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凶について考えた(おみくじと易)。

1.おみくじ のこと

2019年にこんなZINE(お寺などでよく見かける、ある系統のおみくじを全種類載せて自己流にゆるく解釈したもの)を作った。

きっかけは、2014年か2015年頃のお正月に、身内が下の画像とほぼ同じ挿絵のおみくじを引いたのをチラッと目にして、だけど本人がすぐに結び所に行ってしまって詳細が見えなかったので、以来ずっと「なんであんな物騒な場面の挿絵がついていたのか。あのおみくじには何が書かれていたのか」が気になって、その時引いたのと同じ系統のおみくじを探そうとしたことが始まりだった。正月にあんなおみくじを引くなんて…大丈夫か?
(心配していたら、本人はその後、酔っ払って駅の階段から落ちて目の周りに大きなあざを作って全治1ヶ月ほどだったのだけど、ケロっとして「へへっ。ヤバイね危なかった」とどうにか無事でした)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『元三大師御鬮判断諸抄
 増補改正』
p.16より一部抜粋。

後に判明したのは、このおみくじ(第39番)には「非常に運気が悪く、望みが叶わないばかりか、たびたび災難に見舞われてしまう」「故郷が火災に遭うような、そんな災難がたびたび起こり、大切な財産も失ってしまったようなものである」というようなことが書いてあり、賊に斬り付けられる絵のほか、火災に遭う家から家財を持ち出している他のみくじ本もあったので、挿絵はあくまでイメージらしかった。

私にとって、神社などで引く和歌をベースにした、はんなりしたおみくじではなくて、上のおみくじと同系統の、東寺や深大寺などで授かることができる五言絶句の漢詩とその解釈、運勢判断と挿絵などで構成された「元三大師系みくじ」が気になるのは、凶の容赦ない内容によるところが大きい。

そうした元三大師系みくじを参考におみくじを自作したこともあり、凶を末吉に変えてソフトな表現にした「はにほみくじ」と、お寺さんから依頼を受けて100種類制作したシビアな内容の「宝寿みくじ」の2種類があるのだけれど、後者のおみくじの凶を引き当てた方がガッカリしているのを目の当たりにして、「世間では凶への忌避感はやはり想像以上に強いものなんだなぁ」と痛感して、とても手間と時間をかけて作った「宝寿みくじ」だけど、以後、私の方ではほとんど扱わないことにした。

左が内容は凶だけと末吉にした「はにほみくじ」と、凶が3割入っている「宝寿みくじ」。

おみくじの世界に触れていると、どうしても避けて通れないのは「易」の考え方だけれど、ZINEを作ったりイラストみくじを制作した後は、あまり深くは調べなかった。
ただ、思いがけず、その後私の人生は「凶」そのものになってしまい、1年経っても2年経っても、一向に良くならない(気がする)のでこれはどうしたものかと頭を抱えて、そして何か解決のヒントにしたいと昨年から四柱推命の勉強を始めて、それなのにあまりの難しさに途中で挫折し、そいじゃぁ、まずは「易」の勉強から始めようと考え直し、今年から古書店で入手した易経の本2冊と図書館で借りた本などをノートにまとめるようになり、その関係で元三大師みくじの内容を再び思い出す機会が増えた。

昨日、64卦(64種類の運勢判断)をノートに現代風に書き写す作業がひとまず終わったので、途中経過として少しだけ「凶」について、書きのこしておきたい。

2.私は凶の中にいた

私はフリーランスの身なので、多少の浮き沈みには慣れていたけれど、この数年(2020〜2022 )は特に仕事が絶不調だった。しかも2022年に最悪になった。
世界的な感染症拡大の関係もあったかもしれないし、それ以外の要素もあったのだろうと思う。ただ、きっかけは、自分が引っ越しを機に2ヶ月ほど仕事を断って、それまでの受注リズムを壊したのが始まりだった。
ひとつボタンの掛け違えがあると、どんどんずれていくような、そんな感じだった。半年ほどで流れを修正できると思ったら、1年後、2年後と悪くなる一方だった。
マスクをしながら「いつまでこの生活が続くんでしょうねぇ」と、誰かと感染症の話をする場面でも、「いつまで私はスランプなのでしょうねぇ」とこっそり思わずにはいられなかった。
いつまで。
ここ数年、私の最大の関心事は、おみくじの凶によく書いてある、「今は何かにつけ物事がうまくいかないので、時節を待つこと」というフレーズの、時節(よい時期、チャンス)が訪れるまでの時間の長さとは一体どのくらいか、どのくらい待てば運気は回復するのかという問題だった。

