見出し画像

いつか、ゴミ捨て難民になる日。

引っ越しするたびに役所で手渡される「ゴミ分別ルール」の冊子。市町村によって細かい部分が違うので、迷ったら冊子の品目索引で調べるようにしているものの...いつからゴミ捨ての難易度がこれほど高くなったのだろう。運ぶ労力や分別もだし、それ以前にそもそも自分の暮らしに何が必要で何が不要か吟味する選別もあるわけで...

父が在宅だった頃、ドアの新聞受けにポスティング(不動産情報や宅配ピザのチラシなど)される音を聞くたび、憎々しげに「ああして、うちに毎日ゴミを捨てていく」と口にしていた。その頃は「何もそこまで..」と返していたけれど、ポスン、ストン、カシャン、という投函の音を日に何度か聞き、毎日毎日数枚のチラシを雑紙の袋に入れるうちに、最近ではわたしにも、それがゴミ捨ての音に聞こえてくるようになった。

日々を暮らしていれば内からも外からもゴミの素はやってくる。

民間業者が収集するマンションにいた頃は分別も袋指定も日時指定も特になかったけれど、自治体の収集の場合はルールが細かい。

上の内容は、今わたしの手元にある冊子を参考にしたもので、以前別の県に住んでいた頃にはあった「燃やせないゴミ」「燃えないゴミ」の袋が今の居住地にはない。袋にも「燃えるゴミ」ではなく「燃やすゴミ」とある。

分別のさじ加減で言えば、容器包装プラスチックは、「商品を包装したものに限る」とあり、上に描いたようにクリーニングの袋は「自分の洋服につけられたカバーなので包装プラにはならない」とか...解釈の問題になっていたりする。

一方、めんつゆなどの瓶は蓋の部分をはずすのが大変だったり(現在わたしは蓋外し専用ハサミを使用)、ラベルの糊が強くて爪であっちの角からこっちの角からとなんども引っ掻いてボロボロになったり...他にもティッシュの箱(取り出し口のビニールを剥がす)や牛乳パックを開いてたたむなどは日常だし、様々な分別作業の中で手指を傷つけることもある。

無事に分別できても、資源ごみ1(缶・びん・ペットボトル)と資源ごみ2(容器包装プラ)、場合により雑紙、新聞、ダンボール、そして燃やすゴミとあると、一度では出し切れないことも。育児や介護でおむつのゴミが出る家庭ではその分も追加されるし、庭があればそこに植木(剪定枝葉、草)が追加される。家庭によって事情は異なり、著名な身内の方がいる知人宅ではよく祝電や花、贈答品が届くため豪華なカバーや付属品、リボン、オアシス、桐箱などがどんどん増えて困るようだった。

私は今、普通の体力で一階に住み、収集所までは玄関から120メートルほどなのに、現時点でも結構、分別や週二日のゴミ出しに苦戦している。

体調を壊したり体力が落ちたり骨折したり、なんらかの事情でゴミ出しが出来なくなったらどうしよう...特に夏場。

集合住宅の高層階の方はまとめて台車で出しておられることも多い。お年寄りが小さなゴミを出しておられる姿も見かける。将来わたしはどうしよう。

介護ヘルパーや訪問サポート業を経験した人から聞いた話では、介護保険を使って、買い物やゴミ出し(分別含む)のサポートを受ける高齢者は多いようで、身体は自由に動かせるが認知機能低下や精神疾患等で判断が出来ず分別や掃除自体が出来ない場合や、体力がなかったり身体が思うように動かず重いものを運べない場合があり、中にはゴミ屋敷の一歩手前で途方に暮れている方なども結構な数いるらしい。有料ゴミ袋が自宅になく(買えない・買わない)、ヘルパーに「ゴミ収集所で適当に他のゴミに混ぜて捨ててきて」と指示する方もいるそうで...

わたしは仕事の関係で日頃から新品の雑貨サンプルを大量に受け取るため、いつも室内にはダンボール箱が積まれていて、常にそれらをどう使うか誰に渡すかを考えている。サンプルを受け取らない道もあるけれど、柄の無断転用(意図的ではなくチェック漏れ)を防ぎ、次回デザインの際に参考にするなどの意味もあり、数は減らしても受け取らない選択ができず長年の課題になっている。文具(メモ、ノート、付箋類)ならどこかに寄贈しやすいが、私の場合、パッケージ類(袋、箱、包装紙など)が多いので、お菓子など何か入れもせず包装だけを人に渡すのは難しくて...

せめて仕事以外の面ではなるべくゴミをたくさん出さぬように、自分がこの世から去る時にはゴミになってしまうものを残しすぎぬように、と長年思い続けているのに、なぜか私は人からよく物をいただく。それも形として残る置物やぬいぐるみっぽいものを。うちに飾っているもので、一部の郷土玩具を除くとほぼもらいものばかり。だけど、もともと雑貨は好きだし、どれもその時々にくれた人の顔が思い浮かぶので、小さなストラップやお土産のマスコット一つでもなかなか手放せない。

数年前、遠い親戚が独居で亡くなり、比較的近所に住むうちの家族と遠方からの親族も駆けつけ手分けして部屋を明け渡すための遺品整理に行ったことがあった。部屋数や家具類の多い住まいで2日間かけて6人ほどで片付けたが限界があり、(買取も含め)処分は業者に依頼して結局20万円以上支払った。押入れ下段に黒枠の遺影が無造作に6〜7枚重ねて立ててあり(もしかすると位牌もあったかも)、遠い親戚ということもあり誰もひき取らず、それらの処分も業者に任せた。通帳の残高は全て国庫行きとなった。独身のわたしは、その人の死と残された部屋と、飾られることもなく仕舞われて捨てられた先祖たちの遺影の束の光景を、ふとした拍子に思い出すことがある(結婚していても子供がいても、同じだったかもしれない)。

ただ、遺品整理は湿っぽく行われたわけではなかった。競馬で当てたらしき現金を衣装ダンス奥から発掘したのを機に、その場にいた全員が見つけたものを報告しては「こんな人だったんだねぇ」とか言いながら、さらにお宝はないかと、どこか貪欲に片付けをしていた面は否めず、賑やかで楽しかった思い出もある。

そんなわけで、今日もベランダを見て思う。猫は身軽だなぁ。手荷物一つなく散歩したり昼寝したりして1日を、そして人生を過ごすのだもの。

***********

(おまけ)引っ越してもずっと使い続けている台所のペダル式ゴミ箱の困った話。踏むと徐々に回転してしまって...あまりにも不便なので、普段は正面よりやや手前の方にペダルを持ってきて使うものの、気づいたらやっぱり足が届かないほど奥の方へ回ってしまっている...もうこれを10年以上繰り返す自分に呆れます。正面から踏めばおそらく良いのでしょうが横着をしてしまうのです。