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最終出勤から、1ヶ月経って思うこと。(社会とわたし編)

本日、5月21日。
会社に最終出勤してから、1ヶ月が経ちました。
これは、アルバイトをクビになってから、1ヶ月間を家で過ごしたひとの物語です。

【最近のわたし遍歴】
・会社をクビになりました(クビ宣告3月31日)
・最終出勤から、1週間経って思うこと(最終出勤:4月20日、記事投稿日:4月28日)
・5月1日:無職生活のはじまり

つい先日、5月18日
「無職だから頑張れる」という記事を投稿するところまで辿り着いて
わたしなりに、いまの状況を謳歌する、という気持ちになれました。

いまだから笑って言うけど、
正直、しんどいこともたくさんあった。
いや、正確に言うならば「しんどい気持ちに勝手に陥っていた」だと思う。

会社をクビになったことそのものは、
アルバイトだったし、わたし個人の人格否定ではないということは
よくよく理解していたし、会社の人も精神的にすごくたくさんフォローしてくれたので
「人生初体験のクビだなあ…」くらいの感覚でいた。これは間違いない。

途中で、失業保険がすぐにもらえるかどうか、
「会社都合の退職になるかどうか」も、会社側に確認を取り、
「契約満了による退職なので、待機期間終了後はすぐに失業保険がもえらます」と言ってもらったので
収入がゼロになる、という不安もなくなった。

それなのに
なんだか、この気持ちを、なんて言ったらいいんだろう。
責めていた、自分を。確かに。

3月30日〜4月20日までは、リモートワークをしていたんだけど
たぶんこれがちょうど、「リモートワークにも慣れた頃」だったと思う。
約3週間、というのが変化した環境に順応するために必要な時間なのではないか。
と、最近になって思っている。

なので、せっかくリモートワークに慣れたのに
家の中で過ごす「休憩時間も含め、仕事をいていた9時間」というのが
急に宙に浮いてしまったのである。
どう過ごしていいかわからず、出掛けられるわけでもなく、
新しいことに取り組むチカラも持ち合わせず
ただただ、「時間が経つのが遅い」と感じていたことを、いまでも覚えている。

そんな中で、4月の下旬あたりから
ライブハウスのクラウドファンディングや、
ミュージシャン、アーティストたちのオンラインでの活動が活発になっていく中、
わたしは、自分の手足だって自由にきちんと動かせない、そんな気持ちだったのに
お世話になったライブハウスを支援する、向き合うことができるわけもなく
自分で更新するnote以外、沈黙を貫いていた。
いまでこそ言えるけど、この時期、他人と接するのがかなり怖かったと思う。

緊急事態宣言の中、休業していた人も世間的に多かっただろうけど
身近な友達は働いていたし、
ライブハウスにいる友達は、大変な状況を強いられていた。
でも、わたしは……
て、思ってしまう、よね。
友達と話すのが怖かった。誰かと、触れ合うことが


そんな中でも、「このままじゃダメだ」という
臆病な意志に動かされ、必死に書いたのがこの記事だ。
なぜ、自分が苦しいのか、ということに、ようやく向き合えるようになったのが、この時期だと思う。

それまで、4月中は「毎日noteを1本更新する」というルールで、ピアノ日記を更新していたんだけど
なにかに突き動かされるように、「毎日文章のnoteも更新しよう」と決め、今日まで毎日更新している。
この、書き続けることが、最終的に人と触れ合うこととなり、わたしの背中を後押しすることになったと思う。

もちろん、最初は1日1本の記事を書くっていうのは簡単じゃなくて、
「お風呂に入ったあとに頑張る」というルールとルーチンを設けていた。
いま思うと、日中わたしは何をしていたのだろうか……


5月11日の手帳に「立て直したい」と書いてあったので、ここから少しずつ生活の立て直しに向かえたような気がする。
ちょうど、最終出勤から3週間が経った頃だ。
この週は、ハローワークに行ったり、友達が個人的に仕事を頼んでくれたり、少しずつ、社会と触れ合うことができた。

