岸部一徳小説

最近PCのデータを漁ってたら見つけました。確か友達と「実在の俳優さんをモチーフにした小説を書こう」とか悪ノリして書いたものだと思います。こんな面白いものが書けてたんですね。現在の自分の生産性のなさにうんざりします。
以下本編です。

◆  ◆  ◆

『ぼくのかぞく
二ねん四くみ はしば そう太
 
 ぼくのおじいちゃんはきしべいっとくというへんな名まえです。しごとははいゆうとゆうお仕ごとです。はいゆうってなにときくとおじいちゃんはテレビに出ていろんなおしばいをすることだよとおしえてくれます。おしばいってなにときいたらおじいちゃんは、いつも笑って、じぶんじゃない人になることだよというのでぼくはよくわからないので、こまります。
 ぼくは、うちのおじいちゃんの、わらうこえがぼくはとてもすきなので、いっぱいテレビでみた人のものまねをしたりします。
 ぼくはものまねがとくいだからおじいちゃんにみてもらって、そしたらおじいちゃんはわらってくれます。そうたはしょう来、しばいができるなあとほめてくれてうれしいです。そしてぼくはしばいが知らないので、うれしいけどまたわからなくてこまります。そしたらおじいちゃんはおれみたいになるということだよと、言ってくれました。うれしかったです。
 おじいちゃんはぼくのおとうさんや、お母さんと、あんまりしゃべりません。ぼくのうちはふるいです。おじいちゃんはやねうらというところがあって、そこにいます。おとうさんおかあさんはついてきてくれないです。ぼくがやねうらに入ると、くらいしきたないからやめなさいといいます。おじいちゃんはきたなくないよといったらおかあさんはいつも、こまったかおをするし、おとうさんはそう太は、父さんのしらないおともだちがいるんだねといいます。おじいちゃんにそれをいったらうーんとおじいちゃんがいいます。なのでおとうさんとおかあさんはおじいちゃんとなかよしじゃないです。
 ぼくは、おじいちゃんとおかあさん、おとうさんがなかよしになったらなあとおもいます。みんなで車にのっておでかけしたいです。』

* * *

 祖父が亡くなった、お前も大学が休みだろうから葬式に合わせて帰ってこい、と親が言うので、じつに一年ぶりに帰郷した。実家は海を越えて北海道であるから、東京在住の学生には馬鹿にならない移動費である。しかしまあ春休みの真っ最中、バイトも三週間前に辞めてしまった今はやることもないし、祖父には幼い時分に世話になったから、せめて線香の一本くらいは上げさせてもらおう、ついでにチケット代くらいはふんだくってこよう、と飛行機に乗り込んだ。
 二時間強の移動を経て、昼には実家にたどり着いた。相変わらずのボロ家である。居間では両親がなぜか面白くなさそうな顔で待ち構えていて、僕の姿を認めると、ようやく少し明るい顔をした。僕は挨拶もそこそこに、葬式はいつからだと尋ねたら、まさしく今晩が通夜だと言う。
 「それならそうと先に言ってくれ」
 と文句をつけると、
 「そもそもあんたが帰ると言ったきり電話に出なくなったんだろう」
 と母に叱られた。そんなものである。
 ともかく慌てて荷物を解き、喪服を引っ張り出し、家族三人で斎場へ向かった。
 父は初め運転を渋り、僕に運転してくれと無茶な依頼をしてきた。
 「お前が出てってからかなあ、父さんときどき事故起こすんだよ。急にハンドル、利かなくなってさ」
 「余所見してるんだわ。買い替えたって修理したって、高くつくのに。この人の運転、怖くて駄目」
 母まで口を出してくる始末である。僕が根気強く、免許も取ったばかりだし斎場までの道を知らないから無理だ、と断ると、二人は溜息をついた。それから父が運転席に乗り込んだ。そんなものである。
 斎場が近づくにつれて、両親の顔はだんだん険しくなっていった。特に母がげっそりしている。いつも意味もなく笑っている彼女と同一人物だと、ひょっとしたらわからないくらいだ。どうしてそんなに露骨に嫌な顔をするのか。
 「半可くさいクソジジイの葬儀だからよ」
 母が答えた。
 「義理とはいえ父だから、あんまり言いたかないけど」と父が続けた。「正直女と博打に関しては、ほんとに癖の悪いじいさんだった」
 「それ、ほんとにうちのじいさんか?」
 僕は疑った。幼いころ、よく屋根裏部屋で遊んでもらった祖父の印象とは、えらくかけ離れていた。
 というかあの古くて埃と蜘蛛の巣まみれの屋根裏から、出てきたのを目にしたことがない。そういえば彼の姿を、中学に入ったあたりから見かけなくなったが、あれはどういうことだったのだろう。ところで祖父は、自分のことを岸辺一徳だとか物凄い事を言ってなかったか。僕が一二かそこらまでの時期まではずっとあそこに篭っていたはずだが、役者が自室を出ずに仕事ができるものか。確かに、祖父の姿形は岸辺一徳氏に瓜二つだった記憶があるけれども。
 僕は両親に問い質そうとした。しかし、結局やめた。昔から仲が悪いのだろうとは薄々感じていたが、こうも決定的に溝があるならば、かえって二人の機嫌を損ねてしまうだけのように思えた。ただでさえ憂鬱そうな親を、ますます困らせることもないだろう。
 北海道の春はまだ遠く、道路はどこも残雪に覆われていた。しかも中途半端に融けてしまったものだから、タイヤが上手く噛んでくれない。最終的に市内の移動、約数十キロに二時間以上かかってしまい、斎場に着いたのは夕方近くだ。喪主である伯父夫婦はすでにおり、あとは見知らぬ親族や生前の遊び仲間が、場内にちらほら見えるだけである。一般の参列者が入りだすまでには、もう少し時間があるだろう。
 式場の壁には一面、白黒の鯨幕が巡らされ、最前方にこぢんまりとした祭壇が設けられている。あれほど故人を貶めていた両親も、いざ仏前へ来ると自然と手を合わせたくなるものらしい。いそいそ進み出て、蝋燭の火でもって線香を炙っている。久々に会った従兄弟たちと談笑していた僕も、さすがに二人の後を追う。
 線香を一本摘んで炙り、香炉に立て、合掌した時に初めて、ずっと会っていない故人を見た。小さな黒縁の中の遺影、そして棺の開け放たれた小窓の向こうに祖父の顔を見た。そして間抜けな声を上げた。
 岸辺一徳には微塵も似ていなかった。むしろ、役所広司に似ていた。

