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虹をつかもう 第23話 ――女――

https://note.com/hanei/n/n8952b9d8937f

塾の特別講習がはじまる。
中学時代の爆弾事件のことを、塾のクラスメイト、歴史好きメガネ氏に詳しく訊いてみよう。根暗な彼とは、少々距離のある微妙な関係だけれども。
あと、彼女の奈々ちゃんのことが気になっている。

学校の空気が悪化してからのぼくは、帰宅後、部屋に閉じこもる生活が続き、その後はセイさんに弟子入りしてしまったため、彼女とまったく会えていない。もう二か月以上になる。これだけ長い空白ができるのは、つき合ってからはじめてのこと。

ときどきメールを送り、電話をした。最初のうちは応えてくれていたが、彼女も学校のほうが忙しいらしく、次第に尻すぼみになり、この頃、ついに途絶えてしまった。

だけど、少し前のぼくの気持ちを代弁するならば、変に脅えている姿を見せるよりは、勉強に集中してもらったほうがよっぽどよかった。
彼女には、今の逞しくなったぼくを見てほしい。過去最高に日に焼けている。走り込みのおかげで、身体つきも変わった。死線を二度もくぐったことによる自信だってある。

「みっちゃん、あれ、ひさしぶり」
「雰囲気、変わったねえ」
「顔と身体のバランスがおかしいんだけど、ははは」
多少、人の入れ替わりがあったようだが、顔なじみは暖かく迎え入れてくれた。ぼくの居場所はここにそのまま残っていたようだ。感激してしまう。

目的の彼を発見した。
目的の彼女は――、いなかった。
こそっと女子が教えてくれる。「奈々ちゃんだけど、最近、来てないんだ。ひと月前からかな」
他の子からも、「他高の男子たちと一緒に遊んでいるところを見たことがある」「街で見かけたんだけど、だいぶ雰囲気が変わってた」など。
……なにかのフラグが立っているのか。
「今日の通常コースのほうには来るみたいよ」
そっちかあ。ぼくはその時間、セイさんの家に行かなければならない。気持ちがぐらついた。

なにはともあれ、今は、目的の彼に接触しなければならない。
メガネ氏は、政治家息子こと光田という疫病神が離れ、顔色がいいようだった。メガネ氏の話によれば、政治家息子はメガネ氏の高校で暴虐の限りを尽くし、さすがに親もかばいきれず、転校せざるを得なかったということだ。

ぼくのことをウイルスの感染者のような目つきで見る。
「なに、俺、忙しいんだけど」くいと眼鏡に指をやった。
「中学のときのさ、南野のことなんだけど」
無視して、机に向き直る。
こいつ! 肩をつかんだ。
「なんだよ、忙しいって言ってるじゃん」
「ああ!」
ムっとして、自分でも驚くくらいの声が出た。気功法によるパワーアップなのか、奈々ちゃんのことがあったからか。視線が集まるのがわかる。

一転して、「ごめんね。三田くん、大声ださないでよー」
急に弱くなる。さすがだ。これが、ヤンキーの荒波を乗り越えてきた処世術なのか。
手短に用件を言う。
「爆弾をつくった彼? 今、どこにいるのかなあ」
ぱらぱらと記憶の断片を話してくれるが、思いついたものを口から出すだけで一向にまとまらない。
「中三は同じクラスだったんだけど」
だったら!「連絡先を調べて教えてくれないかな」
案の定、ええーと言う。
そこで思いついた。「その件で、警察から事情聴取を受けたんだ。ほら、俺の学校、すごく柄が悪くなっちゃって。もし、教えてくれないなら、警察が君のところに行くと思うけど」
これまた予想通り、「わかったわかった。調べて連絡するから、ちょっと待って」
こいつは権力を持ち出せば落ちる。
 
その後、講義がはじまるが、奈々ちゃんのことが気になって、身に入らない。もう三年以上のつき合いになる。思い出が走馬灯のように駆け巡る。それはもう、ぐるぐると。ああ、思い出がいっぱいだあ。
って、走馬灯化する時点で駄目だろ。
彼女に限って、大丈夫だとは思うが……。夜、電話してみよう。

不思議坂を上りながら、気持ちがぐらついている。
やはり、ぼくのホームである塾を、ずっと空けておいたのはまずかった。後悔の念が襲ってくる。
荒げた声を出してしまったためか、あの後、塾では、机で悶々とするぼくにだれも寄ってくる者はいなかった。

