【寄稿】a-specの視点から「性的指向」や「関係性」を問い直す ~ASAWに寄せて~

こちらの記事は、半ギレAroWeek2021のイベント3日目「《C》発表」の元になった原稿です。

時間が限られている中、度重なるコメントや話し合いに粘り強く応えてくださった原稿執筆者の方に、この場を借りて深く感謝申し上げます。ご協力いただき、本当にありがとうございました。(半ギレAroace)

――以下、原稿全文——

 今回の発表では、「性的指向」(※)という概念を問い直し、「関係性」についてa-specの立場から考え直してみたいと思い、原稿を作ってみました。何やら聞き慣れない言葉が早速出てきた…と挫折しそうになった方、とりあえずは安心してください。きちんとこの言葉についても説明したいと思います。最初は言葉がたくさん出てきますが、なんとか読んだり聞いたりしてほしいです。また、複雑な言葉や横文字が並んでいる部分も少なくないですが、もしこんがらがってきたりわからなくなってきたら、とりあえず飛ばしたりして読んでみてほしいです。
 さて、どうして「性的指向」や「関係性」は問い直される必要があるのでしょうか。それは、今まで「当たり前」とされてきて、深く考えられてこなかった「性的指向」や「関係性」といった概念の使われ方が、私達のaro-specを始めとして「当たり前」になっている規範からはみ出ている人を「見えないもの」にしてきたり、時には「おかしいもの」としてレッテルを貼ったりしてきたからです。そして、「何が当たり前になっているのか」を知ることで、もしかしたら今まで考えてこなかった物が実は「当たり前」ではなく、それが色んな人を苦しめていたり、もしかしたら自分にも良くない影響をもたらしていたのかも、と考えるきっかけにもなったら良いと思います。
 そして、「性的指向」の概念が変わらないと「aro-spec」とは何かと言ったことが伝わりにくく、私達を知ってもらうことが難しくなったりうまく伝わらない原因にもなります。この発表が、aro-specとは何かを考えると同時に、「性的指向」についても考えるきっかけになってほしいです。
※文脈によるので、この発表における全ての箇所に当てはまることではありませんが、ここで「性的指向」と「かぎかっこ」をつけているものは、私の性的指向の使い方とは必ずしも同じではないという意味を込めています。

1.ASAWとは

 今回の発表はASAWに合わせて作ったものなので、ASAWの説明から始めたいと思います。ASAW自体が英語圏由来のイベントということもあり、今回は英語圏のコミュニティで使われている概念を中心に説明したいと思います。
 ASAWとは、Aromantic Spectrum Awareness Weekの頭文字を取ったもので、Aロマンティックスペクトラムのアイデンティティが広く受け入れられることと、私たちが直面している問題に対する認識を広め、私たちの存在をネガティブな意味で捉えずに、多くの人に知ってもらうことを目的として、年に一度設けられている週です。現在はバレンタインの翌週におこなわれています。
 しかしこれだけでは何のことかわからない方のために、順を追って説明しましょう。

Aromanticとは?
 Aロマンティックとは、ズバリ「(行動とは関係なく)他者に恋愛的に惹かれをほとんど、もしくは全く経験しない人」(注1)を指し示すものとして一般的には用いられます。なお、惹かれ(注2)については後に説明します。
 ※定義に関しては、最後にもう一度考えたいと思います。これだけが全てと言っているわけではありません。
 このAロマンティックは、「恋愛的指向」(Romantic Orientation)の一つとされます。これは、「性的指向」(Sexual Orientation)と分けられて考えられます。また、「性的指向」と「恋愛的指向」は別物なので、英語圏ではAセクシュアルとAロマンティックは異なるものとして考えられている場合が多く、本発表でもそのように扱います。このように「惹かれ方」で分けることはSAM(Split Attraction Model)と呼ばれることもあります。(詳しい説明は後ほどいたします。)
 Aロマンティック(Aromantic)は、英語の綴りを短縮した「Aro」の略称で親しまれていて、AロマンティックやAroという表現だけでスペクトラム(詳しくはあとで説明します)を含むこともあります。しかし、今回はAllo(後述)と日本語で発音すると紛らわしい発音上の都合もあり、スペクトラムを含まないAロマンティックを「Aロマンティック」、スペクトラムを含んだAロマンティックスペクトラムを「aro-spec」と呼びます。
 ちなみに、Aセクシュアル(Asexual)は、「Ace(エーセクシュアルを短縮した呼び方)」の略称で呼ばれています。Aceという表現でもAceスペクトラムの人たちを表現することが出来ますが、今回の発表ではace-specと呼びます。また、Aセクシュアル、Aロマンティックなどの周縁化されたAスペクトラムの指向をまとめてa-specと表記します。(難しい用語が出てきてややこしいかと思ったかもしれませんが、ふーんという程度で頭の片隅に入れながら考えて読み進めてもらっても大丈夫です。)

➳恋愛的指向とは?

 恋愛的指向は性的指向とは関係なく、ある人のジェンダーに基づく他者への惹かれ方を説明するもので、恋愛的な指向自体は、aro-specの人だけに使われるわけではありません。
例えば以下のようなものが、その惹かれの方向性を表現する際に使われています。

・ホモロマンティック:自分と同性に恋愛的に惹かれる人
・バイロマンティック:男性と女性に対して恋愛的に惹かれる人
・ヘテロロマンティク:異性に対して恋愛的に惹かれる人
・パンロマンティック:全てのジェンダーの人に対して恋愛的に惹かれる人
・ポリロマンティック:全てではないが、複数のジェンダーに対して恋愛的に惹かれる人

 性的指向と恋愛的指向は一致している場合が多いですが、異なる場合もあり、クロスオリエンテーション/ミックスドオリエンテーション(cross-orientation/mixed-orientation)などと呼ばれることもあります。逆に、恋愛的指向も性的指向も同じ(例えばAロマンティック・Aセクシュアルやヘテロロマンティック・ヘテロセクシュアル)の人はペリオリエンテッド(Perioriented)と呼ばれることもあります。
 日本のAro/Aceコミュニティを対象に行われた「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム調査2020」によると、以下のように、恋愛的指向と性的指向の組み合わせは様々です。

あろえーす調査①

『アロマンティック/アセクシュアル調査 2020概要報告』(P.37)より。

➳日本における事情

 ここまで英語圏の「恋愛的惹かれ」という概念を説明したのですが、日本の状況も見ていきましょう。
 日本においてもaro-specの概念は広まってきていますが、日本では「アセクシュアル」「ノンセクシュアル」と言った概念が英語圏とは独自に開発・利用されてきました。
 ノンセクシュアル(性的な惹かれはしないが、恋愛的な惹かれはする人)はRomantic な惹かれをするAsexualと似たような概念と言えます。この概念は、英語圏の「恋愛的惹かれ」や「恋愛的指向」の概念が主に輸入される前に日本で使われ始めた概念だと思われます。これはおそらく、「性的にも恋愛的にも惹かれない人(もしくは性的欲求などが無い等)」と理解されていた、アセクシュアルに対して、恋愛的な惹かれはする当事者たちが自らを説明しようと思って出来た概念だと思います。「性的な惹かれをしない」なら「恋愛的にも惹かれないはずだ」という考え方によって自身の状態を表現しにくかった日本の当事者は、aro-spec概念が使われるようになる前から自分たちを説明する用語を開発し、使ってきました。
 日本で慣例的に使われてきた「アセクシュアル」概念はたしかにSAMを導入していませんが、当然のことながらこれが間違っているというわけでは全くありません。「性的にも恋愛的にも惹かれない」など、英語圏の使い方以外で、自らのアイデンティティを「アセクシュアル」という言葉で説明している当事者の方に対して、「その使い方は間違っている」と言ったりしてはいけません。また、ノンセクシュアルという言葉を使っている人に対して、Romantic Asexual等の使い方を強制するのもおかしいことです。2020年に日本語圈のaro-spec/ace-specを対象に行われた調査によると、英語圏の「ロマンティック・アセクシュアル」に当てはまる回答者のうち、8割の人は自分のこと「ノンセクシュアル」と表現していることがわかります。

