見出し画像

なぜ「嫌い」になると仲良くできないのか

長い人生、ポジティブばかりではありません。

ネガティブは、望んでいなくてもやってくる。

しかし、周囲を見回してみると、信じられないほどのネガティブに見舞われた人が、今日も生き生きと楽しそう。

反面、周囲から「めぐまれている」と見られていた人が、自分の人生に満足していないなんてこともある訳で。

どうやら人生の満足度というのは、そう単純ではないみたい。

最終的には、外野がどうこう言うのなんか気にせず、”自分がどう捉えるか”が大切なのです。

もっと言うと、「目の前の出来事をどのように捉えるか」によって幸福度は大きく変わってくるみたい。

なにが言いたいかって、「僕たちは自分が思った通りに現実を捻じ曲げているよ」ということ。

そして、このクセを意識しておかないと、人間関係にも歪みが出る可能性があるのです。

本記事では、そんな内容をさくっと書いていきます。

この偏りは、意識しないと誰しもが陥る可能性あり。

ぜひとも、自分自信を振り返るきっかけとしてくださいね。

▼僕たちは、見たいように見ている

これまで先生としてたくさんの子どもたちと接してきましたが、「先生が変わると子どもが変わる」という状況を数えきれないほど見てきました。

もちろん、その子のよさが発揮されるような変化ならよいでしょう。

しかし、「あんなに学級のリーダーだった子どもがどうして…」みたいな望ましくない方向へ変化する場合もなきにしもあらず。

もちろん、その子が置かれているもろもろの環境が複雑に絡み合ってこその変化なのです。

ただ、その環境の1つとして見逃せないのが先生との関係性でしょう。

まみなさんも「先生」に対して友達とあーだこーだ言い合った思い出があると思います。

ここで注意したいのは、「先生に対してネガティブなイメージをもつと、お互いにとってよくない結末に向かってしまう」かもしれません。

親子関係にも言えますが、親や先生が「良かれと思って伝えたアドバイスを全然聞いてくれない」なんてことありますよね。

子どもたちからしてみると、「自分のことを全然分かってくれていない。」「ただ、口うるさいだけ。」と捉えているかもしれない。

ここには、気持ちのすれ違いが生じているのです。

その「すれ違い」によってとんでもない結末につながるというある研究があります。

その研究では、「相手の賢さを評価してもらう」なんて実験をしました。
#明日の幸せを科学する

おもしろいところは、「相手のことをどう思っているか?で行動が変化する」ところ。

例えば、子どもたちによる先生の評価が、「優秀な先生」だとしましょう。

先生との世間話の中で、「いや〜学生時代は結構勉強できたんだよね!」と先生自身が軽いマウントを取ったとしても、きっと子どもたちは「たしかに!」と納得してくれるでしょう。

しかし、先生に対して「自分のことを分かってくれていない無能な人」という思いを抱いていると一味違います。

「いや〜学生時代は結構勉強できたんだよね!」と言ったことに対して、「だったら成績表を見せてください!」と疑ってかかるかもしれません。

「優秀だった証拠はありますか?」なんて食って掛かる可能性もあるでしょう。

なぜこのような違いが出るかというと、まさに「自分の見方を現実のものにしよう」とする抗いに他なりません。

自分が「無能」だと思っている先生をどうにか無能に仕立てるため、「優秀」という主張を潰そうとかかるのです。

なんだか物騒な話となってしまいましたが、この記事で言いたいことは、「人間は、自分の思い込みを現実にしようと行動する」ということ。

だからこそ、同じ現実を見ていても、捉え方の違う人同士で、主張が異なるのです。

▼まとめ

最終的に恐ろしげな着地となってしまいましたが、この記事の使い方として、

「自分の判断は本当に客観的なものか」と一歩引いて考えることで、目の前の事象をより的確に捉えることができるでしょう。

さらに他者からの見方にもアプローチできます。

「なんで、こんなに頑張っているのに認めてもらえないんだろう。」という思いがあるのであれば、もしかしたら周囲の人が、あなたに対する偏った見方に囚われているのかもしれません。

そんな状態から浮上する方法は、「相手に衝撃を与えるほどの劇的な変化」が必要になるのですが、この話をすると長くなるのでまたいつか。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


いただいたサポートは、地域の「居場所」へ寄付させていただきます!