おみくじによく書いてあるように、「時が来れば運は開けるだろうから、静かに、なるべく誠実に過ごしながらどうにかやり過ごそう」とはするものの、いっこうに状況は改善しない。
おみくじには「いま行動を起こすのは危険(荒れている川にちっぽけな船で漕ぎ出すようなもの)だから、無理をせず静かに待つこと」などと書いてあるのに、どうにか現状を打開したくて何かに挑戦しては失敗したり、希望が打ち砕かれたり、嫌な思いをしたり、自分の不甲斐なさを思い知って落ち込んだり、無駄なお金を使ってしまったり。

2022年2月。春に関西から関東に引っ越すことになり、昔から数年に一度会いに行っていた四柱推命の鑑定士さんに方角や時期、今後についてみてもらったところ「あなたは令和2〜3年は空亡(くうぼう)といって、いわゆる天中殺だったので何をやっても空回りしたりあてが外れたり、色々あったでしょう」と言われた。
令和2〜3年というのは西暦2020年、2021年にあたるので絶不調と符号した。
私は正直、占いは話半分〜6割ほどで聞いているので、いつも全てをまともに受け止めるわけではないけれど、その時は「ああ、やっぱり悪い時期だったのね。どうりで…」と納得して、むしろ「じゃぁ色々悪かったけど、自分のせいだけじゃなかったのかぁ」とホッとしてしまったくらいだ。

天中殺が抜けても特に運気は良くならないようで、鑑定士さんからは「令和5年までは仕事は落ち着かない」と言われた。
とはいえ、2022年、私はあらがって、この状況を変えようと色々なことに挑戦しては、またそれで不愉快な思いをしたり落ち込んで、悪循環は続いた。先に書いたように、結果的に(仕事面と精神面で)苦い思い出の年になってしまった。
あまりにも自分の空回りがひどいので、一度今の働き方は見切りをつけて別の仕事というか、違うやり方、違う居場所を見つけようと探し、リモートワーク可の良さげなところを見つけて、職務経歴書と履歴書を書いてあとはいつから働けるか考えてから応募しなきゃ…と思いながらじりじりと月日が過ぎて、けどいよいよ再来月からは、と決意した途端に突然私の「凶」は終わった。
気づいた時には、収入と生活リズムと平穏な気持ちが戻ってきていた。そして長いこと掲載されていた求人広告は削除されていた。
フリーなので(インボイス制度のこともどうなるか)安定は今後もないけれど、今は体勢を立て直して、冷静に考える猶予だけはできて、それだけで十分だった。
実際には、徐々に空が白み出して朝が来るのと同じで、昨年の終わりごろからその兆候はあったと思うのだけど、4月の中頃に私は確信した。もう今は「凶」じゃないと。ついに乗り越えたと(といっても、末吉や小吉くらいの感じかと)。

いま令和何年かを調べたら(普段は西暦の感覚で暮らしているので)5年だとわかり、「ああ。先生当たってますわ。もっと先かと思ったけど今年でした」と声が出た。自分の感覚だけでなく、一応四柱推命の鑑定でも今年から復調のお墨付きはもらえていたのだった。

そこで最初の問い、「凶の状態から、どのくらい待てば運気は回復するのか」の答えの一つは、私の経験からすると、2020.3(令和2)〜2023.2(令和5)なので約3年ということになる。