あろえーす調査②

『アロマンティック/アセクシュアル調査 2020概要報告』(P.38)より。

Spectrumとは?
 先ほど説明した、「恋愛的指向」の中でも、「『完全に』恋愛的に他者に惹かれるとされる人」とAロマンティックのどちらかにきっぱり分けられない人も居ます。
また「完全に」他者に恋愛的に惹かれているとされている人をAlloロマンティック、もしくはZedロマンティックと呼びます。Alloロマンティックと言う概念は、どのジェンダーに惹かれるのかという「矢印の向き」とは関係なくどちらかというと「どのように他者に惹かれるか/惹かれないのか」という点において、「完全だ」(規範的)とされているような惹かれ方を指しています。従って、場合によってはホモロマンティック、バイロマンティック、ヘテロロマンティック、ポリロマンティック、パンロマンティックなどのあらゆる指向もAlloロマンティックに含まれる場合もあります。
また、これらの指向であってもグレーゾーンであったり、Alloではない指向と重なることもあり、必ずしもこれらがAlloとも限りません。
※Alloは「他者」という意味を持つ接頭辞です。ここでは「他者」に惹かれているとみなされている場合は、惹かれる方向とは関係なく「Allo」とされます。またゼッドロマンティックという表記は最近はあまり使われませんがZがAの反対にあるため、ゼッドロマンティックという表記もされていました。

このような人たちのアイデンティティを説明するために、コミュニティではAromantic Spectrumという言葉を使い、AとAlloの二項対立ではこぼれてしまう恋愛的な指向を持つ人を包括的にコミュニティのメンバーとして考えています。
はじめの方に述べたように、Aromantic Spectrumの中に入るアイデンティティを持つ人をまとめて「Aro」と表現することも多いですが、Aロマンティックスペクトラム上のアイデンティティを今回はaro-specと呼びます。
 さて、aro-specの中には、先程紹介したAロマンティック以外にも、様々なアイデンティティが含まれます。
 スペクトラムについて、後ほど深く述べたいと考えているため、ここではAロマンティックスペクトラム上にある代表的なアイデンティティラベルを紹介していきたいと思います。ただし、これだけが全てというわけではありません。ここで述べられていないaro-specアイデンティティを持つ人ももちろん居ます。そして、ここに述べたものはあくまでもアイデンティティの私の解釈の一部です。なので「これに当てはまらないから私は違う」「あの人はこの定義に当てはまらないから偽物だ」なんてことは断じてありません。

①グレーロマンティック(Gray-romantic)
 これは、AとAlloロマの間の中にあるグレーゾーンの中にいる人達を表現するアイデンティティです。グレイAと呼ばれることもあります。
例えば、「AロマとAlloロマの間のどこかにいると感じる人」「まれに恋愛的な惹かれをする人」「曖昧な恋愛的な惹かれをすると感じる人」…などがその中に含まれます。

②デミロマンティック(Demiromantic)
 これは「一定以上の感情的な結びつきを持った人に対してのみ恋愛的な惹かれをする人」を表すアイデンティティです。
一般的に、見知らぬ人や親しくないと思う人に対しては、恋愛的な惹かれをしないとされます。デミロマンティックは先ほど説明した、グレイAロマンティックに含まれることもあります。以下の他のアイデンティティラベルも同様に、グレイロマンティックに含まれるとされることもあります。

③フレイロマンティック(Frayromantic)
 フレイロマンティックは、見知らぬ人やあまり馴染みのない人に恋愛感情を抱くが、お互いをもっと知るようになるとその感情が薄れていく人を表すアイデンティティラベルです。デミロマンティックの反対であると考えると理解しやすいでしょう。

④クワロマンティック/WTFロマンティック(Quoiromantic/WTFromantic)
 クワロマンティックは一般的に、「恋愛的な惹かれ」という概念で自分を説明できないと考えて拒否をしたり、この考えに挑戦しようとする人たちや、「恋愛的な惹かれ」がよくわからない人などを、一般的な恋愛、恋愛的惹かれ、恋愛的指向などが理解できない人が用いるアイデンティティラベルです。自分の経験をプラトニックな惹かれ/友情と、恋愛的な惹かれとを区別出来ない人を表すアイデンティティとして用いられることも多いです。
※クワロマンティックの人の中には、自分たちがaro-specの一員であると考える人もいる一方で、aro-specに属していない/属せないと考えている人もいる点には注意が必要です。
(クワはフランス語読みですが、クォイと訳されることもあります。)

⑤リスロマンティック/アコイロマンティック(Lithromantic/akoiromantic)
 リスロマンティックは、主に自身は恋愛的な惹かれをするかもしれないが、自分がその相手から惹かれる(両思いになる)ことを望まない人を表すアイデンティティです。
 恋愛関係(両思い)になると、違和感を覚えたり、相手を恋愛対象と思えなくなる場合もあります。俗に、蛙化現象と呼ばれているようなものを思い浮かべていただけるとわかりやすかもしれません。

⑥キュピオロマンティック(Cupioromantic)
 恋愛的な惹かれをしないものの、恋愛的な関係を望んでいる人を指します。もしくは、例えば恋愛的な惹かれをするのは時々であったり、親密的な相手にのみ恋愛的な惹かれをする場合であっても、恋愛的な惹かれをしないことと、恋愛的な関係への願望が同時に存在する人を指すこともあります。

⑦アブロロマンティック / アロフラックス(Abroromantic/Aroflux)
 性的指向のように、恋愛的指向も時間の経過とともに変化することもあり、Aロマンティックスペクトラム上の位置も変化するかもしれません。恋愛的な惹かれの経験の仕方がAロマンティックスペクトラムを含む形で変動したり、恋愛的な惹かれの強さが変動したりする人を表します。
具体的には
Ⅰ.Aロマンティックスペクトラムの内部のアイデンティティの間で(例えば、デミロマンティックとAロマンティックなど)恋愛的な惹かれを流動的に経験する人。
Ⅱ.AロマンティックスペクトラムとAlloロマンティックとの間で恋愛的な惹かれを流動的に経験する人。
このどちらかを示すことが多いです。

 上記以外もたくさんのaro-specアイデンティティがありますが、時間の都合上省略させていただきます。もし自分に合うアイデンティティラベルがなかったとしても、検索したりすれば自分にぴったりなものがあるかもしれませんし、もしなかったとしても自分に無理やり当てはめる必要があるわけでもありません。

Awarenessとは?

 「意識」「知ること」などと訳されますが、これは世間にまだ認知されてないaro-specについての考え方を広めて、私達aro-specに対する誤解を解いたりすることが行われたりします。これを「正しく知ること」は、もちろんaro-specの人たちを知ることにも繋がりますし、aro-specだけでなく恋愛至上主義的な世界のなかに馴染めない人が普段どのような言説に接しているのかが具体的にわかるのではないでしょうか?この、恋愛至上主義を問い直すきっかけになってほしいです。
 では「知られてないこと」や「正しく理解されていないこと」によって、どんな問題が起きるのでしょうか?
 どのような差別や偏見に晒されるかは、個々人によって違います。具体的に差別をもたらすものについては後で触れますが、ここではAロマンティックであることをカミングアウトした際に、どのような反応をされるのかをいくつか書いていきたいと思います。
 認知されていないことにより私達の存在が抹消されたり、誤解や無知によってaro-specのアイデンティティが「無効化」「病理化」されるなどの偏見が生じているので、Alloロマンティックの人たちとの「ズレ」を述べることは重要です。
 そして、aro-specのアイデンティティや考え方などを知ることによって、「自分もaro-specかもしれない」「aro-specを知らなかったけれど、私も同じような差別を受けて苦しんでいた」という人がaro-specと出会う可能性を増やすことで、潜在的に同じような感覚を持つ人が自分のアイデンティティを持ったり自分に自信を持てるようになるかもしれません。
 同時に、aro-specの人たちの間で自分たちの経験を共有したり、祝ったりする場でもあります。日常的に受けている誤解により苦しんでいる経験を語ることにより、自分の理解を深めたりすることが出来ます。
 またAwarenessが重要なのは、aro-specのためだけでもありません。aro-spec以外にも恋愛至上主義的な言説によって同じような経験をすることは、aro-specのアイデンティティをまとっているかに関係なく存在するでしょう。
 そして、一般的に「当たり前」とされてきた恋愛至上主義的な考え方について再考するきっかけにもなるでしょうし、aro-spec以外にも恋愛至上主義的な言説に「NO」を突きつけるためにも「正しく知ること」は重要なことです。Alloロマンティックであることが正常であるとされてきた社会との「ズレ」を見ていくことで、「何が正常とみなされるのか」がより理解できるようになるのではないでしょうか。

この先では具体例を紹介しています。
場合によっては精神的な負担になるかもしれませんので、閲覧の際はご注意ください。
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(具体例は以下のリンクからご覧いただけます。)

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 このように、社会的には理解されなかったり誤解されたりしていることが多いわけですが、aro-specを知らない人に対しては、「こういう人もいるんだよ」と知ってもらい、「そういう人はいるけど良くは知らない」人や誤解している人に対しては、「正しく」aro-specのことを知ってもらうためにはAwareness(正しく知ってもらう事)はとても重要になるのです。
 そして、この言葉を知らなかったけど、同様の経験をしたことがある人もいるかも知れません。そのような人たちが「aro-spec」の言葉や考え方を知ることで救われた気持ちになったり、心の支えになるかもしれませんし、アイデンティティとするきっかけになるかもしれません。潜在的に同じような状況の人が、この出会う可能性を多くするためにも、Awarenessは重要になります。
 また、危害が加わりにくいオンライン上でアイデンティティを開示したり、経験を共有したり話し合うことはとても有意義なことなのです。このように、aro-specの人たちが、自らのアイデンティティをより理解したり、自分を見つめ直したり、誇りを持ったりすることも、このASAWの目標の一つで、ASAWではオンライン/オフラインともにイベントなどが開催されたりもします。

Weekとは?

