#130 虹をつかもう 第15話 ――蹴――
なんだ――、これ。
その後ぼくの見たもの。
まるで理解を超えていた。
蹴りの連打。
なにをしているのか、分からない。速いが、軽くないのだということは分かる。
一気に間合いを詰めた木原が、政治家息子に食らわせていた。胸から腹まで、身体の中心線に沿って、すべてヒットする。息子の巨体が後ろに動いて止まった。
「へえ」木原がそう言った直後、今度はサイドステップ。
横からの蹴りが脇腹にヒット。息子がうめく。彼は、木原の動きを追えていない。
ボス、お助けします。だから、俺のポイントを上げてください。
そんな心の吹き出しをつけて、木原の近くにいたワンが飛びかかる。そして次の瞬間、鬼のようなハイキックを顔面に食らい、吹っ飛んだ。
痛いっ。
人としてあり得ない吹き飛び方をする。
ビリーの恨みが、木原の身体を借りて返ってきたとしか、解釈のしようがない。
どういう威力をしてるんだ。ちょっと考えられない。そして政治家息子はこれを何発くらっている? こいつらいったい。
攻撃は、まだ続く。相手は木原の動きをとらえられない。
「おまえ、なんなんだ……」
身長差、三十センチはあるだろうか。木原の蹴りは、顔面にはとどかない。身体の中央、人間の急所だと思う、に繰り返し入れる。
息子は、腰を落とし、踏ん張る姿勢のまま動かない。いや動けないのか。分からないが、だが、後ろに動くことはない。
おまえもなんなんだよ。なんで、これ食らって平気なんだ。
「くっ」目もつかない攻撃に、うめき声が洩れる。
少しずつ、効いているようではあるが、ワンパターンとなりつつある戦況は、どうも木原のほうに不利のようだ。彼女の息が上がってきた。
「時間の問題だな」
息子が笑った。防戦一方でありながら、獲物を追い詰めるサディスティックな表情。
信じられない木原の強さ――ではあるが、このままでは負けるのか?
どうしよう。すっかり蚊帳の外のぼくだが、股間を蹴れ、とでも叫んだほうがいいのだろうか。
そのとき、木原が笑った。「本当にそう思ってんの?」
瞳孔が開く。唇が、三日月のように薄く開く。
相手に負けない、同じくらいのサディスティックな表情。この人、きてる……。ぞくっとした。一瞬どっちを応援すべきか分からなくなった。
そして木原は、セーラー服の内側に手をつっこんだ。白く、くびれたウエストがあらわになる。男の油断を誘った。としか思えなかったのだが、彼女は、手に持った何かを、政治家息子の顔面目がけて投げつけた。顔にあたり、茶色がかった粉が、ぱっと弾け散る。目隠しだ。粒は、少し粗いもののように見えた。
彼女の蹴り出した足は、大振りといえる軌道で、顔面に向かう。
相手はしゃがんでかわした。
読まれた!
野生の勘だろうか。恐ろしく喧嘩慣れしている。
「おいおい、そうきたか。きたねーな」
とっておきを破り、優位に立った口調。長身が立ち上がる。
「あんたの存在ほどじゃないけど」
「ずいぶん調子に乗ってんだな」
「そうやって逃げなきゃ、アゴ砕いて終わってたんだけどね」
「逃げた?」
「それがあんたの本性。怖くなって、しゃがんだだけでしょ。なに、かわしましたみたいに言ってんの。この、甲斐性なしのボンボン」
ヤクザ嬢は、気が強い上に、毒舌だった。こんな長文、彼女の口からはじめて聞いた。
「うおおおおお」
相手は突然、切れた。「ぶっ殺してやる!」
獣の咆吼に、ぼくは縮み上がる。まわりの奴らもそうだろう。
ボンボン。そのとおり。甘やかされ、怒られたこともない。だから、自尊心を傷つけられ、過剰に反応する。
「てめえ、手加減してやってんのが、わかんねえのか! このあと犯すから傷つけなかったんじゃねえか。気が変わったよ。ズタズタにしてやる」
本能を露わにした獣。
ど、どうなってしまうんだ……。
「ああああ!」ヤクザ嬢も吼えた。「手加減されてんのは、てめえだよ」
ぼくはこれ以上ないくらい縮み上がる。
あんたも完全に堅気じゃないよな。ああ、帰りたい……。
「まあ、ズタズタにしたあと、犯すんだけどな」
獣が上着を投げ捨てる。薄く伸びたシャツ一枚の姿。恐ろしい筋肉の塊が、ふるえている。人間じゃない……。あらためて、怪物の存在を思い知った。これなら、あの攻撃をどれだけ食らっても倒れることはないのかもしれない。
絶望感がよぎる。
木原は?
「終わらせるぞ」異形の怪物が言う。
「あんた、命拾いしたね」
彼女は笑っていた。放火魔が、炎を見つめるような、おそろしげな顔で。
ゆっくりと一歩政治家息子に近づいた。
左腕を真横に伸ばし、手を開く。
伸ばした腕の先の場所、脱ぎ捨てられた息子の上着が、突如、燃え盛った。彼女の顔に火を連想した二秒後のこと。ガソリンを染み込ませたかのごとく勢いがいい。
息子は、気を抜かれたように、呆然とそれを見つめる。仲間たちも。
……勝負あった。
「本当は、あんたを、こうしたかったんだけど」
なにが、どうなっている――?
「そこのひょろいの、行くよ」
突然、振られ、びくっとする。
「あ、はい」
木原は、くるっと身を翻し、さっさと歩き出した。
背後で燃えさかる炎を横目に、ぼくは、慌ててついてゆく。
正体不明の現象をまえに、追ってくる者はいなかった。
強い、強すぎる。
にわかには信じがたい。
何かの格闘技の、有段者なのか?
そうだとしても、説明がつかない。それにしても最後のは?
ぼくは超自然の話など馬鹿にするクチであった。幽霊はいないし、人は空を飛べない。すべての物事は起こるべくして起こっている。だから頼む、ぼくにあの現象を説明してくれよ。
最強……。
とんでもないダークホースの登場である。
彼女につづき、ガラス戸をくぐる。玄関が見える。
「あの、なんでぼくを……」
「守れって」
「守れ?」ブツ切れに話す。
そして彼女は、まったくぼくの顔を見ないのだけれど。
「面倒くさい」
いやいや。
「さっきのも気づかないで、帰るとこだった」
「ええ」
「帰る。鞄とってきて」
「えっ、教室ですか?」
木原は手ぶらのまま、下駄箱で靴を履き替える。このままさっさと帰る勢いだ。
「かばん、教室ですよねー!」ぼくは叫ぶ。
このマイペースな動き、七瀬さんにそっくりだな。ん?
――晴れだから、大丈夫。
『なぜなら、火が消えない』
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