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「社会主義経済の失敗」に関する批判的考察

はじめに

社会主義は失敗した―こうした主張が広く出回っている。これは社会主義は計画経済であり、そしてそれは非効率的だ、という観念がブルジョワ学者をはじめとして教科書含め世間一般に蔓延していることに起因していると思うが、この主張について批判的に考察する必要がある。蓋し、こうした発想、換言すれば彼らのいう「社会主義経済」は、問題の的の中央を射るどころかあらぬ方向に矢を飛ばし、そして物事のー官僚による計画経済のー置かれた歴史的状況とその本質から目をそらさせるためである。

特殊性を内包する計画経済

計画経済―ここでは国家と官僚による経済の管理を意味するのだろうが―は必然の産物ではなく、特殊なものであった。ソ連の父たるレーニンの「国家と革命」を読めば明らかな通り、「社会主義からはじめて社会生活と個人生活のあらゆる分野で、住民の大多数が参加し、ついで全住民が参加しておこなわれる急速な、ほんとうの、真に大衆的な運動がはじまるのである」(『国家と革命』、p139)とあり、大衆による国家の占拠と生産の管理を想定していた。だが、この「プロレタリア独裁」は、政治的にも経済的にも運動を通じて成熟した労働者でない限り全うできない。ではロシアではどうであったか、「ロシアにおける社会主義は、現実の矛盾に対する成熟した歴史的回答ではなく、より進んだ資本主義の経験を有する諸国から輸入された解決である」(『マルクスとローザ』、p17)とあるように、社会主義の客観的基盤が不十分なまま、しかも、「共産主義が発達した諸国においても勝利した場合にのみ、ロシア革命は共産主義になりうる」(同上、p16)というマルクスの予測通りにもいかないまま、社会主義政権が単独で誕生してしまった。その結果どうなったかはレーニン自身も認識している。ロシア共産党大会第八回で彼は、「『現在行政をやっている労働者層は、法外に、信じられないほどに、稀薄だから』、『ツァーリの官僚がソヴェト機関にはいってきて、官僚主義を実行し始め』」た(同上、p18)。つまり「マルクスや『国家と革命』のなかでレーニンが語った民主的意味でのプロレタリア独裁は実現せず、冷酷にも官僚的形態の独裁が実現した」(同上、p19)、というわけである。一言でまとめると、「社会主義の客観的基盤が整っていないがために、社会主義に歪曲が生じた」、ということだ。

計画経済における独占とブルジョワ的隠蔽

上述のことを考慮に入れれば、教科書のように計画経済の失敗を「社会主義経済の失敗」と一般化し豪語するのは全くの誤謬である。その上、なによりこの言説はブルジョワ学者の偉大な発見のように謳われているが、生憎もっともその本質―彼らが目を向けたくないであろう―をつかんでいたのは、ソ連ヘゲモニーに対抗する社会主義理論家であった。その代表的一例として、ユーゴスラビアの理論家カルデリは次のように説明している、「十月革命が帝政ロシアから引き継いだ後進性は、レーニンとソヴェト社会が革命的な民主主義の構想を実現させることはおろか、力強く発展させることも許さなかった」(『自主管理と民主主義』、p82)、そして、その結果レーニンの死後スターリンが「この構想をまず変形し、ついでに最終的に廃止してしまった」(同上、p82)。つまり「労働者」という一般的口実の下「中央集権国家の必然性、国家機構および当機構の指導的役割、国家による給与の決定、社会的資本の処分における中央集権国家の独占」(同上、p84)がドグマとなり、「労働の条件・手段・果実を自分で管理したいという要求に示される具体的な労働者の階級的利益および志向」(同上、p84)は反革命的、修正主義的といってソ連国内外問わず弾圧される。しかしこの状態は、まさにブルジョワ体制下における労働者の政治と経済分野での疎外と同様で、「国家機構と経済機関がテクノクラート=官僚独占をうちたてることによって社会化された過去労働の労働者からの疎外が起こるならば、実際問題として、労働者の社会的地位には賃金労働者的要素が極めて強く残るであろう」(同上、p28)、と。
この指摘こそ、「計画経済」の本質とともに「社会主義」の上っ面でしか理解していないブルジョワ学者の俗物さをさらけ出している。「失敗」の根拠づけとして出される「非効率」という彼らの渾身のレッテルも、労働者が結局労働疎外から解放されておらず、「労働は、自発的なものでなくて強いられたものであり、強制労働である」(『疎外された労働』(経済学・哲学草稿)、p92)からこそ、この学者らが形容するような状況が発生しているのだ、という事実をまったく反映していない。「社会主義の失敗」という彼らの主張は、所詮「労働者(労働)と生産とのあいだの直接的関係を考察しないことによって」、資本主義社会にも共通する「労働の本質における疎外を隠蔽している」(同上、p90)だけである。