 説明するまでもなく「週」です。最初にAWW※が行われたのは2014年の11月の11-17日にかけてでした。しかし、2015年からは今のようにバレンタインの翌週に行われています。毎年バレンタインの時期になると、日本では棚にチョコレートが並んだり、世間が恋愛ムード一色で、デートなど、一般的なロマンティックなものが称賛されているわけです。しかし、すべての人がこのムードの中で祝福出来るわけではありません。
 このように、バレンタインデーを祝福出来るわけではない人たちが、自らを祝福したりねぎらったりするためにもこの週に行われることは重要なのです
※この当時はAromantic Awareness Weekの略のAWWが主に使われていました。

2. Aroと「関係性」

 さて、さっそく本題に入りましょう。
aro-specは、「誰もが恋愛感情を持っているはずだ。」「誰もが恋愛関係を持つことを望んでいるはずだ」というような考え方に周縁化されています。
しかし、その前にはまず、「何が『恋愛』とみなされているのか?」というところから入らないといけませんね。
 もちろん何が「恋愛」「Alloロマンティック」とされるかは文化によっても時代によっても、個々人の主観によっても変わります。

➳今の日本で「理想的」とされる恋愛とは?

 では、どのような「恋愛」が素晴らしいものと考えられているのでしょうか?
伊田広行さんの『シングル単位の恋愛・家族論』(P. 145-146)に書かれているものの一部を要約して紹介します。
①恋愛はいいものであり、するのが当然で幸せなことである。
 ※ここで想定されているのは異性愛のみ。
②恋愛はお互いが補い合い、一体となる完全調和・一心同体のものである。
③愛のあるセックスは素晴らしく、特に結婚につながるセックスは倫理的によい。
④一対一の関係がよいものである。
⑤恋愛においても結婚においても、二人の関係が長続きするのはよいことである。
⑥恋愛・愛情は直感や相性であって、理性的に説明できるものではない。

◯でも、そもそも「恋愛」って普遍的なものなのでしょうか?

➳恋愛輸入説

 恋愛至上主義、恋愛イデオロギーはそもそも西欧から輸入されたものであるという考え方があります。(輸入された時期についても諸説ありますが、明治以降とされていることが多いです。)それまでの、日本ではそもそも『恋愛』という概念が有りませんでした。そして、西欧から輸入されたと述べましたが、西欧においても、「ロマンティック・ラブ」の歴史は浅いものと言われています。歴史的にも、「恋愛」とは最近になって発明された概念であると言えるでしょう。昔から当たり前だったものではないのです。

➳恋愛至上主義社会における生き辛さ

 しかし、「恋愛」が近代になって作られた概念であるにも関わらず、「恋愛してないなんておかしい」「恋人がいないなんて寂しい」「恋愛は究極の愛のカタチ」…このような恋愛主義的な言説は世の中の至るところで見られますね。
こんな社会のステレオタイプがはびこっていて、このような恋愛至上主義的な言説が、a-specに限らず、たくさんの人に対してマイナスの影響を与えています。
 そして、恋愛至上主義の中で「恋愛的に惹かれない」ことをカミングアウトしても「ありえない」「まだ出会っていないだけ」「嘘に決まってる」「病気じゃないの?」「格好つけているだけ」「考えすぎ」…こんな発言ばっかり投げかけられてしまうのです。
 では、このような恋愛至上主義に対抗するために、a-specコミュニティはどのような言葉を生み出してきたのでしょうか?aro-specコミュニティで使われている言葉を見ながら、具体的に考えていきましょう。

➳Aroを差別・周縁化するもの

 まずは、どのようにaro-specの人たちが周縁化されて、差別を受けてきたのかを説明します。aro-specコミュニティで用いられている言葉以外も使って説明してみたいと思います。

①アマトノーマティビティ/恋愛伴侶規範(Amatonormativity)
 アマトノーマティビティ(注3)とは「ある一人の人を独占して、一対一の関係で、人間関係の中心となるような長期的な恋愛関係を築くことは人にとって最高の幸せだから、誰もがそういう関係を持ちたいはずだよね。」という規範を指すもので、aro-specコミュニティでよく用いられている言葉です。Amatonormativityという言葉はエリザベス・ブレイクさんという方が『Minimizing Marriage: Marriage, Morality, and the Law』(邦題:『最小の結婚』)という本の中で用いた造語で、このようなアマトノーマティビティが社会の中で強く働いており、その結果、恋愛関係、夫婦関係が至高の関係であり、他の種類の関係に優先すべきであると考えられた結果、友情などが軽んじられてしまいます。

②ロマンティック・ラブ・イデオロギー(恋愛結婚イデオロギー)
 これは、英語圏のaro-specコミュニティではあまり使われていませんが、日本ではしばしば使われている概念なので、ついでに紹介します。
 ロマンティック・ラブ・イデオロギーとは、「恋愛、結婚、性(とその帰結である出生)が、不可分に結びつくべきとする規範」です(小林・渡邊ら:2017)。このロマンティック・ラブ・イデオロギーは、もともとは近代に入って欧米で成立した性愛、恋愛、結婚に関する規範であり、しばしば「日本では解体した」とされていますが、その残滓は未だに強く残っているように感じます。例えば、このような恋愛・結婚・生殖は三位一体であるべきという規範のせいで「恋愛的には惹かれるけど性的には惹かれない」というAロマンティックかつ非Aセクシュアルである人が「不純だ」といった偏見を持たれることもあるようです。また、すべての人が誰かに性的に惹かれていたり、性的な行為には興味があるはずだという規範(強制的性愛)がありますが、性愛と恋愛が結びつくことで、強制的性愛によって疎外されることもあります。
 また、ロマンティック・ラブ・イデオロギーが弱体化しても、恋愛と結婚を結びつけるロマンティック・マリッジイデオロギー(恋愛と結びつく結婚を理想とする規範)(谷本・渡邊:2016,小林・渡邊ら:2017 )が残存していると言う人もいます。「婚姻」という「特定の関係性を国家が承認し特別優遇する制度」(小松:2016)があり、結婚が素晴らしいものとされている以上、そのような結婚観から排除されているように感じたりする人も少なくないでしょう。もちろん「友情結婚」のように「恋愛を伴わない結婚」の形式もありますが、「結婚と恋愛が結びつくべき」という価値観が根強い中で「結婚」という制度の恩恵をそのせいで受けられない人もいます。

③独身者差別(シングリズム)、カップル(家族)規範、婚姻制度
 ①のアマトノーマティビティや、②のロマンティック・マリッジイデオロギーとも関係していますが、結婚している人以外が差別されている現状があります。例えば、独身の人に対して、欠陥がある、孤独で悲しいといった、ステレオタイプが貼られることがあります。例えば、伊田広行さんという方は、社会が「家族単位」「カップル単位」で出来ていて、特に男女が統合して初めて「一人前の社会単位」となっていると述べています(伊田1998a:22)。そして、個人は単位のなかの構成要素(夫、妻、子、障害者、高齢者など)は部分でしかないので、家族を作っていない者、家族という大きさ以下の者、家族外の者(独身者、離婚者、同性愛者等)も「単位」でさえないような「半端者」とされて、差別されると述べています(伊田1998b:10)。そして、結婚が必然視、幸福視されるという。そのようなカップル単位の社会の中では、Aロマンティックの人々は疎外感を感じたりする可能性があるでしょう。特に、婚姻という制度は「一対一の関係性(つがい)」からなる「カップル主義」を再生産するものとも言えますが(堀江:2011)、婚姻制度が国家的に承認されていて、社会的にも文化的にもすべきものであるという価値観がある社会の中で、排除されていたり、疎外感を覚えるaro-specの人も少なくありません。