 通夜が終わり、飲み食いもまともにせずに、我々は帰宅した。僕が急かしたのだ。着替えもしないうちに、両親に祖父のことを訊いた。父と母は不承不承といった様子で、彼のことを語りだした。
 祖父は大戦直後の生まれ、大阪出身の商社マンだった。転勤先の北海道で妻、つまり僕の祖母と結婚したのが三十の時だが、そのとき祖母はすでに伯父を身籠っていた。
 祖父はそれなりに出世もして、羽振りもよかったけれど、それ以上に夜遊びが過ぎた。祖父母の間には伯父と母、そしてもうひとり末の息子ができた。しかし祖母は、あちこちで借金と愛人を増やすばかりの夫に愛想を尽かし、まだ幼かった末の子だけを連れて出ていった。祖父はなんとか愛人たちや近所の奥さんたちに手伝ってもらいながら、伯父と母の二人を育てた。
 その後、伯父は十四歳で遠縁の実業家に預けられ、そのまま養子になって会社を継いだ。母は高校までは出してもらえたが、美術学校への進学費用は工面してもらえず、諦めて就職し家を出た。
 祖父は四十過ぎにはもう腎臓を病んでおり、体調の問題から部長以上の出世はなくなっていた。母が高校二年のときに、母とも仲が良かった愛人のうちの一人と再婚したそうだが、その時期を境に他の愛人たちは離れてゆき、悪い遊び仲間だけが残った。しまいに再婚相手にも捨てられ、祖父はひとりぼっちになった。
 「その頃のあいつ、わたしをいやらしい目で見ることもあった。本当に最低な男よ。夜中、枕元で鼻息荒くしてるのが聞こえるの」
 とは母の談である。行き詰った祖父が母に乱暴しようとしたのか、それとも口減らしのために始末しようとしたのか(どちらもあまり想像したくはないが)、今となっては定かではない。僕は念のため確認してみた。
 「それだったら、当然父さんと結婚してからも家に引き取る気なんかなかったよね」
 「当たり前でしょ。大体、この家ってあいつが私たちに押し付けていったものなのよ。還暦過ぎて、余所に愛人作って出ていったきり、音沙汰なかったの。まだ市内にいるとは思わなかった」
 「相手も還暦らしいけどねえ。まだギリギリ賞味期限内だったみたいで」
 父はニヤニヤしながらとんでもない冗談を飛ばす。母に「お父さんッ」と怒られると、鼻先に指を突きつけられたミドリガメのように首を引っ込める。しかし口はまだ動く。
 「まあでも、父さんはこの家で母さんと暮らして、そこそこ満足だよ。古いしあちこちガタが来てるけど、お前も立派に育ったし。どうやらこのまま、俺たちの終の棲家になりそうな感じ」
 何カッコイイこと言って、と、どうやら照れたらしい母がまた叩き(ちょろい人である)、ひとしきり笑ったところで、ふと思い出して訊いてみた。
 「あのさ、屋根裏の事なんだけど。最近出入りした?」
 「屋根裏?もうずっと閉め切ったままだけど」

