私が昭和の子供だった頃 〜キリンレモン〜

12年前の9月、たった数日で生死を彷徨う事態に直面し(死ななかった)、
去年の今頃、歩行困難になるほどの貧血になり(死ぬとは思わなかったけれど)、
ぼんやりと、まだ生きてるなぁ、と思うこと、しばしば。

インターネットは黎明期の1995年から使い始め、フジロックの第1回に行った、などと言うのは、すっかり歴史の生き証人のごとくなり始めました。

明日死んじゃうかもね、というのが常に頭にある。
1969年早生まれの、昭和の子供の記憶を記しておこうと思います。


キリンレモン

我が家はキリン党で、キリンビール、キリンレモン、キリンオレンジを瓶でダース買いしていました。いつまでだったか。
その記憶は曖昧だけれど、小・中学生のときは確実にそうだった。

キリンレモンを飲まなくなってン十年。
なので、記憶だけを頼りに。

小学生の頃に瓶で飲んでいたキリンレモンは350mlぐらいだったかな、キリンオレンジに比べて一回り大きかった。
炭酸飲料の350mlは量が多くて、一度に飲みきることはなかった。

夏休みだと、毎日のようにプールに行っていたので、帰宅して、冷蔵庫を開けて、グラスに注ぎ、余った分はシズラーで蓋をして冷蔵庫に戻して、
そうして飲み始める。

ゴクゴク、とはいかなかった。
というのも、キリンレモンは炭酸がきつかったから。
少し飲んでは、は〜っともシュワーともつかない言葉を発して、少しずつグラスを空にした。

薄くなるのが嫌だから滅多にしなかったけれど、ときどき氷を入れて、そこにゆっくりキリンレモンを注いだことも。
(通常のペースでやると泡が溢れ出るので)
シュワシュワとはじけ、時折顔に当たった。
グラスの中で立ち上る小さい泡や、グラスの上部と氷と混じり合って勢いのある泡は、見ていて飽きなかった。


小学校3年か4年の頃、サザンオールスターズがデビューして(小学生に大人気だった!)、三ツ矢サイダーのCMに出ていた。
へぇ〜、と思い、買ってもらって飲んでみたら。。。

キリンレモンとまったく違う!
炭酸がやさしく、そのせいもあるのか、甘い。

う〜む、私はキリッとした味わいの方が好きなのよ。
キリンレモンは後口に変なベタベタしたところもなかったし。
そうして、いとも簡単にキリンレモンに戻ったのでした。


炭酸とカフェイン(?)を組み合わせればコーラが作れるのでは?と
キリンレモンにインスタントコーヒーを混ぜたりもした。
でき上がった代物は、とんでもなくまずかった。

あ〜ぁ、キリンレモンをムダにしちゃったよ!


ダース買いをしていたからか、景品ももらった。
長靴型のグラスにミッキーマウスがワンポイントで入っていたっけ?
長靴型は飲みづらく、かつ先が上を向いていて、向きを固定しないと、きちんと飲み干せなかった。
なので、すぐに通常のなんの変哲もないグラスに戻ったんだった。


キリンビール工場見学にも行ったことがある。
小学校5年か6年のバス旅行だか修学旅行で。

防府(山口県)か広島(広島市広域部の西だったと思う)の工場に行った。
見学した内容は覚えていないのだけれど、
ひととおり見学が終わった後で、試飲があった。

まさかビールが出てくる?なんてことが頭をかすめたけれど、そんなことはなく、キリンレモンだった。キリンオレンジも、出た、かなぁ。
一緒にチーズが出された記憶。
「そうか、小岩井乳業ってキリングループだもんな!」とひとりで納得した。
(どうも、私の頭のキレは8歳ぐらいがピークだったみたい。。。
 なので、いわゆる子供らしい子供ではなく、こういうことをパパッと理解する、そのことは表に出さないけれど、扱いづらい面倒な子供だった、と思う。いまの方が全然素直で正直、よ!)


付随することを記しておくと、当時は、炭酸飲料ダメ!という家庭は少なくなかったように思う。
他にNGだったものにコーヒーや紅茶、チョコレートもあった、かな。
うちは、両親が子供に合わせるということをしなくって、かつ母が喫茶店で働いていたこともあり、食べ物や飲み物に関しては寛容だったし、試作や練習、すっかり十八番になった、といった理由だったのだろう、喫茶店メニューもよく食べた。

飲みかけのキリンレモンの炭酸ストッパーにシズラーを使っていた、ってのは、完全に喫茶店からの流れだったでしょう。

あと、地域性もあるでしょう。私は山口県の出身で、引っ越しは何度かあったものの、いずれも近くて県内。
東京や北関東、北海道の出身の人たちとはエリア性もまた違っているでしょう。

なので、それを踏まえて。

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