◯関係性を問い直す
 「関係性」という言葉で何が思いつくでしょうか?色々あると思いますが、恋愛が特権的だったりして、それ以外の関係性が忘れ去られてしまっていますよね。
例えば、「男女関係」と言ったときに、勝手に恋愛関係と考えらることが多いですが、男女の関係は恋愛関係にもありますよね。また、結婚制度のように、異性間で排他的な二者間の理想的なカップル関係だけが国に特権的に権利を与えられたりしていますよね。しかし、恋愛以外の関係が軽んじられて良いわけではありません。
 では、恋愛関係「以外」にはどのような関係があるのでしょうか。
 aro-specコミュニティで用いられている関係性に対する言葉を見ていきましょう。ここで上げる言葉は、必ずしもaro-specコミュニティ内部だけで用いられている言葉ではなく、aro-specを始めとするa-specコミュニティ以外の方が多く用いられている語もあります。そして、aro-spec以外の人が用いても問題のない言葉が多いです。
※aro-specの人たちの中で、このような関係を望んでいる場合もそうでない場合もあります。

◯恋愛に対する態度
 関係性を述べる前に、aro-specは一般的に惹かれではなく「行動」で定義されているので、恋愛に対する態度も様々であることも言っておきましょう。aro-specと言っても、恋愛をどのように捉えるかは多様です。

➳恋愛嫌悪/反発、恋愛無関心、恋愛好意的

 aro-specは行動ではなく「恋愛的な惹かれ」に基づいて定義されており、aro-specだからといって「恋愛関係」を望まないとは限りません。
恋愛に対して、ポジティブな人も嫌悪する人も無関心な人もいます。
そして恋愛に対する態度や感情は、状況によって、時間によって変わる人もいるかもしれません。
 なので、恋愛関係を持っているからと言って、必ずしもaro-specではないと否定してはいけませんし、aro-specなら恋愛に否定的と決めつけるのもよくありません。また、aro-specだったらロマンティックなフィクションや描写を見たりすることを好まないとも限りません。

1)恋愛嫌悪/反発(Romance averse/repulsed)
➳ 恋愛感情の表現や、自分に恋愛感情が向けられることに対して、不快感を持つ人です。程度は人によります。
2)恋愛無関心(Romantic indifference)
➳ 恋愛や恋愛表現に対して、不快にならないけれど、特に熱狂的にもならない人です。
3)恋愛ポジティブ(Romantic positive)
➳ 恋愛や恋愛表現に対して快適だったり好意的に感じる人です。

➳関係性を表す言葉

①クィアプラトニックリレーションシップ(Queerplatonic Relationship)
 クィアプラトニックとは、規範的な「友情」を超えた強いつながりを説明するものです。QPRとも略されることもあります。そして、QPRパートナー(一人とは限りません)との間の行動や親密性は、「恋愛」関係でも性的な関係でもない関係であることが多いですが、恋愛のように「独占的」・「排他的」ではないことも多いです。そして、QPRパートナーのことはズッキーニと呼ばれることがあります。

②スクィッシュ(Squish)
 誰かに、強く親密だが、恋愛的/性的惹かれは伴わない関係(プラトニックな関係なども含む)を持ちたいと思うことです。QPRを持ちたいと考える理由になることもあります。aro-specコミュニティ外部でも使われます。

③リレーションシップ・アナーキー(Relationship Anarchy)
 RAと略されることもあります。関係性において恋愛的・性的な関係など、どのような感情的な親密さも特別なものとはみなさない関係性です。そのためアマトノーマティビティを始めとする、ある特定の関係が他の関係よりも重要であるという考え方を否定します。aro-specコミュニティ外部でも使われます。

④ポリアフェクショネート(Polyaffectionate)
 ポリアモリーの一種で、同意の上で複数のパートナーを持っており、その関係性の中で恋愛的かつ/または性的な関係でない関係を実践したり望んでいる人のことです。

⑤ノンアモーラス/ノンパートナーリング(Nonamorous / Nonpartnering)
 他の人と重要なパートナーシップを形成しようとは思わない人のことです。

⑥Chosen family
 生物学的または法的な関係があるかに関わらず、感情の結びつきに基づいて、互いの生活に重要な役割を果たすために意図的に選択し、家族を考慮している個人のグループのことです。

⑦Soft romo
 低いレベルのロマンティックなものを表す形容詞です。soft romoな関係は、クィアプラトニックな関係とロマンティックな関係の間のどこかにあるものと定義されています。

➳草食系について

 日本でもここ10数年ほどで、「草食系」という言葉がよく見られるようになったと思います。一般的な「草食系」の使われ方を見ると、「恋愛的な行動」に対して消極的という使われ方をされていて、必ずしも「惹かれのあり方」で定義されているaro-specと一致するわけではないように私は感じますし、しばしば「恋愛行動を望むけど、うまく行かない人」のように語られることも見られるような気がします。しかし、このように「草食であること」が注目されることは、(特に男性なら)「『肉食』が当たり前」という社会規範があったことの裏返しではないでしょうか?草食系という言葉自体が「恋愛に消極的で恋愛至上主義的な規範から外れている人」をそのようにカテゴライズしているだけかもしれませんし、実際に恋愛至上主義的な規範が問い直されていることは必ずしも同じではないと思いますが、誰もが恋愛をしたいはずだ、という価値観や恋愛に積極的でなければならないという世の中に対して苦しさを持つ人が出てきたことの現れとも言えるかもしれません。

3.「性的指向」を捉えなおす

 性的指向/恋愛的指向については最初に説明したと思います。
 aro-specの理解が進まないもう一つの理由に「性的指向」概念が凝り固まっていて、問い直されていないことがあると思います。英語圏を始めとするa-specコミュニティも、ノンセクシュアルという言葉を作り出した日本のコミュニティも、このような「性的指向」の概念によって窮屈な思いをしてきたのだと思います。私達が自分たちを説明するために言葉を作っていても、「性的指向」の概念が従来どおりであると解釈されにくいというのが問題であると私は感じています。
 「性的指向」は一体どのように理解されてきたでしょうか?
 従来は、「性的指向」は方向性だけで考えられており、その中身についてよく考えられてこなかったと思います。具体的には同性に惹かれる(レズビアン、ゲイ)、異性に惹かれる(ヘテロセクシュアル)、両性に惹かれる(バイセクシュアル)…と言った考え方ではなかったでしょうか。おそらく「誰に惹かれるのか」という矢印で考えられて来たことが多いと思います。もしくは、「惹かれ」ではなく、「行動」であったり「欲求」であったりする場合もあるでしょうが、それをうまく分節化して来なかったかもしれません。そして、その概念を元に「どの性にも惹かれない(=矢印がどの方向にも向かない)」Aセクシュアルが加わっているように解釈されていると思います。
 確かに、それは間違っていないかもしれませんが、誰かに惹かれる人(Allo)と誰も惹かれない人のような「ある/なし」という二値的な考え方をすると、見落とされてしまうものがたくさんあるのではないでしょうか?
 矢印の向きだけを考えてきた今までの「性的指向」の使われ方だと、その矢印で表現できない人たちが出てきてしまうのです。したがって、「性的指向」という矢印の向きだけでなく、その長さや性質や使われ方などを考え直してみませんか?さらには、矢印として解釈すること自体が本当に妥当なのか、その中で見落とされてしまう人たちが存在するかもしれないということをもう一度考えてみてほしいです。
 では、具体的にどのように、a-specの人たちが見えなくされていたのかを考えていきましょう。
 1つ目は、最初にも述べた恋愛的指向の「不可視化」です。
 そこで、このような指向を考える際に元になる惹かれについて説明していきたいと思います。

①「惹かれ」を考え直す
 まず、性的惹かれ、恋愛的惹かれ…のように惹かれ方を分ける考え方をSAM(Split Attraction Model)といいます。
 惹かれにもあらゆる種類がありますが、性的惹かれ、恋愛的な惹かれ以外にも例えば、以下のような惹かれが説明の際に用いられることがあります。
これらの惹かれは同時に持つこともあれば、そうでないこともあります。
また、これらの惹かれはあくまでも具体例で、これ以外にも用いられている惹かれはたくさんあります。