おわりに

「計画経済」を社会主義一般の経済メカニズムととらえ、そして「非効率」で「失敗した」ととらえる教科書とブルジョワ学者の観念はなんらの正当性もなく、そして表面的なものに過ぎない―第一に国家による計画経済は史的唯物論に基づく、先進諸国との共同革命の失敗とロシアの後進性による特殊的措置であり、一般的に通用するものではないこと、また第二に、こうした事情と官僚主義による計画経済は、ブルジョワのと同じ、労働者を政治的・経済的管理から疎外するものにほかならない独占であるということ、これらの核心への無理解を、彼らは厚顔をもってさらけ出しているのだ。

追記ーユーゴスラビアの経済危機

社会主義経済の一つに、計画経済とはまた別のメカニズムとしてユーゴスラビアの協議経済があげられる。ユーゴでは間違えなく労働者の自主管理が行われており、労働疎外も、そして国家・テクノクラートの介入も解消の途上にあった。だが、1980年代以降の経済危機、そしてその後の崩壊をみて、「やはり社会主義経済は非効率で失敗だったではないか!」と主張したい方々もいると思うので補足するが、これは当時を取り巻く国際資本主義に起因するものが多い。まず、ユーゴスラビアは対外に多額の債務を抱えていたが、これはソ連と同様先進諸国での革命がなく、またソ連の教条主義(コミンフォルム追放に代表される)で援助に事欠けていたことが挙げられる。ここから引き出せる結論は「社会主義の失敗」ではなく「マルクスの見立てが当たった」、だろう。また、経済危機についても、「一九八〇年に始まる経済危機は、ユーゴスラヴィアとその「協議経済」体制の専売特許ではなく、八〇年代の国際的な危機の一環として生じた。第二次オイル・ショックと債務危機、世界経済の停滞がとりわけ「第三世界」を直撃し、多くの発展途上国が激しいインフレに見舞われ、社会不安から暴動や政権交代へと危機がエスカレートした」(『もっと知りたいユーゴスラヴィア』、p47)、つまるところ、「特定の経済体制が危機をもたらしたのではなく、体制を超えた『共通の原因』」(岩田昌征教授によれば「現代資本主義の経済法則」)「が存在したという結論が引き出されるのである」(同上、p48)。
勿論これらのことはユーゴスラビアの普遍性を主張するものではない。だが、同時にブルジョワ学者のいう一般化された「社会主義の失敗」も、所詮戯言にすぎない。どちらにせよ、理論の先駆者が「苦し紛れにやったことを美徳にし、この宿命的な条件によって強いられた戦術の全部を後に理論的に固定化して、国際的プロレタリアートに社会主義的戦術のモデルとして模倣させようとする時に、」(あるいはブルジョワが一般化して吹聴しようとする時に)「危険は始まるのだ。」(『ロシア革命論』、選集4、p263)

参考文献

・『国家と革命』、レーニン著、1957年、岩波文庫
・『マルクスとローザ』、レリオ・バッソ著、1970年、現代の理論社
・『自主管理と民主主義』、カルデリ著、1981年、大月書店
・『経済学・哲学草稿』、マルクス著、1964年、岩波分庫
・『もっと知りたいユーゴスラビア』、1991年、弘文堂
・『ローザ・ルクセンブルク選集 第4巻』、1962年、現代新潮新社


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