見出し画像

2つ目の世界と虚式「茈」(素晴らしき贈与の世界)

今年、いや、ここ数年で最大の発見かもしれない。

https://www.amazon.co.jp/dp/4910063056

贈与の世界。
それは、この世に生を受けてから当たり前のようにそこにあったために、視界から消えてしまったもうひとつの世界。

では、今見えている世界は何かというと「資本の世界」だ。
ほとんどのものがお金で買えると考えられている、お馴染みの世界。
シンプルに「すべてがお金で買える」世界とする。

すべてがお金で買えるということは、すべてのものに価格がつき、すべてのものは等価交換されるということ(お金であれ、商品であれ、同じ価格と価格で交換される)。
そして、その交換は、即時に行われる。

贈与の世界の「贈与」というのは、お金を介さない、もう少し複雑な価値のやりとり。
複雑といっても、生まれたときにすぐそこにある。
赤ん坊は、ひとりでは何もできないし、何も持っていない。つまり、交換すべきものが何もない。それなのに、世話をしてもらったり、愛情を注いでもらったりする。それが贈与。
親は、その親から、同じことをしてもらっている。
何もしていないのに、一方的に与えられてしまった。それは、心理的な負債といえる。負債は返さなくてはいけない。というか、返さないと心情的に気持ちが悪い。
そうして、親から子供へと、またその子供へと贈与が続いていく。

親子でなくても、友達同士、夫婦、職場の人間関係など、人のつながりがあるところには、かならず贈与のコミュニケーションが発生する。
たとえば、相手を想って優しい言葉をかける。確実に「価値」のあることだが、そのことによって、お金を動かそうとは思わないだろう。
(してもらったことは、ある種の負債となり、どこかのタイミングで誰かに返すことになる)

つまり、価値のやりとりの形式として、お金を介する「資本の世界」、普段は見えないから気づかないけれど、気持ちを介する「贈与の世界」があって、世界は2つある。

その間に「呪いの世界」もあるのだけど、この話は別の機会に。
ただ、ひとつだけ重要なことを言うと、「贈与の世界」は見返りを求める世界ではない。「与えたものと同じだけのものを返して」と言うのなら、金銭による等価交換と本質的には変わらない。

わたしは投資家ということもあり、かなり「資本の世界」に偏っていたと思う。
それなりに勉強をして、能力を追求して、「資本の世界」での強さを得たつもりだった。それなのに「生きにくさ」を感じている(だからFIREしたいと言っているわけで)。強さを得たわりには弱いのである。
2つの世界が見えたことで謎が解けた気がする。

「強さ」は、きっと2つの世界の強さの掛け算だ。
資本の世界での強さが6だとしても、贈与の世界ので強さが1だとしたら、6✕1=6ということになる。
(※「贈与」弱者は、贈与し、贈与されることがないということ。「資本」が強くなれば、他人を頼る必要はないが、頼られることもない。他人から必要とされない)
資本3✕贈与3=9の人間には勝てない。
資本2✕贈与4=8のひとにも勝てない。

道理で弱いはずだ。
だけど、知ってしまった。
もうひとつの世界に気づいてしまったからには、贈与の強さがずっと1ということはないだろう。
贈与の強さが2になるだけで、わたしは倍強くなる。
呪術開戦にでてくる虚式「茈」の気分なのだった(わかる人だけわかっていただければ……)。
贈与の世界をもっと研究しよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?