1)プラトニックな惹かれ(Platonic attraction)
 誰かと友達になりたいという惹かれ。一緒に時間を過ごしたり、一緒に会話をしたいという願望も含まれます。QPRを求めるaro-specが用いることもあります。
2)触れ合いに対する惹かれ(Sensual attraction)
 誰かと親密に触れ合いたいという惹かれ。寄り添ってキス、手を握るなどを含むことができます。
3)審美的な惹かれ(Aesthetic attraction)
 誰かの見た目に惹かれること。ある人の外見や美しさに惹かれることです。
4)代替的な惹かれ(Alterous attraction)
 必ずしもプラトニックおよび/またはロマンティックとは限らない、感情的な親密さへの惹かれ。

 例えば、aro-spec(もしくはAce)でSensual attractionを持っている人も居ます。この場合、キスやハグ、手つなぎなどを求めているからと言って、恋愛的に(または性的に)惹かれては居ないかもしれません。同じように、誰かの「見た目」に惹かれたとしてもそれは、その人に「性的」「恋愛的」…に惹かれていることを意味しません。また、逆に性的に惹かれていたり、恋愛的に惹かれていても、他の惹かれが無かったり、嫌悪する場合もあるでしょう。

➸SAMを使うことの問題点

 SAMはヴァリオリエンテッド/クロスオリエンテッド(指向を複数持っていて、それらが不一致であったり分裂していたりすると自分を考える人のこと)(Varioriented/Cross-oriented)の人や、恋愛的/性的惹かれや指向の混同によって不可視化されたり、自分の説明に困っていた人に対して使いやすい概念ではあります。そして、何よりaro-specについて説明するのに便利な概念であったことから広く利用されてきました。しかし、他方で問題点もあります。

➸(特にa-specコミュニティ内における)SAMの規範化(注4)

Ⅰ.「指向」を「恋愛/性愛」の二分法で語るという規範
 それ以外の指向を使って自分を表現する人を周縁化します。例えば「プラトニック・触れ合い・審美的…」といった「指向」が「正当のものではない」として排除されてしまうかもしれません。
※例えば、そして、すべての人が「指向」を「性的」「恋愛的」とラベリングしている/できるわけでもありません。
※例えば、プラトニックアトラクションがない人はAplatonicと呼ばる場合もあります。詳しくは下記参照。
『Aplatonicism 101』(最終確認日2021年2月26日)

Ⅱ.「指向」が必ず複数あるはずだという規範
 指向が「単数である」ということによって自分をうまく説明できなくなる人がいるということを述べてきたと思いますが、「全ての人」が「複数の指向」を持っていると感じているわけでもありませんし、「分けられる」「別物である」と考えているとも限りません。「指向」を分けるということが規範になることによって、息苦しさを感じる人もいるのです。

Ⅲ.a-specならSAMを用いて考えるはずだと言う規範
 そして、aro-spec/ace-specをきっちり分けることで見落としているものもあるでしょう。恋愛的な惹かれと性的惹かれは「本質的に異なる」としてしまうことは、すべての人の経験を表現できるのでしょうか?SAMによって、原理的にはすべての人を分けることができるとすることにも問題はあり、この表現を複雑にすることは、a-specコミュニティ内だけでなく、あらゆる性的マイノリティのコミュニティなどにも混乱を与えることもあります。SAMによって自分を表すことができることができるa-specの人たちがたくさんいることは重要ですが、分ける必要がない/分けられないと考えている人たちに対して、分けられるはずだ、という考え方を押しつけてはいけません。
 「惹かれ」をどのように分割するかに関しては、それぞれの人が生きている社会の影響など、あらゆる複雑な要素の影響も受けているでしょうし、分け方や感じ方だってその人の主観によって違うでしょう。それにも関わらず、限りのある惹かれの種類で全て分けられると考えることには無理があるかもしれません。
 上記のように、今まで「すべての人が恋愛的な惹かれや性的な惹かれや…様々な惹かれの方向が一緒である」とされてきたことに対して、問題が生じているのですが、すべての人が「これらの体験が別である」とも限らないことにも注意してほしいです。

➸Unit Aro/Non-SAM Aro

 そして、aro-specの中にもSAMを用いて自身を表さない人もいて、unit Aroと呼ばれることもあります。Non-SAM Aroと呼ばれることも多いですが、SAM-Aroという言葉がほとんど使われていないことも含め、わざわざ「SAMを用いていないaro-specだ」と言うことは、「SAMを用いて自身を表すことがaro-specコミュニティの内部においては『当たり前』である」というニュアンスを持ってしまうので、最近ではunit Aroという呼び方が使われ始めています。
 ここまで問題意識も反省するために挙げてきましたが、「惹かれ」が一つだとは限らないことは、aro-specを理解することにおいてとても重要になります。「性的な惹かれ」と「恋愛的な惹かれ」を同じものとして考えることで、自分たちのことをうまく説明できなかったり、存在を忘れ去られてしまっていたものがあるからこそ、「惹かれ」を分けたり、あらゆる「惹かれ」に関する概念が生まれたりしたのです。

②不可視化されている「スペクトラム」を可視化(Awareness)する
 a-specコミュニティでは、スペクトラムが重要な概念の一つです。それは、今回のASAWという名前からもわかると思います。しかし、AlloとAのように、他人への惹かれが「ある/無し」のような二値的な考え方だと、その「中間領域」、「周辺領域」が不可視化されてしまいます。
 そこで、性的指向/恋愛的指向などで無視されがちな「あり方」を考える必要がります。

➳②-1.中間領域の不可視化(矢印の性質)

 例えば、グレイAロマンティック/セクシュアルや、デミロマンティック/セクシュアル、フレイロマンティック/セクシュアル(デミロマンティック/セクシュアルの反対)など、Allo(「規範的」な他者への惹かれ方※)ではない人がいて、その人達があたかも存在しないかのように扱われてしまったりしている状況があると思います。惹かれの頻度や性質について、「規範的」なものがあり、Alloとのズレによって自らを表現できないa-specが、自らを説明するためにコミュニティの中で言葉が作られてきました。
 これらスペクトラムの消去は正直、日本のa-specのコミュニティでも見られるような気がします。a-specを主語にしつつ「完全に惹かれない」と述べることによって、スペクトラムが存在しないかのように扱われてしまうのは問題だと私は当事者としては思います。
※「惹かれ方」というのは、どのジェンダーに惹かれるのかという「矢印の向き」とは関係なくどちらかというと「どのように他者に惹かれるか」という点で規範的かどうかで考えています。従って、場合によってはホモセクシュアル/ロマンティック(同性に対して性的/恋愛的に惹かれる)、バイセクシュアル/ロマンティック、ポリセクシュアル/ポリロマンティック、パンセクシュアル/ロマンティックなどのあらゆる他の指向もAlloに含まれることがあります。しかし、これらの「指向」が(全ての点において)「規範的」だとみなされているわけではありません。ここ以外のこの発表における「Allo」の使い方も全て同様で、「Alloが規範的」であると述べている箇所は、全ての「Allo」が「性的指向」の観点でマジョリティとみなされているということを意味するわけでは全くありません。ご注意ください。また、何がAllo(=完全に規範的に他者に惹かれる)とみなされるのかも社会的な影響によるでしょう。すべての人が同じというわけでもないし、規範が変わればAlloとみなされる部分の人も変わるでしょう。

➳②-2.「中間領域」とみなされていない部分(矢印の方向性)

 そして、リスロマンティック/セクシュアルの存在を忘れてはいけません。リスロマンティック/セクシュアルは、他者に恋愛的/性的に惹かれることを望まない人です。「性的指向」と言ったときに「自分から相手へ」という矢印で考えられていた場合が多いかもしれませんが、そのときに、逆方向のベクトルについてそもそも考えられていなかったのではないでしょうか?

