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虹をつかもう 第22話 ――捜――

定――これまでと変わらず、夕方四時から六時に、セイさんのところに通っている。
師匠であるセイウチ氏の教えだ。これが、気功のエッセンスのひとつ、「定」であり、定まるということ、ストップということなのだと。我が師匠は、「ストッピ」とも言った。

ストッピはともかく、冗談の部類ではない気がした。しかしそうすると、塾と時間がかぶって困るのだが、塾は、しばらくすれば、昼過ぎの時間帯に夏期の集中講座がはじまる。こちらは出席できるだろう。

今年の夏も、例年に漏れず暑い。ぼくは、朝方ランニングすることにした。ジャージは動きやすく、頭上から照りつけない陽射しは、痛くない。
その後、午前中のうちに、自室で気功の練習をする。そもそも効果のある時間帯は午前中なのだそうだ。

ぼくの能力である「金生水」はというと、たまに、計測用と定めたスプーンでチェックしてみるのだが、実はあまり変わっていない。せっかくのプレミア能力だというのに、ちょっと残念である。もっとも、金属に触れるたび、辺りが水浸しになっても困るのだが。

気功の修行を続けたとして、今後、この能力はどう変化するか分らない。気の質的変化によって、ぼくは、金生水の性質からずれてしまう可能性もある。気の世界は不思議に満ちているのだ。
ただし、気功の練習は、健康法としてはバリバリ効いている気がする。
今年の夏は、三田隆、なんだか心身ともに充実しています。

夏休みに入ってからまだ間もない、七月後半のことだ。最近、木原やセイさんに比べて接点の少なかった七瀬さん。
ぼくは忘れていた。あの人も充分変わった人だということを。

夏休みに合わせて、Tシャツとジーンズ姿となった木原とともに、二階の部屋にいたぼくを、七瀬さんが呼びにきた。めずらしい。
「友達がきてるんだ。雨男とも話がしたいって」
「ぼくですか!」
「誰?」と木原が応える。
「まーくん」
出た、まーくん!
「とにかく来て」と、七瀬さんは出て行く。「下の座敷な」
木原と目を合わせると、大体の事情は知っているのか、彼女はただうなずいた。
訝しく思いながらも、階段を下りる。七瀬さんの友達という時点で、すでに想像がつかないのに、その人がぼくに、いったい何の用があると。

「捜査一課の相田です」
座敷の敷居をまたいだぼくに、まずその男は警察手帳を見せた。
刑事じゃねえか。
ぼくは勧められるまま、テーブルを挟み、刑事の正面に座った。
歳は四十前後、顔は面長で、その表情からは、力みが染みついてしまってもう取れません、といった威圧感を感じる。元はそうでもないのに、長年の刑事生活がたたったような。

「雨男、これが、まーくんな」刑事の横に座る七瀬さんが言う。
「相田だけどな」
慌てて自己紹介をする。「あ、ぼくは、七瀬さんの同級生の三田隆と言います」
どういう関係なんだろう。
刑事のことを友達と呼ぶ七瀬さんは、話し方までが友達のようだった。
「今って、警部補だっけ」
「警部」
「へえ、出世したな」
「おかげさまでな。まあ出世したっていっても、ぜんぜん現場いくけど」
「ノンキャリアのたたき上げ」七瀬さんは、ぼくに説明するように言葉を残したあと、「じゃあ終わったら、また呼んで」と出ていった。
「では、話を聞かせてもらおうかな、雨男くん」
「…………」

そこから先は、ぼくに対する不適切な呼び方を除き、完全なる事情聴取であった。
ぼくは問われるまま、今年クラスで起きた様々な事件を話した。
クラスの状態は元々あまり良くなかったが、政治家息子、光田が現われて以来、異常であること。闇に葬られたビリーの暴行事件のこと。ぼくが帰り道、クラスメイトに襲われたこと。そこで七瀬さんに助けられたこと。他にも学校の噂や、校内の爆破現場の様子を話した。

刑事は、爆弾事件の担当であるというわりには光田のことを聞きたがった。ぼくの受けた印象や、知る限りの交友関係を話した。
刑事はコンタクトレンズが乾燥しているかのように、時折、目をしばたたかせた。
刑事が手帳に書き込む手をとめ、ひと息ついたのを見計らって訊く。
「あの、七瀬さんとは、どういうご関係なんですか」
やはり刑事は、目をしばたたかせる。「……七瀬の、友人という立場で話してもいいかな」
それから、いろいろ難しいんだよ、とも言った。
はい、とぼくは、なにか事情があることを汲み取る。
「捜査を、手伝ってもらっている」それでもフランクというわけではなく、言葉を選んでいるようだった。
「捜査、ですか。それはどういった」
「けっこうエグいやつ」
表現が……。
言われてみれば、彼の風貌は、エグい事件に伴うエグい苦労を物語っているかのようだった。
「あいつ、見えるだろ」
まだ言葉を選んでいる。けど、たしかにその話題は、言葉にするのを躊躇う気持ちも分かる。刑事ならなおさら。
「色ですよね」ぼくも最低限の返しをした。
相田氏はうなずく。
「心理捜査ですか」適当な単語を使い、分かったようなことを言ってみた。
七瀬さんと話をする限り、その能力によって相手の性格や心情の動きを、ある程度、読めるようなのだ。彼にしか分からない、色彩の世界のなかで。
「犯行を立証するには、もちろん……」そこで一度、言葉を切る。「第三者に説明できる形で、証拠を固めなきゃいけないんだが、それでも先に正解なりヒントを知ることができれば、その後の捜査の進展がぜんぜん違ってくる」
「第三者に説明できる形で」というのが、この上なく状況を言い表している。ぼくの想像は、遠くなかったようだ。