 屋根裏部屋へは階段が続いていて、出入り口から先は重たそうな木製の引き戸で遮られていた。昔はこれを開けるのに苦労して、中から祖父に開けてもらったものだ。
 ……いや、あれは祖父じゃないのか?
 思い切って戸に手をかけて力を込めると、案外簡単に動いた。
室内は記憶にあるそれよりずっと汚くて、明らかに掃除が必要だ。風通しはいいので黴や湿気こそ入らないが、とても人が長期間生活できる環境ではない。 
 あれが祖父ではないとしたら。
 あの岸辺一徳似の老人が、自分にとって何者でもないとしたら。
 みっともなく震えながら見渡すと、隅の方になにかある。二つに折りたたまれた紙の束だ。忍び寄って拾い上げる。作文用紙だ。
 ひしゃげ掠れた字で何事か書き連ねられたその原稿の、頭の数行はこう読めた。
 『ぼくのかぞく 二ねん四くみ はしば そう太』

 不意に声が蘇る。そう、確かにここで――
 (おじいちゃんおじいちゃん)
 (学校でね、おじいちゃんの作文を書いたよ)
 (花丸もらったの、うちのクラスで僕だけ、花丸だよ)
 (おじいちゃんにあげるね)

 (すごいじゃないか、壮太)
 (みんなでお出かけか、そうか、行きたいなあ)
 (壮太は芝居だけじゃなくて、作家にもなれるかもしれないね)
 (ありがとう、いただくよ)
 