➳②-3.矢印の概念がすべての人に使えるわけではない

 さらに、クワ(クォイ)ロマンティック/セクシュアルやクエスチョニングの人も忘れてはいけません。すべての人が「性的指向」「恋愛的指向」や「惹かれ」で説明できるわけではありません。自分の感情を理解してアイデンティティを持ったり、名付けたりすることが出来ることを前提で考えると、抜け落ちてしまう人達も出てきてしまいます。そして、これらの惹かれをそれぞれ独立して考えたり分けたり出来るとも限りません。
 「惹かれ」について考えず、当たり前のものとして考えることは問題ですが、同様にきっぱりと分けられるものではありませんし、誰もがSAMを前提にすることができる/していると考えてもいけません。

➳②-4.矢印なんてそもそもみんな持ってるものなの?(強制的性的指向)

 ここまで「矢印」について語ってきたわけですが、「矢印」ってそもそもすべての人が持っているものなのでしょうか?
 Aセクシュアルは「性的指向が無い」とされることもありますし、a-specの中にもそのように考える人は居ます。「性的指向」概念をそもそもすべての人が持っていなければならないという考え方もおかしいのではないでしょうか。Chasin(2019)は「人なら誰しもが性的指向という箱を持っているはずだ」(注5)といった考え方を「強制的性的指向」と呼んでいます。「性的指向」について、誰もが必ずしも持っているという前提で語ることで、もっていないと考えることをすでに排除してしまっているかもしれません。

③「他者」に向かうの「他者」って?
 先程から、Alloセクシュアルを「他者」に性的に惹かれること、としたと思います。ここで、他者とされているのは「具体的な誰か」です。
 従来の性的指向概念だと「他者」に惹かれることが当たり前であるかのように使われていたと思います。
 その中では「自分に」惹かれる人、「非現実のもの」に惹かれる人、「動物」に惹かれる人、それ以外にも「有機物・無機物・概念等」に惹かれる人…、などを忘れてしまっているのではないでしょうか。
 例えば、Aceコミュニティの中ではオートセクシュアル(Autosexual)のような自分に性的に惹かれる人や、フィクトセクシュアル(Fictosexual)のような虚構のものに惹かれる人などが居ます。
 あまりにもAlloとして惹かれる「対象」を自明視してしまってきたことによって、そこからあぶり出されてしまった人たちがいるのです。

④「性的指向」って一人一つ?
 従来、「性的指向」は一つだけで、同時に存在できないとする人が多いと思います。しかし本当でしょうか?例えば、a-specのコミュニティでは「〇〇ロマンティック 〇〇セクシュアル」と表記するように、恋愛的指向と性的指向が一致しないことがあるということはわかると思います(これをクロスオリエンテーション/ミックスドオリエンテーションと呼ぶことがあります)。さらに、それぞれの惹かれだってすべての人にとってきっちりと分かれるわけでもありませんから、なんとなく複数の指向を自分が持っていると感じることもあるでしょう。

⑤性的指向は生涯に渡って続くの? 
 性的指向の概念において、しばしば「生涯にわたって」と付け加えられることがあると思います。しかし、「性的指向」が生涯変わらないという考え方が排除しているものもあると思います。例えば、しばしば「Aセクシュアル/ロマンティック」と自分のアイデンティティを述べた人たちが「まだ出会ってないだけ」「決めるのはまだ早い」「変わる可能性がある」という言説によって無効化されています。しかし、それはAlloセクシュアルの人たちが「性的指向は一生変わらないもの」と考えているからではないでしょうか?「性的指向」を捉える際に、どのような時間幅を持つのかはその人自身だと思います。生涯変わらないと考える人もいれば、「現時点ピンポイントだけ」「生まれてから現在まで」「あるときから現在まで…」「特に時間軸とかを考えていない」…などいろんな捉え方が出来るのではないでしょうか?必ずしも「生涯にわたる」ことは前提とされていないと思います。
 そして、「a-specになる」ことも「a-specから他の指向の概念を使うようになったり、使わなくなったりする」こともおかしいことではありません。例えば、言葉を知ったから自分が「a-spec」であると感じるようになる人もいれば、時間・環境・身体的変化・トラウマなど様々な理由で自分が「a-spec」であるように感じるようになる人もいると思います。また、逆に「a-spec」から他のアイデンティティを持つようになること、複数の「指向」アイデンティティとするようになることもおかしいことではありません。

⑥他人に惹かれることは自明ではありません
 ここまで、あらゆる視点から、どのようなものが「当たり前」の「性的指向」として扱われてきたのかを述べたと思います。ここで述べたものは私が思いついたものだけですし、ここに上がっていないようなことなんていくらでもあるでしょう。
 そして、私が述べたことが逆に無自覚に差別的であったり、自明としてしまっていることもあるかもしれません。また、Alloとa-specを単純な二項対立に落とし込んでいる議論に見えたりするかもしれませんし(私はAlloとa-spec相容れない対立する概念と思っているわけではありませんし、何が「完全に他者に惹かれている(=Allo)とみなされるのか」は社会とか個人の主観とかあらゆる影響によって決まるから相対的なものだと思っています。a-specについても同様です。)、それによって見落としているものもあるかもしれません。
 しかし、それでも、Alloであることが自明とされてきたことによって、あまりにも「性的指向」をAlloベースで考えるのが当たり前のものとされてきて、それ以上考えてこられなかったことがわかるのではないでしょうか?それによって「見えなくなっていた」人も少なくないのです。Alloも多様性の一つですし、Alloだからといって「性的指向」の全ての観点においてマジョリティとみなされているとも言っていません。また何が「Allo」とみなされるのかも、時代・社会・文化・個人の主観などあらゆる影響によって異なるでしょうし、Alloは固定的なものだとは思いません。したがって、どこからがaro-specとみなされるのか/自分のことをaro-specだと思うのかも、その人や属する文化・環境等によって違うもので、普遍的なものだとは思っていません。しかし、「すべての人」が「他の人に『規範的』に惹かれる」わけではありませんし、「他者に惹かれること」も自明ではありません。そして、もしかしたら自分も「Allo的な『性的指向』を自明視しすぎて他人を抑圧してしまっていたかもしれない」と思った人もいるかもしれません。Awarenessの部分で具体的に書きましたが、他人に「規範的」に惹かれることが普通だと思われている社会の中で、自分たちのアイデンティティや言葉が否定されたり、疑われてしまったりする人もいます。Alloであることがあまりにも自明視されてしまっている社会で自分たちをうまく表現するために生まれた言葉やアイデンティティは、この社会の中で自分たちを表現する武器です。a-specがAlloを啓蒙する、といった価値観で考えているわけではありませんが、「性的指向」の使い方について、もっと考えるきっかけになれば良いなと考えています。

⑦本当に「惹かれ」だけで「指向」は説明できるのでしょうか?
 さて、a-specコミュニティでは、今まで「(行動ではなく)惹かれ」によって考えられてきたと言いました。例えば、Aceコミュニティでは行動、嫌悪感、性欲、性的空想や惹かれなどは別物と考えられることが多かったです。また、aro-specコミュニティでも社会的に恋愛的とみなされる行動(デートやキス、ハグなど)と恋愛的な惹かれは必ずしも関係は無いとされてきました。(惹かれとこれらへの嫌悪感や無関心などが関係ある人ももちろんいます。)
 しかし、この「惹かれ」と「指向」を結びつける考え方にも批判はあります。例えばAセクシュアルの研究では、フェミニズムやクィア理論の研究を取り入れ、「惹かれ」という「本質主義」を批判するものも多く出てきています。具体的には、「フェミニズムのエージェンシーで性的に不活発な人でもAセクシュアルと見做すことができる」(Cerankowski and Milks:2010)、「Aセクシュアルになる、のような『選択』の政治的側面を無視するし、そもそも禁欲(セリバシー)とAセクシュアルの境界は曖昧である」(Kurowicka:2017)、さらには「性的惹かれ」ということで定義すること自体を批判して「(性的指向とは関係なく)性交渉、性的実践、人間関係における性交渉の役割について無関心であったり反感を抱いたりする人」(Przybylo:2016)と定義すべきだ、といったものがあります。(注6)
 私達の先人たちが言葉を作ってきた動機の一つには「行動していないだけ」というものを避けることがあったり、「していないだけ」という「選択の側面」が強調されたり、嫌悪という言葉に吸収されてしまうことで「惹かれない人」の存在が消されてしまうという背景があったのかもしれないと私は思っているのですが、一部にはその点で「言葉を奪われた」と感じたり、「私達は『規範』への抵抗のための道具ではない」と感じる人もいるのかもしれません。また、行動で定義したり「政治的側面」を強調することはスペクトラムの軽視・抹消や恋愛ポジティブなどの抹消にも繋がっている場合も時としてあるかもしれません。
 とはいえ、このような考え方から見えてくるものもあると思います。例えば「惹かれ」と「行動」は完全に区別できるものでもないと考える人もいるかもしれないし、「惹かれ」で「指向」を説明できないと感じる人や「惹かれ」と「指向」が結びつかない人、「惹かれ」に基づいた「指向」を使いたくないと考える人などもいるでしょう。そして「惹かれ」だけが「指向」を決める、と考えることが、行動やその他「惹かれ」以外の点を含めたり、惹かれではない点で自分の「指向」を考えていた人を排除してしまっていたかもしれません。また、アイデンティティとは別に「指向」を捉えなおすことによって、私達を疎外している規範に対して、より抵抗することも可能になるかもしれません。

