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あの日、ダメ人間だった私は「病気」という武器を手に入れた

久々の投稿です。hinatoです。

今回はExcelの備忘録ではなく、自分語りとなります。

私は、特発性過眠症という病気を持っています。夜間、充分な睡眠をとったとしても昼間睡眠発作が起きてしまうという病気です。
原因不明といわれているこの病気は、完治する治療方法はなく覚醒するために使うお薬も保険適用されていないため、維持費も馬鹿になりません。
そんな病気を抱えている私ですが、Excelスキルのお陰でお給料にも恵まれ、自立した生活を送れています。

同じ病気を抱えている人のために何かできないか。

30歳を目前にし、新しい一歩を踏み出すための過去の整理がしたく、投稿をさぼっていたこのnoteで書こうと思い立ちました。これから少しずつ過去の経験や実行したことを発信していきたいと思います。この経験が同じ病気で悩んでいる方の一助になれば幸いです。

20代前半、ダメ人間である自分の事が世界で一番嫌いでした。
沖縄生まれ沖縄育ちの私は、東京に憧れを持っていていつか東京でキラキラした人生を送りたいという、今思うと現実を知らない田舎の若者らしいありきたりな夢を持っていました。
当然、こんなふわふわっとした願望を公務員の親が許してくれるわけもなく、でも親の反対を押し切る勇気もない私は、高校卒業後すぐ地元ホテルに就職しました。
ただ、完全に諦めきれなかった私は、成人し自分で貯めたお金であれば親を説得する必要も反対される理由もないと、貯金目標100万を掲げ仕事をスタート。
正社員で務めた当時の月給は総額12万円。
手取りは8~11万前後でした。
親に生活費として6万、車の維持費は自分持ち、度重なる社会人としての飲み会。手元に残るのは良くて2~3万円。一日自由に使っていいお金は300円と上限を決め、残りは全て貯金。
そんな努力も空しく、半年で溜まったお金はたった10万円。
それでも東京移住の夢に諦めなんか微塵も感じることなく、収入を増やせばよいと楽観的に、会社で禁止されているダブルワーク(ファーストフードの夜勤バイト)を始めました。

ホテルは所謂ブラックな会社で、毎日サービス残業なんて当たり前。
でも22時から次のバイトがあるので、時間ギリギリまでホテルで働いて息つく暇もなくバイト先に向かい、深夜2時まで働いて自宅につくのは2時半。3時に床に就き朝7時に起きてホテルへ出社。
ホテルのシフトが休みの日は、夜勤バイトを朝5時までフルで入れ、実質休みの日は月に3日あるかないかでした。
体は正直で、こんな生活を始めてすぐ異変が訪れます。

強烈な”ねむけ”

運転中だろうが仕事中だろうが関係なく、所かまわず居眠りしてしまうのです。
コーヒーを飲んでみたり、腹痛と偽ってトイレで仮眠をとったり、軽くラジオ体操して体を動かしたり、エナジードリンクを大量に飲んでみたり。
思いつく限り試しても眠気は容赦なくやってきて、居眠りする毎日。
普通は過労かなと思うところですが、元々眠るのが大好きだった私は眠気に耐性がない人間だと自覚していたので、普通の人だったらダブルワークしていても我慢できている眠気だと思っており、絶対に眠ってはいけない運転中でさえ我慢することができない自分はなんて”ダメな人間”なんだと責めていました。
ダブルワークを始める前も居眠りはありましたが、この頃は特に酷く遂に上司に目を付けられました。
「若いから遊びたい気持ちもわかりますが、仕事中居眠りするのはナンセンスです。社会人として失格です。」
当時の上司からこういった内容のメールを個人宛で送られ、直接謝りに行くと無視。業務の内容で質問しても無視されて、失敗すると「こんなこともできないのか」と皆の前で叱責される。
同僚からも居眠りは流石にダメだよと言われ、自分自身でもなんで眠気ごとき我慢できないんだと責め続け・・・日に日に病んでいきました。

上司を前にすると呼吸がうまくできなくなり、やっとホテルの仕事から解放されて次のバイトへ向かう運転中何故か涙が止まらず、そんな時でも眠気はやってきて自己嫌悪。仮眠を繰り返しやっと次のバイトにたどりつきそこでも接客しながら掃除しながらーーーやはり居眠りしてしまい自己嫌悪。全て終わって漸く駐車場に辿りつくと我慢の限界で運転席で眠り、朝慌ててお風呂に入ってまた仕事に行く。その繰り返しでした。
でも若く経験もない私は、自分で選んだ道だからとこんな状況になっているのは自分の責任であり、せめて100万を貯めるまでは逃げてはダメだと、その思いだけで体を動かし仕事を始めて2年半、遂に目標の100万円をためる事が出来ました。
よし、これで憧れの東京に行けるぞ!
親への説明もそぞろに準備を始めていた私はーーーー

その翌年、”特発性過眠症”と診断されました。

きっかけは友人の一言
漸く貯めた100万、精神的にもきつかった私はホテルの仕事をやめ、バイト一本にし、準備をしながら友達付き合いも復活させていました。
仕事三昧だった私は内にためていた思いを吐き出すように、仕事できつかった時のことを聞いてもらってました。その流れで当然居眠りの話も。

「昔から眠気つよくてダメ人間なんだよね。仕事でも居眠りしちゃうし」
「え、そんな居眠りすんの?」
「毎日確実に。仮眠とっても無理だし、運転中だろうが立ち仕事だろうが関係ないよ」
「それ、病気じゃね?」
「・・・え?病気?」

病気の可能性を指摘されたのはこの時が初めてでした。
そんなわけないじゃんと言い返すも、自分はそんな眠気来ないし我慢しようと思ったら我慢できるもんと一蹴。
サクサクっとスマホで検索し、私の近所に睡眠外来があることまで見つけてくれました。私も行くだけ行ってみようという気になり、その場で予約して次の週に病院に向かうことに。
問診後、過眠症の疑いがあるとし、丁度治験を募集しているからやらないかと打診され、お小遣い稼ぎの感覚で引き受けたところ、あれよあれよという間に”特発性過眠症”と診断されたのでした。

(なんで私だけ)
(居眠りする病気って損じゃん。それなら目に見える病気のほうがよかった)
(でも、上司に詰められていたのは私のせいじゃなかった!!)
(どうしても寝てしまうのは私がダメ人間なんかじゃなくて、病気のせいだったんだ!!)

病気だったというショックと今までの罪悪感に免罪符が与えられた事の安心感。自分がダメ人間ではなく、病気だから仕方なかったのだという事実は、これまでの私を全肯定してくれたような錯覚まで感じました。
この日、ダメ人間だった私は「病気」という武器を手に入れたのです。


病気が分かったまでを書かせていただきました。
病気と分かり悩んだことは沢山ありますが、私の場合知らなかった頃より病気と自覚できたほうが心の余裕が段違いでした。なんてダメな人間なんだと自分自身で傷つけていた刃から守ってくれたからです。(それでいうと、武器というより防具ですね)
もし、このnoteを読んでくれた人のうち異常な眠気に悩んでいる方がおりましたら、ぜひ病院に行かれることをお勧めします。
原因がわかれば対策を打つことも可能だからです。

次回以降、病気を踏まえどのように行動を起こしていったのかを書いていきたいと思います。

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