3.凶の期間

もう一件、自分以外の「凶を抜けた人」の話に触れておきたい。
長年その人は私から見て「凶」の状況にあった。本人は特にそう愚痴ったわけではないが、状況を聞いていると、間違いなく「凶」だった。
その人は職場でも家庭でも問題を抱えており、いずれも不利で、弱い立場にあった。
悪い状況のまま膠着状態が続く中、その人は特に何かアクションを起こす事はなかった。趣味を見つけて気分を晴らし、健康を保ち、仲間を作り、ヤケを起こさず飄々と生きていた。
ただその10年の間で一度だけ、もうどうにもならず、会社を辞めようか迷っている様子だったので、当時、京都の神社の奥のテントにいらした先述の四柱推命の先生のもとに連れて行くと、先生は「いや、あと数年は仕事の変化はないようです」とあっさり仰った。
後日、「占いではああ言われたけど、やっぱり自分の思った通りにする」と、その人から連絡があったので、「まぁ、占いは、それを参考にはしても、結局は自分の心が決める事だしね」と思っていたら、さらにまた数日して「やっぱりやめた。強い意志で辞める事を伝えたけど思いがけず会長に引き止められて、今回だけ思いとどまることにした」と連絡があった。ただ、辞める事を撤回しても、その苦しみ、待遇は何ら改善されたわけではないようだった。
それから何年経っただろうか。
昨年、2022年秋。その人に優良企業からスカウトの声がかかった。そしてそのタイミングで転職して、それ以前のどの職場よりも厚遇で受け入れられることになった。同じ頃、長年会えずにいた実子に会えて、交流が再開したという。
「今は仕事もプライベートも充実しています」と笑顔の絵文字付きで報告が来た。
短く見積もって10年。
この経緯はまさにおみくじで時々目にする「慎みを持って誠実に過ごせば、やがて目上の人の引き立てにあい、立身出世して幸せになるだろう」という通りの結末だった。何年か前、鑑定士さんの言葉に反して辞めていたら、今の会社への転職はなかった。とはいえ、占いが当たっていたというより、おみくじにもよく書いてあるように、「時節が来るのを待って、好機を逃さずに」本人が行動したことが幸運を呼んだ実例だと私は思った。
正直、「凶の状態から運気回復までどの程度かかっていたのか」自体は不明だけれど、凶から大吉になるまでは10年を要したことになる。

4.易について

そうして、折々にアドバイスをもらって、なんとなく導かれてきた四柱推命の先生が御隠居されて、自分で自分の運気の浮き沈みだけでもわかるようになりたいと思って勉強を始めたものの、なんとも難しいので、先に易の本を見ることにして、少しずつノートに書き写していると、おみくじには、宗教色(凶などで、「今はただ神仏に祈ること」「信心深く暮らすことが肝要」などと出てくる)が見え隠れするけれど、それ以外の要素には、易の思想が多く反映されているのが分かった。

特におみくじでは太陽が中天に上り詰めるとやがて西に傾くように、あるいは月が満ちたと思ったら次の日からまた欠けてゆくように例えられるように、
(1)物事は良いことも悪いことも究極に達すると逆の方に変化する、という易の考えから、「頂点を極めた運勢なので、くれぐれも調子に乗って足元をすくわれぬように」という言葉や、「これまでは苦労が多かったが、ようやく運気も開けてどんな願いも叶うだろう」という解説をおみくじで見かけることがよくある。

そして、私が数年気にしている(2)時節の到来を待つこと、という教え。
これは易経の中で本当に何度も出てくる。季節は巡り、物事の盛衰や吉凶の運勢はめぐるものだから、そのリズムを理解して、何があっても悲観せずに好機到来を待つこと、と言われている。

他にもたくさんあるのだけど、ここではもう一つだけ。それは(3)中庸の徳
私に元三大師系の「宝寿みくじ」の制作を依頼してくださった真言宗のお寺さんに「凶は嫌がられる」という話をすると、「いや、むしろ大吉を引いた方が要注意ですよ。凶はこれから良くなるしかないので、引いたらラッキーかもです。それよりもいいのが中吉ですかね。なんでも偏りすぎない中庸がよいということで、ほどほどがいいんです」と仰っていた。

