるために決めた二人の生き方をしている。だから外野がどう言おうと私たちは特に気にしていない。

どうやら私と旦那さんは毛色の違う鈍さをどちらも持っているらしい。私は小さい頃から良くて大らか、悪くて大雑把と言われてきたタイプの鈍さを持つし、旦那さんは良くて無頓着、悪くて無関心と言われてきたタイプらしい。共通して言えるのは、二人とも他人や世間に興味があまりないことだ。

もちろん社会で生きていくため程度の常識は弁えているつもりだけれど、個人的なところまで干渉する気にはなれなかったし、されることに抵抗があった。二人とも互いが初めてプライベートを許した相手のようなものだ。ただそこにも互いに配慮して心地良い空間を作ろうと努力した三年間がある。

私は旦那さんが警察官なのは知っているけれど、彼が普段どんな仕事をしているのか聞いていないので分からない。旦那さんも話をするつもりはないようだし、それは私を守ることに繋がるみたいだ。恐らく守秘義務と言われるものだろう。詳しく知ることは危険になるそうなので、私は深く聞こうとは思わないし、なんでも話してくれないと拗ねることもしない。むしろ、話せなくてごめんと申し訳なさそうにしてくることの方が申し訳なくなってしまう。

旦那さんの趣味は仕事というくらいにいつも仕事のことを考えているらしいので、必然的に私と会話できる内容が限られてしまうとよく悲しんでいた。一緒に食べるご飯の感想や、映画の感想を話して共有することで私たちの価値観を互いに知ってきたつもりだけど、どうやら旦那さんを構成するものは仕事である警察官としての自分が大きいみたいだ。どこか窮屈そうに生きる旦那さんを見ていると、私も何かしてあげたいと思うのだけれど、今のところは何も見つからなかった。


「ただいま。こんなところで寝ていると風邪を引いてしまうぞ」

いつの間にか寝ていた私は、帰宅した旦那さんに声を掛けられて目を覚ました。まだ帰宅したばかりなのかスーツ姿のままでの旦那さんがネクタイを外しているのは何度見ても格好が良い。寝起きのほやほやとした頭でそんなことを考えている私の視線を、すぐに感じとった旦那さんは横になったままの私の頭を撫でている。体格が大きい旦那さんの手は勿論大きいので、きっと片手で私の頭を簡単に掴む事ができるだろう。旦那さんが私にそんなことするはずがないので試したことはないけれど、彼に不器用ながら丁寧に頭を撫でてもらうといつも考えてしまうことだ。

「おかえりなさい。今日もお疲れ様でした、ご飯すぐに用意するね」

「着替えてくるし、ゆっくりでいい」

旦那さんに頭を撫でてもらって満足した私は夕飯を用意するためにキッチンに行こうと起き上がりながら旦那さんに話しかければ、旦那さんも家でゆっくり過ごすための準備をしようと動き出していた。家でリラックスしているときの旦那さんの『のっそり』という擬音が似合う動き方が私は好きだった。

「そうだ。お土産のプリンは冷蔵庫に入れてあるから、後で食べよう。今日は帰りが遅くなってしまって、すまなかったな」

「ありがとう!でも遅いと言ってもいつもより1時間くらいだから、そんなに謝らないで。こっちもつい寝ちゃったし」

キッチンで私は冷蔵庫で寝かせていたハンバーグを焼いていると、スウェットに着替え終えた旦那さんがやってきてお土産の話をしてくれた。さっき冷蔵庫を確認したときに見えたのは、私が前に食べたいと話した事があるプリンだった。

旦那さんが私の食べたいと言った一言をちゃんと覚えていてくれたことに感動している私だが、旦那さんは君が食べたいと言ってたから買ってきたという言い方はしないので、実は本当に私が言ったことを旦那さんが覚えているのかは分からない。言葉が足りない人だということも、口にしないだけで色々と考えているんだということも知っている現在の私だから素直に喜べているけれど、一緒に生活し始めた頃は旦那さんの本心が分からなくてぶつかったこともあったなとまだ三年、されど三年の夫婦生活を思うと嬉しくなる。私がご機嫌に焼いているハンバーグをひっくり返していると、隣で旦那さんがサラダを作りながら今日の寄り道について話してくれるみたいだ。