4.最後に

➸aro-specとは「誰」か

 最初に「他者に恋愛的に惹かれない人」というAロマンティックの定義を簡潔に示しました。が、これ「だけ」が正解ではありません。ではaro-specの人とは誰でしょうか。aro-specとは「aro-specであると自分を考えている人」です。しかし、これではaro-specのAwarenessには繋がりませんし、aro-specとは何かを知らない人にとっても、それが結局何のことを述べているのかわからないでしょう。ですから、単純な定義を出した上でここまで話を進めてきました。今はaro-specについて、私の拙い説明でも聞く前よりはわかったのではないでしょうか?少しでもaro-specというものがこういうものかもしれない、というものがわかり、もし自分がそうかもしれないと思ったら、その先は自分で色々調べたり、当事者の人たちの言葉を聞いたりする中で「自分はそうかもor違うかも」などと、考えたりしてみてください。もちろん、そうすべきと言っているわけではありませんが、簡単な定義はあくまでもaro-specを知るための入り口です。それだけが全てでもないし、それが単純化して見落とされてしまっている人もいるかも知れません。
 なので、ここではあえてaro-specを「aro-specと自認している人」とします。あなたが自分がaro-specだと思えばaro-specなのです。aro-specという言葉でしっくり来ないと思ったのであればaro-specではないのかもしれません。他のアイデンティティでもそうでしょう。ありえないことですが、仮に「全く同じ感覚」を持っていた人であっても、どのアイデンティティラベルを選択するのかは異なるかもしれません。そしてアイデンティティは誰かに診断されたり、検査だけでわかるわけではありません。

➸「アイデンティティ」はあなたのもの

 また、ここまで、マイクロラベル(細かいアイデンティティのラベルとかのこと)をたくさん紹介したり、「性的指向」とされてきたものを様々に概念を分節化してみましたが、必ずしも自分を細かく分析して考える必要もありません。自分を細かく考えることは心理的に負担になることもありますし、自分には必要がないこともあるでしょう。自分のラベルはあくまでもあなたのための概念です。「細かく自分を分類しなきゃいけない」「たくさんの概念を使いこなしたり、暗記して理解して、表現しないといけない」と言ったプレッシャーを感じる必要もありません。自分が使いやすいと思ったものを、自分がしたいように表現すればよいのです。どんなアイデンティティで自分を表現しても、それは否定されるようなものではありませんし、誰かのラベリングを否定してもいけません。否定するような人がいるかも知れませんが、あなたはおかしくありません。否定する人がおかしいのです。逆にラベリングを強制することもしないでください。あなたから見てaro-specと思ったとしても、その人がそうであるかはわかりません。aro-specはあくまでも、aro-specをアイデンティティとしている人です。言葉を知ってもらうことはAwarenessに繋がることですが、本人が名乗っていないのに一方的にラベリングを貼ってはいけないことです。そして、「指向」の捉え方も人によって違うし、その人のアイデンティティと「指向」が本人の中でも必ずしも結びついているとも限りません。
 また、私の発表の仕方に対する反発もあるかもしれません。例えば、概念を複雑化するほど、「自分はaro-specかも」と思っていた人たちや、「aro-specを知ろうと思っていた人」が、自分を知ったり、aro-specを考えたりすることを「挫折」してしまうかもしれません。そのため、新しく知ろうと思う人に対しては逆効果になってしまうかもしれないし、Awarenessにつながっていないと言われてしまうかもしれません。
 そして、同化主義的・植民地主義的だという批判もあるでしょう。確かに、当事者コミュニティ内部でも、一部には英語圏で用いられている概念の押しつけや半強制/矯正のような空気が存在するようにも感じます。日本で伝統的に使われてきたアセクシュアルやノンセクシュアルのような概念が間違っているわけでもありませんし、aro-specコミュニティで使われている概念の方が優れている、などと言っているわけでもありません。日本語圈でしばしば使われてきた方法のほうが、自分のアイデンティティを表現しやすいと感じる人もいるでしょう。なので、英語圏の概念を使ってそれを安易に否定することはいけません。逆に、英語圏のアイデンティティラベルや考え方を使ったほうが自分を表現しやすい人もいるし、特に気にせずに両方を用いる人もいるでしょう。どちらかが「正しい」ということはないので、それを押し付けたり、同じ使い方をするように強制しないでください。自分が使いやすい方法で、自分にぴったりだと思うアイデンティティを使えばよいのではないでしょうか。もちろん、ある言葉の定義は固定的なものではなく、時代とともに変わることはおかしいことではないと思いますし、安易に英語圏/日本語圏という対立軸で語ることで、むしろ私がこれらに断絶があるかのように記述しているように見えるかもしれません。また、英語圏と日本語圏にしか存在しないような書き方になっていますが、まったくもってそんなことはなく、私が主に英語と日本語しか読めないという事情と、今回は英語圏と日本語圏の話題をメインに据えているという事情からこのような書き方になっています。私は便宜上〇〇語圈というかき分けをしていますが、このカテゴリーで分類することに深い意味はありません。
 ここまで言いながら英語圈の情報を多く紹介しているのは、ASAW自体が英語圏で始まったものということもあるのですが、英語を読めるかどうかで情報格差が生じてしまっていると私が感じたからです。aro-specに関する情報の多くは、日本語に訳されておらず、そもそもその情報にアクセス出来ていない人もいるでしょう。どのように言葉を使うかを選択する次元において、また情報のアクセスという次元において英語圏の情報にうまくアクセス出来ない人がいるような状況で、英語圏の使われ方が混じっている状態であると、コミュニケーションに支障が出てしまう可能性もあり、また英語を読んだりする能力などが情報発信性や情報格差に結びついているという現状があると感じました。正直言えば、私個人も英語が苦手なので、読めていない部分もあれば、アクセスできていない情報もたくさんあると思います。しかし、少しでもこの情報格差が狭まり、情報保障に役に立てば良いと思ったこともあって、今回は英語圏で使われている概念やその使い方を中心に紹介しました。

➸「『A』と政治」と「政治」が見落とすかもしれないもの

 政治は大事なこともあります。例えば、私達が住みやすい社会にするためには、規範のようなものを変えたり、規範でないことがおかしいものとみなされなくなることが重要です。私はこのような「恋愛至上主義」が当たり前だとする規範がなくなったり「性的指向」が問い直されれ、「誰かに『規範的』に惹かれること」が自明でなくなることによって、理解されにくいaro-specが理解されることや、これらの規範によって疎外されている人が一人でも少なくなることを願ってこの文章を書きました。
 しかし、「政治」によって抜け落ちているものもあるのではないでしょうか?例えば、その「政治性」を訴えるために恋愛ポジティブな人やグレーゾーンなどのスペクトラムに位置する人たちなどの存在が不可視化されていることがあります。もちろん、その存在自体が、規範を問い直すきっかけという政治性を持つかもしれませんが、政治性のために生きているわけでもありません。また、全てのaro-specの人たちが政治的な目的を持ってい生きているわけでもありません。
 そして、aro-specだからと言って、すべての人が「連帯」できる、と言っているわけではないのですし、意見の対立もあるでしょう。しかし、「aro-specの人は」という主語でその「政治」を語るときに、すでにそのaro-specの中から抜け落ちてしまっているものもあるかもしれないと私は時々思います。aro-specの中にも多様性がある、ということを忘れてはいけません。自戒を込めて。

➸最後に

 この発表が、a-specの人をよく知ってもらったり、a-specの人たちの理解につながったり、考えたりするきっかけになったら嬉しいと思います。また、私に発表の場を与えてくれた半ギレAroaceさんにもとても感謝しています。そして、私がこの文章を書く中でたくさんの助言や批判をいただき、そのたびに内容が深まりました。私と半ギレAroaceさん側の主張においては一致していない部分も何箇所かあるのですが、それでも粘り強く話し合いの場を開いてくださり、主張の一致がない部分であっても掲載を許可してくださったことにも大変感謝しております。
 また、私の今回の発表にも批判すべき点もあるかもしれません。見落としているもの、知識的な誤りや、誤解を招く表現、配慮の足りない箇所、誤字脱字やその他批判等があれば、グーグルフォームまで教えていただけるとありがたいです。私自身が自認してから日が浅く、当事者コミュニティ長くいるわけでもないことや、英語力が無いために翻訳やそれ以前の段階で「誤った」情報を書いている可能性もあります。そして、研究者等ではなく、学術的な知識もないため、特に研究に関しての部分には誤りがあるかもしれないので、もし私が誤解・誤読をしている点があれば教えていただきたいです。そして、感想や質問も私の励みになりますし、批判なども、私が自分の事やa-specについて考えるのにも役に立ちます。他にも情報などがあれば是非教えていただきたいです。
 もちろんこの発表自体が(定義なども含め)「私がこう思う」というものを述べたもので、これがaro-specを代表している見解というわけでは全く無いということを最後に記しておきます。 
 a-specの人たちも含めて、全ての人が生きやすい世の中になることを願って。 