雲行きが怪しい。状況的にも、天候的にも。
遠くの雲がすごいスピードで流れている。
悪いことは続くものである。

木原の部屋に、ぼくはひとりでいた。彼女は部屋でずっとぼくを監視しているわけではない。よって、よくあるシチュエーションだった。
ふと見ると、箪笥の裏から、ノートの一部がはみ出ている。
何気なく手に取って開く。

「青空 詞・曲 AI木原」
ぶっ、作曲ノート!
ギター弾きながら、ぶつぶつ言ってたのは、作曲してたのか。
『空、なんだか泣けてくるの』
これは、恥ずかしい。そしてまったくキャラに合わない。

セイさんとの会話を思い出す。木原が、本気で切れるってこのことか!
心拍数が上がる。
早く元の場所に! 箪笥の裏に押し込む。
直後、「なに、動揺してんの?」
「ぎゃあ」
「下着でもあさってた?」
「まさか」近からずも遠からず。
貴女の、もっと恥ずかしいものですよお。

話題を転じる。「しかし、この部屋、なんというか、ぼくなんかが、お邪魔じゃないですかね」
前から思っていたことでもある。
そして、シンプルにこの狭い場所に木原といるのが、もお、嫌なのだ……。
「この部屋で七瀬さんと、その、同棲してるんですよね」
「一緒に寝てるけど」
うっ、生々しい表現。
木原の表情を読む。読み切る。照れてるのか。よし、この話題でいい。
「ぼくなんて、そんなシチュエーションめったにないですよ」
「雨男もあるのか」
「ええっと……、まったくレベルが違うと思いますけど、いちおう中学から彼女いますからね。ゼロではないと言いますか」塾で聞いた奈々ちゃんの話題が思い浮かぶ。少しやけになって言った。「一応、やることはやりました、みたいな」
「やることって?」
「そんな、今さら」ぼくは、手をひらひらさせる。そして、途中で思い至った。木原は冗談を言うやつだったか? 木原の顔を見る。顔がみるみるうちに赤くなった。まさか、そういうことかなのか! 思わず、「え」と声が漏れていた。
「悪かったな」
「いえ、悪くはないです」
木原は、怒りを必死で抑えているようだった。ふうふうと荒い呼吸が聞こえる。
まさか、木原が切れる話題って。
うつむき、表情が見えない。「わたし……、そういうの馬鹿にされるのって、一番きらい」
いや、馬鹿にしてな……、

そのあとのことは思い出したくない。
畳を這い、必死で逃げるぼく。木原の蹴りが2回頭のうえを掠めた。
ドアノブにすがりつき、見たものは、理性をぎりぎりで保ったオオカミのような目。
彼女は、あと一息で、部屋全体が発火しそうな緊迫感のなか、荒く息を吐き出していた。

さすがに今日は、木原の目のつくところにいられないため、セイさん宅を出た。というか、今日に限らずこれから大丈夫なのか?
腕時計を見る。せっかくだ。今日のうちに奈々ちゃんに会おう。このままでは精神がおかしくなる。決心し、不思議坂をくだる。

夕方の講義に、彼女は出席しているはずである。現在、講義は後半に差し掛かったところであったため、塾の外で待った。雲行きは怪しい。

人とは、分からないものだ――。
奈々ちゃんは、ぼくの知っている奈々ちゃんではなかった。
露出の多い、派手な私服。メガネはコンタクトに変わり、目元が化粧で彩られている。ギャップのためか、荒んだ表情にも見える。どう見ても、優等生の面影はない。
テストで忙しいと言っていた奈々ちゃんが、こんな短期間で変わってしまうなんて……。

「悪いけど、もう話しかけないで。彼氏に怒られちゃうし。わたし、塾もやめるから」
「彼氏って……」
「みっちゃんには関係ないでしょ。見たければ見れば。あなたと同じ学校にいるから」
ウチなの!「何組の人?」
「三年生、先輩」
鉄男やクラスメイトではない。ほっとした。
「みっちゃんは知らない人だと思うよ。じゃあ」
有無を言わさず、彼女がぼくの脇をすり抜ける。少しきつめの香水の匂いがした。
彼女は他人のようで、後さえ追えなかった。

まったく不可解なまま、ぼくはふられた。
女って……。

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