「すまなかった。ちょっと買いたいものがあったんだ」

「珍しいね」

私に話してくれるということは仕事に関係ない買い物だったのだろう。そもそも趣味が仕事の旦那さんには物欲があまり無いのことを知っている私は、わざわざ仕事帰りに買い物に行くほどに旦那さんが欲しいという物が思いつかないでいた。私が不思議そうに首を傾げているのを、あまり変わらない表情筋を緩ませながら見守っていた旦那さんだけれど、ゆっくりと続きを話し始めた。

「ちょっと仕事で知ったものなんだが、興味が出たからせっかくだし思い切って買ってみたんだ」

旦那さんが話しながら視線で買ったものを教えてくれたけれど、旦那さんの視線の先にある電気量販店のビニール袋から見える箱には、英語で文字が書いてあり何かゲーム機のようなものが描かれてあった。私も旦那さんもゲームをしないので見慣れないものだけれど、イメージからゲーム機かPC製品な気がする。

「それって、ゲーム機?」

「VRゴーグルだ」

私の質問に即答してくれた旦那さんだけれど、VRゴーグルを買ってどうしたいのだろうか。あまり詳しくはないのでゲーム機とVRゴーグルの違いがわからない。わかるのはVRゴーグルとはバーチャルで使うためのものということだけだった。それも合っているのは分からないけれど。

「バーチャル世界に興味が出たの?」

「色々と出来る事があるらしい」

返答の仕方で何となく旦那さんも全部を理解しているわけではないことを知る。私が知っていることといえば、VRゴーグルを使えばバーチャルリアリティの世界を体験できることと、バーチャル世界のコンテンツを最近ではメタバースというようになったらしいということくらいだ。

旦那さんが仕事でどうVRゴーグルを知ったのかは分からないけれど、買ってしまうほどに興味を持つ何かがあるんだろうか。旦那さんに限ってそういうわけではないと思いたいけれど、世の男性が新しい技術に興味を持つときにはその先に必ずエッチな事があるとどこかで聞いた事があるのを、ふと思い出してしまった。

「それってエッチなこと?」

「検挙された相手はそうだったな。俺は資料を作る時に調べてみたんだが、そういう使用方法以外にも本当に出来る事が多くて面白そうだったんだ」

あっさりと話してくれる旦那さんをひとまず信じることにした私は、あの堅物の旦那さんが興味を持ったVRで出来ることが気になってきた。仕事が趣味の旦那さんが私に思いっきり話ができる趣味ができるのは大歓迎である。私だって守秘義務に関係なく旦那さんと色々な話をしたいという気持ちはあるのだから。

「まあ、何にせよ旦那さんが興味持てるものが出来てよかったよ。VRが旦那さんの趣味になるといいね」

私が焼き上がったハンバーグをお皿に乗せてテーブルに運んでいると、私より手際のいい旦那さんがサラダとご飯を用意してくれていた。こうして温め直したお味噌汁をお椀に注げば夕飯の完成である。二人仲良くいただきますをして食事をしていると、旦那さんがそっと口を開いた。

「今日はとりあえず寝る前に少しだけ設定してみようと思っている」

「隣で見ていてもいい?」

「ああ。もし興味が出たのなら君の分も買ってこよう」

「VRデートも楽しそうだね」

「そうだな。俺が君をちゃんと案内できるように、しっかり勉強しておこう」

「私も色々調べてみる。二人とも知らない分野だからゼロからの勉強になるけど、それもきっと楽しいよ」

「あぁ、そうだな」

二人で知らない世界を知るために冒険するのはきっと楽しいだろう。夕飯を食べ終えた後、旦那さんは予習してあった設定をそつなくこなし終えると、早速VRゴーグルでバーチャルな世界を知ることになった。

言葉少なに感動しているのを側から見ていた私も、一体何がどう見えているのか知りたくなったので貸して欲しいとおねだりをすれば、旦那さんは快く私にVRゴーグルをセッティングしてくれた。そのゴーグルの先で見える景色にすっかり感動した私たちは、交互にゴーグルを被りながらその日は眠くなるまでVRの世界を堪能するのだった。

この日体験したVRの世界は、まだまだ序の口でありバーチャルの世界は現実世界以上に広く、感動的で私たちも素敵なモノに出会えるんじゃないかと思わせるモノがあった。けれども、そんな希望は現実によって打ちのめされることでもあるのだと知ったのは、旦那さんが私のためのVRゴーグルを用意してくれてすぐに二人でVRデートをした時のことだった。

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