私には中庸が今ひとつわからない。ただ、喜怒哀楽の情などが極端に偏らない中程の、平常心でいる人がよいとも考えられる。
昔から私は、テンションが高かったり急に低くなったりと、大きく変化する人との付き合いが苦手だ。
いつもあまり変わらないテンションの、静かで穏やかな平和な人と付き合うのが好きだ。そうした意味では、中庸とされる人に私は惹かれるのかもしれない。また、自分も過剰なところがあって、何かにのめり込んだり調子に乗ったりするところがあるので、中庸に近づきたい。


5.これからのこと

昨年挫折した四柱推命の勉強(『いちばんやさしい四柱推命入門』という本でも途中から分からなくなってしまいました)だけれど、今回「凶の期間はいつまで、時節を待てというのはどのくらい待てばいいのか」という自分が抱えていた謎に、少しだけヒントを見つけたので、ここで『四柱推命学の知識』という本(平木場泰義/神宮館2007?)から空亡(天中殺とも言われた、空回りして何をしてもうまくいかず、努力しても結実しない期間とされる)についての記載の中から少しご紹介。

人間には12年間に2年の空亡があり、1年間に2ヶ月の空亡があり、12日間に2日の空亡があり、12時間に2時間の空亡があるということから、ひどく恐怖を抱く人が多いようですが(中略)同じ目的を達するにも時間の空費があったり、繰り返しを重ねなければならないぐらいのことはあるでしょうから、空亡に当たらない時よりは、緊張と努力を要するという考え方が大切です。
本家の中国では空亡の年とか月とかは、ほとんど問題にしていないのが実情で(中略)、空亡の年・月は何かと浮動しやすい時期と思って無理をしないこと、そして万事に積極策より消極策を用いるくらいに考えれば良いのです。
(太字は引用者による)

『四柱推命学の知識』(平木場泰義/神宮館 出版年不明2007?)

ということで、私は12年前にも同じ空亡があったことになるので、その頃のことを思い返すと、ここ数年の不調と状況は違えど、仕事のやり方でとても悩んでいることがあり、結構似ていた。
とはいえ、過ぎ去った今になって思えばそれほど大変でもなく、やがて一定期間をすぎると仕事への向き合い方も決まり、気持ちも安定していった覚えがあるので、あまり空亡や天中殺という言葉を気にし過ぎないで良いのだなと思うとともに、時や季節の流れや大きな循環や変化に親しみを覚えつつ、あまり難しく考えずに易の考え方を柔軟に日常に取り入れてみたいなと思った。

そして何より一番大切なのは、凶=不幸ではなく、何かと空回りしやすい時期なので、無理をしないで過ごした方が良い、という程度の考え方で良いということだろう。実際に私は上の方で仕事が絶不調だったと書いたけれど、それは数字上のことで、数値化できない良いこと、例えばよい出会いや新しい仕事をいただいたり、やりたかった分野に携わることもできて、喜びも大きかった。そのことは忘れずにいたい。
また、今いただいている仕事の中には、昨年コツコツと納品した仕事の成果を見て新たに声をかけていただいているものもあり、結果はすぐには出ない、桃栗三年柿八年の精神が必要だとも痛感している。

まだノートに書き写しただけで、この先何を調べ、どうまとめて自分なりに理解して活用していくか、先は長い。
ただ、易経64卦を64本の4〜8コマ漫画にして自分なりの解説をつけるなどして、またZINEを作ることが出来たらいいなぁとも考えてみたりして。

今回参考にした本:『一番大吉!おみくじのフォークロア』(中村公人/大修館書店1999)、『中国の思想⑦ 易経』(訳:丸山松幸/徳間書店1967)、『易占入門』神山五黄/神宮館1977)、『四柱推命学の知識』平木場泰義/神宮館 発行不明2007?)

今回のトップ画像は内容とあまり関係ないのですが、「あいうえお絵」。
5/20.21にデザインフェスタ に参加するときに、おみくじのZINE(限定2部のみ)や「はにほみくじ」とともにブックカバー として出すのでご紹介しました。
過去の関連記事もよかったら。
↓この時は私は翌年から凶を迎えるとも知らずに楽しそうでした。
でも自分が楽しい時、充実している時には他の人への気遣いをしているのも伝わってくるのです。今の私は他者を思いやる余裕がまだないので、これから徐々に自分以外の人にも心を寄せられる、そんな自分になりたいです。