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➸注釈

注1
 定義に関しては、最後にもう一度考えたいと思います。これだけが全てと言っているわけではありません。また、aro-specのコミュニティであるAUREAというサイトのトップページでは ’’Aromanticism is a romantic orientation, which most commonly describes people who experience little to no romantic attraction to others.’’と書かれており、今回の1文で書いた定義ではこれを用いました。
しかし、例えばAUREAの用語集の部分では''It also describes someone whose experience of romance is disconnected from normative societal expectations, due to feeling repulsed by romance, or being uninterested in romantic relationships.''(拙訳)「また、恋愛に反発を感じたり、恋愛関係に興味がなかったりするなどの理由で、その人の経験する『恋愛』が社会的な規範とはかけ離れている場合にも用いられる。」と書いてあるように、必ずしもこの定義だけが使われているというわけでもありません。

(最終確認日2021年2月26日)

注2
 ’’feel/experience romantic attraction’’の訳に関して、私は「恋愛的な惹かれをする」と訳しますが、「恋愛的な魅力を感じる/経験する」と訳されることもあります。日本語で「惹かれない」と「魅力を感じない」から捉えられるニュアンスが違うこともあるでしょう。例えば、NPO法人にじいろ学校さんの定義では「性的に惹かれる」と「性的な魅力を感じる」が別の言葉で解説されているように(※)、これらを別のものと感じることもあるかもしれません。
 しかし、今回は「恋愛的な惹かれをしない」という書き方で統一します。

※特定非営利活動法人にじいろ学校『用語一覧』(最終確認日2021年2月26日)

注3
 邦訳の『最小の結婚』では「性愛規範性」という訳語が当てはめられています(Brake:2011-2019,167)。しかし、夜のそらさんが以下の記事で述べているように、性愛規範性という訳語には問題があると私も思います。また、「恋愛伴侶規範」という訳語も夜のそらさんが考えてくださったものです。

※夜のそら:Aセク情報室「恋愛伴侶規範(amatonormativity)とは」(最終確認日:2021年2月26日)

※夜のそら:Aセク情報室「なぜ『Amatonormativity』は『性愛規範』と誤訳されたのか、そしてなぜそれは誤訳なのか」(最終確認日:2021年2月26日)

注4
 SAMの規範性については、この記事が参考になりました。
『Remodeling: on the Reclamation of the Term “Split Attraction Model”』(最終確認日:2021年2月26日)

このブログでは、上記以外の記事でもSAMがあらゆる角度から批判されています。
『The Ace Theist』(最終確認日:2021年2月26日)

また、夜のそらさんの以下の記事も、日本語で読め、大変わかりやすいです。
『SAMの弊害・曖昧さを守る:Aro/Ace(5)』(最終確認日:2021年2月26日)

注5
 Chasinさんは、イギリスやアメリカなどのヨーロッパの植民地だった歴史を持つ社会では性的指向は誰もが持っていると想定されていて、ある種の「箱」のように考えられている。そして、その「箱」はいくつかの異なる選択肢で満たすことができるけれどその箱は人であることの意味をなす一部分なのとされているから、中身が空っぽの人は人間ではないかのように思われてしまう、と述べています(Chasin:2019)。ここで言う「箱」は、私が使う「矢印」と同じようなものだと思って大丈夫だと思います。なお、この論文では「強制的性的指向」''compulsory Sexual orientation''という言葉はそこまで高頻度で出てくるわけではありません。しかし、本発表では述べられていない様々な角度・観点から「性的指向」概念が問い直されていたり、どうして「惹かれない」人が周縁化されてしまうのかといったテーマがaceの視点から書かれています。興味を持った方は是非読んでみてください。
『16. Asexuality & Re/Constructing Sexual Orientation』(最終確認日2021年2月26日)
http://chasin.ca/cj/Chasin_2019_Asexuality_and_the_re-construction_of_sexual_orienation.pdf

注6
 「本質主義」批判のもう一つの大きい潮流として、ラベリングに関するものがあるように私は思います。もうちょっと後の「aro-specとは誰か」のところの考え方とかぶるのですが、Aセクシュアルに関する先行研究を少しだけ載せておきます。例えばHinderliterさんは、Aセクシュアルコミュニティ内は多様だし、Aセクシュアリティの定義が流動的で、Aセクシュアリティのカテゴリ―に出たり入ったりすることもよくあるから、アイデンティティとしてのAセクシュアルと性的指向としてのAセクシュアルを分けることを提案しています(Hinderliter:2009)。また、Chasinさんという人は、「性的には惹かれないが自らをAセクシュアルであると識別していない人」は、自らをAセクシュアルであると識別している人と比較すると質的に異なる可能性があるとしています。どういうことかというと、自らをAセクシュアルであると認識している場合は、Aセクシュアルコミュニティによって開発された言語と実践に形作られて行き、性的に惹かれないことの理解や経験に対する認識が違うのではないかということなど、「指向」として持っていることとそれを「アイデンティティ」にしているかは違うと言っています(Chasin:2011)。ただし、これらの批判が出てきた背景は、コミュニティにおける「性的指向」の考え方というより(心理学や性科学、精神医学などの)「性的指向」の使い方、つまり「何をアイデンティティとしているか」に関係なく「性的に惹かれない人」を「Aセクシュアル」だと計測したり、「生涯にわたる両性に対する性的惹かれの欠如」(Bogaert:2004)といった方面から「性的指向」として「Aセクシュアル」を捉えるやり方に対する社会構築主義側からの反論であり、この発表での「性的指向」とは完全に同じものではないかもしれません。

➸参考文献

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https://www.academia.edu/11787338/A_Matter_of_Choice_The_Politics_of_Choosing_an_A_sexual_Identity
Przybylo, E. (2016). Introducing asexuality, unthinking sex. Introducing the New Sexuality Studies, 181-191.
https://www.researchgate.net/publication/312664690_Introducing_Asexuality_Unthinking_Sex
谷本奈穂, & 渡邉大輔. (2016). ロマンティック・ラブ・イデオロギー再考―恋愛研究の視点から―. 理論と方法, 31(1), 55-69.

➸参考にしたサイト

・AUREA
(Aromantic-spectrum Union for Recognition, Education, and Advocacy.)
aro-specの情報がたくさん書かれています。
特にFAQや用語集が充実しています。
(最終確認日2021年2月26日)

・aces&aros
aceとaroについての情報がたくさん書いてあります。
特に「learn」の部分の充実がすごいです。
(最終確認日2021年2月26日)

・Aromantic Spectrum Awareness Week
FAQや用語集が役に立ちます。
(最終確認日2021年2月26日)

ちなみに、ASAWのサイトはこちらもあります。
(最終確認日2021年2月26日)

・aromantic Wiki(用語を調べたいと思ったときに便利です。)
(最終確認日2021年2月26日)

・LGBTA Wiki(↑と同じく、用語を調べたいと思ったときに役に立ちます。)
(最終確認日2021年2月26日)

・AVEN Wiki(FAQを含めて、役に立つコンテンツがあります。)
(最終確認日2021年2月26日)

➸参考にした当事者コミュニティのスレッドやブログ、ツイートなどもたくさん参考になりました
☆Reddit(最終確認日2021年2月26日)

☆Tumblrのたくさんのブログ(参考になるブログがたくさんあります)
(最終確認日2021年2月26日)
https://www.tumblr.com/
☆Arocalypse(最終確認日2021年2月26日)

☆Twitter(最終確認日2021年2月26日)
https://twitter.com
☆AVEN(最終確認日2021年2月26日)

➸もちろん、日本の当事者のブログやTwitterなども書いたり問題意識を確認する上でとても役に立ちました。色々読みながら、自分の中でこうやって問題意識を見つけたり考えたり、とても共感ができることも多かったです。そして、他方でaro-specと言っても多様であるし、当然のことですがaro-specだからといってみんながみんな同じではないということも同時に感じました。


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