今年ここまでを振り返る①

季節が巡るのは早いもので、もう最後の更新からこんなにも時間が経ってしまいました。特別なにかをしていたわけではないのですが、一応就職などしてしまったがために労働が始まり、早半年が過ぎようとしています。
なんで? おかしくない? つい先日まであんなにのんびりしていたはずなのに急激に加速しすぎじゃない? 日々がよ。光陰矢の如しとは言うけれど、じゃあ矢ってどれくらい速く飛ぶんだよ、と調べてみたら、だいたい平均として時速200㎞だそう。僕の脳はそんな速さに耐えうるようにできていないので、毎日の積み重ねの中でとんでもないGがかかっているためにシナプスがぶっちぎれそうになっているとしたら、これだけ疲れるのも納得がいきますね。べつにいかないです。
そんな矢の如く過ぎ去る日々の中に身を置いていると、一か月前のことなんて簡単に忘れるわけで、なんなら昨日食べた昼飯のこととかも思い出せないんですが、そこでリハビリがてら、この数か月を振り返ってみようかなと思い立ったわけです。
あと昨日食べた昼飯については毎日おにぎりとウイダーとさけるチーズと炭酸飲料で済ませているので、思い出すことはあんまり重要ではなかったかもしれません。
「リハビリ」としたのは、この一年ほど、より具体的に言うと前回の自作小説本を出してから、小説どころか文章そのものがまったく書けなくなってしまったからで、そら理由を並べ立てれば同時期に国家試験対策が始まったからとか、就職したからとか、仕事のある日でも毎日2時間はApexやってるからだとか色々ありますが、それでもこんなに書けない、何一つ浮かんでこないという事態は過去なかったわけです。まあありはしましたが、それは僕に自我が芽生える以前、のほほんと過ごしていた小中学生の頃とかで、高校以降これほど長く書けない時期が続くことはなかったんですね。そんで書けないなって気づいてから、諸先輩方の「書きたくても書けなくなって辛うじてTwitterに長文お気持ちツイートを繰り出すしかなくなるんだぞ」というありがたいお言葉を想起し震えるなどした結果として、今こうして、じゃあリハビリとして振り返りやろうか、と思い至った次第です。

ではさっそく、新年のご挨拶以降何をしていたか、から振り返るとします。
あけましておめでとうって記事書いて、勉強をして、2月に国家試験を受けました。これがまあ難関でして、医師とか臨床心理士ほどじゃないけど看護師国家試験と同程度というか。立ち位置的には情報処理支援士ほどじゃないけど応用情報試験くらいなのかな。まあ受ける母数とか水準は全然違いますが、(人によって)わかりやすく喩えるとそんな感じだと思います。
この試験、午前と午後で各100問あるんですが、午前解き終えた時点で僕は敗北を悟り、非番だった父親に煙草吸いながら電話をするという大変情けない行為に及びました。だってマジで難しかったんだもん。試験終了後、一緒に受けに来ていた友達と駅前のコンビニで酒を買い、入口横の一段高くなったところに並んで腰掛け、「落ちても遊ぼうな」とこれまた情けない誓いを交わしました。

ところが蓋を開けてみると、なんと合格しており、しかも比較的イージーだと感じた午後の問題より破滅を覚悟した午前のほうが10点近く良いという始末。なんだよそれ。
で、ここからしばらくは就活もせず、新調したばかりの自作PCでひたすらApex Legendsをやるという停滞期に突入するのですが、さすがに毎晩20時から翌朝3時までボイスチャットで「0!!0!!!!」と騒ぎまくったのがよくなかったらしく、両親に『ええ加減に就活せえ』と叱られます。当たり前ですね。

で、本当は大学で専攻していた難聴の領域に進もうと思っていたのですが、札幌だと求人が皆無なわけです。これは学生時代からずっとゼミ担なり研修先の大恩ある先生にも、「耳鼻科領域はそもそも首都圏でないと求人が少ないし、あったとしても下働きからだ」とずっと言われていたのですが、改めてその事実を痛感します。じゃあどうしよう、と考えた時に、先述した大恩ある先生に、『研修してて思ったんだけど、もしかして小児向いてんじゃない?』と言われたのを思い出します。小児はずっと興味があったものの、自分の生い立ちからくる引け目や「俺は耳で食っていくんだ」という強い希望があったために、真剣に検討してこなかった領域でした。でも振り返ってみたときに、自分がほんとうに過去を精算するには、周囲に恩返しするにはこれが一番なんじゃないか、そんな気がしました。

急いで実家から通える範囲の求人を調べました。そうすると天の配剤と言うべきか、なんと近場に無限にあるではありませんか。無限は過言です。
僕はそのうちの一つに目をつけました。規模は小さいながらも、理念にはものすごく共感できる施設です。しかも歩いて通える範囲。給料も、毎月数万ずつ貯金と実家に入れる生活費に充てたって多少余裕のある額でした。ここだ、ここしかない、そうして電話をかけたのが3月初め頃のことです。

やっぱり遅すぎますね?



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