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変わるもの変わらぬもの。

引っ越してひと月と少し。

関西から関東に越してきて、「コンビーフの缶が多くて、オイルサーディンはあまり見当たらないなぁ」とか、「きなこのおはぎが食べたいのに置いてないもんだな」など思ったりはするのものの、3週間ほどでスタンプカードや商店街のシールなどがたくさん集まってきて、バスの路線なども少しずつ頭に入ってきて、新しい暮らしが体と心に馴染んできた。

「2022年は4コマ漫画をTwitterに週3日以上掲載する。それが今年の唯一の目標だ!」と決意したのに、わずか二ヶ月あまりで休止状態になっている現状…情けないにもホドがある。

引っ越しの直前、気に入っていたお皿を落として、あっけなくパカーンと割れてしまうのを見て、当たり前のようにあったもの、それも大事なものに限って壊れてしまう時は一瞬だなと実感したのだけれど、連続しているように見える毎日も、人間関係も、自分の心境でさえも、唐突に変化してしまうことがあるのだなぁ。

例えばネットとの関係一つとっても、ブログなどに頻繁に書き込む時期と、更新が途絶えたり、「ブログを退会」したり「記事を全削除」してしまう時期があって、後になって「何でずっと続けなかったんだろう」「何でデータを消してしまったんだろう」と悔いることもあれば、ネットから距離を置こうとしている時には「こんなに長文をよく書き込んでいたもんだなぁ。消しちゃお」と思う。

今の私はどちらでもないけれど、やや後者よりかも。

漫画を描けなく(描かなく)なってしまったのは引っ越し直後から手の具合が悪くなった(現在は回復)のがきっかけで、その後仕事が忙しくなったのが理由だ。

引っ越し以前の2年間は、感染症拡大の時期と重なるように仕事が激減して、人とも会えない状況だったので、家飲みしながら動画配信にお金と時間を注いだり、趣味の創作にのんびり励んだり、ネット上に何か書いたり、収入減のストレスは大きかった一方で、時間は無限にも思えるほどあったのでインプットとアウトプットが両方出来た期間でもあった。

この春、取引先からインボイス制度に関する問い合わせがあり、とうとう来たかと身構えたし、今でもこの制度の撤回廃止を願ったり、ここ数年それに備えてデザイン料(税別)の交渉も細かくしてきたけれど、正直なところは別の不安の方が自分にとっては切実だったかもしれない。「若い人中心の価値観や流行についてゆけない。何が可愛くてどんな絵柄が求められているのか、人気のあるものを見てもピンとこないこともあってどうしよう…」

ところが引っ越し直前からびっくりするほど注文が増えて、前の家に貧乏神がいた話を漫画にしていた(前回のnote参照)のが真実だったのではとギクリとするほど、2年間どこかへ消えていた仕事が私のもとに舞い戻って来ているのだった。

いったい仕事はどこからやって来ているのか。

どうやらお店をしていた2年間、宣伝や告知のためにホームページを作ったり、何か創作してネットで発表したりしたことで、結果的に本業の方のポートフォリオ的なものになっていたらしい。仕事と趣味は別、と分けて考えていたけれど、趣味の絵そのままのタッチを希望されることも最近は3〜4割ほどあるので、「時代とともに変化する流行」に対応しきれないことやセンスの古さについての悩みは解決しないものの、自分の持ち味を生かせる仕事が増えつつあることは、とくに気持ちの面で一筋の光のようになっている。

仕事が増えるとアドレナリンが出て、つい日常生活の漫画を描いたりすることはどうでもよくなってしまいがちだけれど、どんな時でも細々と長く続けていたら、それが結果的に自分の助けになるのだなと改めて実感する今日この頃なのだった。一見無駄で無意味なことの中にこそ「資源」がある。

お店をしていた時も、引っ越しの前後にも感じたことだけれど、「要るもの」「処分したいもの」「いくら出しても欲しいもの」「タダでもいいからもらって欲しいもの」の評価は自他ともに紙一重で、オセロのように反転するものだ。自分にとって不要なものを誰かが欲しがったり、自分がつまらないと卑下するものを誰かが面白いと言ってくれたり、あんなに無理をして買ったものを持て余したり、捨ててしまってから「あれがあったらよかった」と悔やんだり。評価は自分の中でも、対世間でもどちらにでも変わるのだから、決めつけるのは良くないよなぁ。

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さて今日は久しぶりに、時間がない今できる新しいことを思い立った。5月末に文学フリマ東京に参加する(昨年11月に作った自作ZINEやマッチくじなどを販売するため)ことは昨年から決めていたので、何か一つでも新しいものを作って展示したい。

予定しているのは、お店時代にたくさん作って余らせてしまったショップカードの再利用。紙がしっかりした厚みなので、上から紙を貼って「いろはカルタ」にできないかなと。

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昔、はにほさんカルタを作ったことがあるけれど、とてもゆるい作りだった。

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今度は、もう少し「これ何の話?」とカルタを見た人が首をひねるような内容にしたい。売ることは考えていない。

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ちょっと見本を作ってみた。例えば「い」(上の絵、左)。

「インクにイライラするワタシ」

CMYKでイエローが残りわずかという表示を見て買ってきたのに、取り換えてみたら「マゼンタも残量が限界なので取り替えろ」と赤く点灯し続けるの何でなの。4色パックの方が安いけど、K(黒)だけ全然減らないから個々に買い足すことになるのなぜ。逆に黒のみの印字なのにカラーインクが減るのはなぜ。ヘッドクリーニングしても滲む、黒だけ詰まって出ない、5回に3回くらい「プリンターに接続していません」「通信エラーが発生しました」などでコマンドエラーになるのどうにかして。

てなわけで、プリンターとの確執の歴史から、仕事で必須なのに、この半年ほど家にはプリンターを置かずコンビニのネットプリントだけを利用しているという話。

次は「り」(上の絵の真ん中)。

「隣人の話を聞かせてほしい」

甥が仕事休みの日に、お隣さん(齢90才)から「バルサンをこれから焚こうと思うけど、文字が小さくて説明が読めない。やり方がわからないからやって欲しい」と頼まれたとか。その間お隣さんは買い物に出るとのことで、甥はその日出かける予定をやめて、3時間後にお隣を訪問して換気や掃除なども手伝ったらしい。

他にも色々、私は「誰かの隣人の話」(境界問題を抱えていたりして仲が悪い話なども)を誰かから聞くのが好き。という話。

次は「き」(上の絵の右)。

「気づまりな場面」

バラエティや旅番組で、食レポのシーンでタレントさんや俳優さんの横に店の人がずっといて一つずつ説明などをしたり、ずっとそこに「ひかえている」「見守っている」様子に落ち着かない。特にテーブル席で食べている横に立って見下ろされているの(をテレビで見るの)が苦手。自分なら耐えられないだろうと思う。私の場合、食事中に限らず、美術館で自分しかそのエリアにいない時など、移動するたびに係の人がそっと追いかけて来たり待ち構えているような動きをされたり、椅子に座りながらこちらを見ている気がすると悪いことはしていないのに歩き方がギクシャクしてしまう。という話。

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そんなこんなで、時間がない時に最適な創作として超個人的「いろはカルタ」を作ろうかと思いながら、途中で挫折しそうだなとも思う複雑な心境。どうせ使い道の無いショップカードを土台にするのだから、無駄前提でやってみます。

最後に、引越し後初めて描いた「はにほさん絵日記」を。上に載せた「カルタの土台にする予定のショップカード」の写真に写っている芝生は、下の絵日記に登場する芝生の残り半分です。

そんなわけで、どんな時もレッツゴーイングマイウェイ。

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