5月16日の、 #ギヴン映画楽しく待とう のハッシュタグでの投稿についても
結果的に、わたしの背中を後押しすることになった。

ここまで読んでいただけた方ならば、もう素直に話すけど
「ギヴンのファンの方が、映画公開で悲しんでいる。それを支えたい」
なんて
わたしは、到底、思えなかったのである。ほんとうは。
だって、自分のことで手一杯だったし。(何もしてなかったのに!)
アニメ・映画ギヴンのバンド楽器の監修はやらせてもらっていたけど、それは個人的にスタジオ雲雀から請け負った仕事であり、
実際に、ギヴンという作品に対してアンオフィシャルなわたしたちが、
何かを発信することで、「オフィシャルな人」に迷惑をかけてしまったらどうしよう、という不安は、すごく大きかった。
わたしたちは、作品にも、楽曲にも、なんの権利だって持ち合わせていないのだ。

そう言うならば、「わたしがスガシカオの曲をカバーする」くらいの気楽さで向き合えばよかったんだろうけど、
落ち込み気味のわたしは、そこもうまくできず
松下にもマツムラにも、さんざん迷惑をかけてしまった……


これが、思ったより多くの方から反響をいただいたことで、
「わたしも何かしなくては」という気持ちで、この記事を書いた。

やりきった、と思えたのだろうか。
頑張らなければ書けないような記事を、確かに「頑張って」ここまで来た、と思えただろうか。
この夜わたしは、自分のテンションに後押しされて、5本の記事を書いた。

この夜が、今日までの自分を支えている。
やればできる、と思えたこと。
苦しみながらも積み続けたnoteが、自分の作品が、
なにより自分の存在が、自分自身を肯定できたような気がする。
「わたしも、頑張ってる」て
後ろめたさを少し、払拭できたような気分だった。


これからも、書き続けたい。と思えるようになってきている。
もし、もしだけど
書くことでお金をもらえて、書くことを仕事にできたら
こんな風に書いて毎日過ごせる、
いつかそんな日がきたら、こんな風になるのかな、なんて
少し前向きに思えるようになってきた。


ここ1週間くらい、たくさんのひとにお声かけいただいて
後押ししていただいて、ありがとうございました。
何がなくても書き続ける、そんな風に思っていたけど
ひとつずつのいいねや、メッセージが、わたしの存在肯定を後押ししてくれて
部屋の中にひとりでいるわたしにとって、社会との触れ合いでした。
「社会と触れ合うこと」、それが無職になって失ったものだったと思います。
そしてまた、「社会と触れ合うってすてきだな」と思えるようになったのは
ほんとうに、誰とも触れ合っていなければ、できなかったと思います。


これからも書き続けて、
無職になるときに決めた「働く意味を考え直す」ということに
再度、真摯に向き合っていきたいと思います。
ようやくここまでこれた、かな。


わたしと同じように、しんどい思いをしている人がいるかもしれない、と思い
格好悪い内容ではありましたが、今日までを振り返って記事にしてみました。
しんどいことも多いと思いますが、
みんなしんどいから、「しんどい」って言いづらいですよね。
みんな頑張ってるしさ。

でも、あなたの「しんどい」はあなただけのものであって、
隣の人があなたより苦しい状態だからと言って、その「しんどい」が打ち消しになるわけじゃない。


それぞれの苦しみの中で、活路を見出す。
わたしはこうやって、ここまできました。

「いやでも、まつながはnote毎日書いてるしえらいよな」て思っていただけたら、幸いですが
毎日何かができないあなたが、弱虫とかダメな奴ってわけじゃないです。
そこは間違えないでね。

苦しさの度合いも違えば、頑張るの度合いも違う。

ただ、わたしにとって「苦しみ」は「努力」でしか拭えなかった。
だから、もしちょっとでも「頑張りたい」て思ったら、少しムリをしてみて。
そのあと、たくさん休んで。
そして、「頑張りたい」と思えないならば、休んで。しっかりと、心ゆくまで。
休んでいることが罪悪感でなければ、きっとそのままでいい。

罪悪感に勝てなくなったら、ちょっと一緒に「頑張って」みましょう。
なんの方法でもいいので、わたしに声かけてください。

いま、時間はあるので。


たくさんの人に救われて、今日のわたしは本当に元気です。
ようやく、次の誰かに返したい、と思えるようになりました。

これからは、誰かの勇気とか希望とか、傷薬とか
あったかいミルクティーみたいな気持ちになれるような
そういう記事を、書いていきたいです。


photo by amano yasuhiro

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