 「ずいぶん待たせたじゃないの。おかえりなさい」
 何の前触れもなく、背後から声がかけられた。思わず飛び上がる。振り向けばそこに、いた。
 「……じいさん」
 「じいさんなんて生意気な呼び方するようになっちゃって。いつからそんなに偉くなったんですか。よいしょっと」
 懐かしい、平坦で感情の読み取れない声。引き戸をガタガタいわせて閉めるその姿は、記憶にあるそのままの祖父、いや岸部一徳似の謎の老人であった。よれた和服姿にも見覚えがある。表情は穏やかだが、声と同じく異様に変化に乏しい。そして見れば見るほど、というよりどこからどう見ても岸部一徳だ。一応尋ねる。
 「岸部一徳さんですよね。俳優の」
 「そうだよ。いや、嘘。違うけどそう。あれ?」
 「少なくとも、俺の祖父ではないわけだ」
 「やだなあ。そうつんけんしないでよ。しばらくぶりだからってさ」
 本当にやだなあと思っているのかいないのか、まったく判別できない。大声を出して人を呼ぼうか思案する僕を尻目に、老人は手を後ろで組んだまま、左右に捻転運動をし始めた。落ち着きのない子どものようだ。いや、馬鹿にしているのだろうか。
 気の長い鯨にも似た沈黙が、二人の間を悠然と泳ぐ。あまり僕が押し黙っているので、そのうち飽きたらしい。老人が先に口火を切った。
 「もう、何か言いなさいよ。質問があるなら訊けばよし、久々に会うおじいちゃんと世間話がしたいならそれもよし」
 僕は、じゃあ訊かせてもらうけど、と前置きしてから「何しにうちにいるんだ」と詰めよった。物心付いたときからずっと相手をしてくれた老人。中学に上がるときに突然消えたのは、てっきり老人ホームにでも入れられたのだと思っていた。両親と不仲で、齢を取ったから家から追い出されたのだと。でもそれはきっと父と母が悪いのでも彼が悪いのでもなく、仕方のないことで、うっかり聞いちゃいけない話なんだ、ずっとそう考えてきた。
 今ならわかる。両親はこの人を嫌っていたわけでも、ましてや老健施設に入れたのでもなんでもない。本当に知らなかったのだ。昔から住んでいる家の屋根裏部屋に、こんな人物が棲み着いていることなど。
 そして彼はどこかのタイミングで、勝手に消えた。
 「おじいちゃんだからに決まってるでしょう。壮太の」
 老人は答えた。
 「君が帰ってきて、この部屋に来たのがわかったから、こうしておじいちゃんも戻ってきたわけ。ずっと待ってたんだよ。なのに約束果たさないまま東京なんて行っちゃうから、私ちょっとパパさんに八つ当たりしちゃった。ごめんね。謝っといてよ」
 「約束?」
 「そう、約束。作文に書いてくれたでしょ。花丸もらったの。あ、手に持ってるじゃない、それそれ」
 強く握りしめすぎて、皺の寄ってしまった右手の紙束を慌てて逸る。見つけた。末尾には確かに、『みんなで車に乗ってお出かけしたい』と記してある。他ならぬ自分の字だ。
 なんとなく合点がいった。八つ当たり。ときどき事故を起こす父。
 ハンドル操作を邪魔していたのは、こいつか。
 背中がじっとり濡れているのを感じた。わくわくして車で待ってたのにね、ほんとにひどい、子どもって残酷だよね、などとのたまう目の前の相手は、祖父どころか、どうやら人間ですらないのだ。下手をすると悪霊とか、そんな類。
 「中学校に入った途端に、反抗期っていうんですか。全然パパさんママさんと出かけなくなっちゃって。それでも自分で免許を取ったら、二人を連れてどこかドライブでもするのかなと期待してたわけ。でも大学進学で、壮太、家を出たから。ずううっと待ちぼうけ」
 彼はそこで背で組んでいた手を前に持ってきた。
 「でも、ようやく今日叶いました。ほんとのお祖父さんの葬儀って形で、やや不本意だけど。おじいちゃん満足です」
 『ほんとの』ってことは、じゃあやっぱりこの人物は違うのだ。祖父でもなんでもない。
 「そうなのよね。ほんとのおじいちゃんじゃないの。でもほら、よく言うでしょ、『生みの親より育ての親』とかなんとか。ね? ずっと壮太を見守ってきた私がおじいちゃんを名乗っても、何も問題ないでしょ」
 口を開きかけて、でもそこで止まってしまった。
 父と母を煩わしく思ったことは、多分にしてあった。中学から高校にかけてはできるだけ一緒に行動するのを避けていた。でも今は、それなりに愛情を持って育ててくれたことがわかるから、軽口を叩きこそすれ、家族でいるのに何の気恥ずかしさもない。この歳になって、ようやく彼らの偉大さがわかったくらいだ。
 その父と母にあそこまで嫌悪される実の祖父を、祖父と呼べるだろうか。たとえ得体が知れなくとも、目の前の岸部一徳もまた、両親と同じように自分を育ててくれた。古い約束が果たされるのを、拗ねて父を酷い目に遭わせながらも、ずっと待っていた。
 ならば彼は、確かに祖父と呼ぶにふさわしいのではないか。
 震えは止まった。頭に上っていた血も下がり、だんだん目が醒めてきた。
 「じいさん、ひとつ、確かめてもいいかな」
 「はい」
 寒さがこたえるのだろうか、祖父は自分の身体を抱くようにして腕を組み直していた。その場で軽く跳ねていたが、僕の呼びかけに反応してこちらを見遣る。僕はもう一つだけ、訊くべきことを訊くことにした。
 「あんたは、幽霊とか妖怪の類なのか」
 「うーん、厳密にはもうちょっと偉いけど、まあそんなところ。土地のなんていうの、神様?」
 「神様」
 「はい。この家の立ってる土地は昔、私の祠だったんです。それが取り壊されて土地自体売られたんで困ってたんだけど、そのうちここに家建てて棲み着いた男が、ろくでもない奴でね。君の実のお祖父さん。だから君が生まれたときに、奴が余計な手出しできないように、私が守ってあげようと思ったわけね」
 なるほど、それで出たり消えたりと自由が利いたのか。驚いたことに、僕の前に現れたのは取り憑いてやろうなどという意図があったわけではなく、この人なりの思いやりだったらしい。僕が約束を守らなかったせいでとんでもない悪戯をする暴挙に出たわりに、優しいところもあるものだなあ、やっぱり神様って気まぐれなんだな、と感慨を深めているところに、
 「あとこの姿は勝手に借りました。君に昔『俳優の岸部一徳』と名乗ったのは出来心。ファンなんだよね、私」
 などと付け加えるものだからやはり信用ならない。曲がりなりにも神様らしいから、単純にその時その時で在るように在るだけ、という話なのだろうが、この胡散臭さたるや。
 「今胡散臭いって思ったでしょ」
 「別に」
 隠してもわかるよ、彼は言い、それからうんと伸びをした。
 「じゃあ、お暇しようかな。おじいちゃんはちょっと疲れました」
 え、と呆ける僕に、神様というよりはぬらりひょんじみてゆらゆら揺れながら、祖父は說明してくれた。どうやら自分の土地を離れて車で長距離移動した上、はしゃいで無理して姿を表したために、やや疲弊しているらしい。消えたりするわけではないけれど、またしばらく休むのだそうだ。申し訳ないんだけど、と祖父は頭を掻いていた。いいよ、かえって無理させてごめん、そんなような事を話しながら僕は、不思議と満ち足りた気分だった。
 「来年さ」と気がついたときには口に出していた。「また帰るまでに運転、練習しとくから。次も乗ってけよ」
 岸部一徳の姿を借りた土地神、僕の祖父がはっきりと人間らしい笑顔を見せたのは、別れ際のその時が初めてだった。


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