「これでいいかな。一応、最低限のことは話したつもりだが」
「ええ、ぼくなんかに、こんなに話していただいてありがとうございます」
「ん? 加わったんだろ、チームに。ウォルラスさんから聞いたけど」
「そう……、ですか」詳しくは訊かない。知らないことにする。
「相田さんが、捜査のことを、個人的に依頼しているって考えればいいんですよね」
「そういうときもあるし、そうでないときもある。今回はそうでないときだが、まあ、その理解でいい。事情があって俺が窓口をやっている。俺も上部のことはよく分らない。いち個人とか軽く消される世界だから、深入りしないでな」
いえす。ぼくはうなずく。
この人、確実に苦労している。四十を過ぎているようにも見えたが、実際はもっと若いのかもしれない。

七瀬さんがいいタイミングで戻ってきた。先ほどの場所に座る途中で、「ちなみに、雨男くんは何色なんだ」と相田氏。
「黄色」ぼくを見もせず、なんでもないように答えた。
俺、そうなの!
「まーくんとよく似た色かもな」
それはなんか嫌だ。
「まーくんの外側が、赤みがかってるのが気になるな」七瀬さんは相田氏の頭の上のほうを見た。「どうせ怒鳴ってばかりいるんだろ」
「仕事柄な」
「合ってないんじゃないか」
ふっ、と自嘲気味に笑い、煙草を取り出す。
「心臓病とかなんぞ」
「ほっとけや!」
突然の関西弁。どうも彼は面白キャラの匂いがする。
「そんなのも、わかるんですか?」七瀬さんを見た。
「傾向はあるかな。じじいから聞いた」
なら、怪しい。
「ただ、見えるだけ。何が分かるわけでもない」
それは、事実を隠しているようにも、謙遜しているようにも、事実その通りであるようにも聞こえた。
「人の顔を見て、その人の中身がわかる?」
ぼくは、首を振る。「怖そうとか、優しそうとか、そういう雰囲気くらいですね。中身までは」
「それと同じ」
「本当にそうだよな」そう言って目を細めた相田氏が、タバコの煙を斜め上に吐き出した。彼は、私生活でも苦労していそうだ……。

襖が、すーっと開く。
セイさんだった。いつもの、だぼだぼした服。こればっか何着も持ってるのかな。
その姿を認めると、相田氏があわてて立ち上がり、頭を下げた。
「ええって、ええって」セイさんが制する。
やっぱり、この人すごい人なんじゃ。
「どれ、ワシも話を聞かせてもらおうかの」
相田氏が、ぼくのほうに目をちらりとやってから、セイさんを見た。「爆弾事件、でいいですか?」あい変わらず含みを持たせる。
「ええよ」セイさんは、ぼくの横に腰をおろす。高級そうな木のテーブル。まだ横に、ゆうにひとり座れる。

また、ふすまが開いた。現われたのは、最後の住人。
襖に近い側で向かい合っている相田氏とぼくを無遠慮に見て言う。
「キャラかぶったやつら」
おい、この人とかぶりたくねえよ。
会ってまだ一時間も経ってないけど、なんかこうはなりたくねえ、とぼくは思うのだった。

「やあ、愛ちゃん、いつも可愛いね」
いい年をしたおっさんが、ストレートに言って、目を細める。乾いた砂漠でオアシスを見つけたかのようだ。
木原がむこうを向く。照れてる。おい、かわいいな。
そして照れ隠しの矛先はぼくに。「雨男、どんだけ修行さぼるつもり」
「え、いや」いつもだったら別に気にしないくせに。
「まあ、あいや、ちょっと座っていきなさい」とセイさん。
木原は、仕方ないといった様子で、テーブルの端にちょんと座った。いちいち、かわいいな。学校では決して見れない一面。本当はさみしがり屋の気がする。

相田氏が、姿勢を正し、警察サイドの視点で爆弾事件を語る。
学校側が協力的でないこと。加えて、非正規ルートでは捜査に圧力がかかっていること。
捜査には、正規と正規じゃないものがあるのだろうか。
相田氏の住む世界には、ぼくなんかが想像もできないような複雑な物語があるのだろうことを、相田刑事の顔が、彼の放つ空気感が、どんな小説よりも雄弁に語っていた。

そして彼は懐から、一枚の写真を取り出した。
ドラマで見る、刑事っぽい仕草だ。
「最近、入手したものです」
学校のどこだろう、上部が見事に砕かれたコンクリートの柱。おそろしい……。
その断面の大きさは、ちょうど、人ひとりがすっぽり収まるような縦横に見えた。その柱を人に置き換えたところを想像すると、ぞっとする。
それを手にとって、眺めたセイさんが、
「殴ったんじゃね」
ボケた。
写真でひと言じゃないんだから。
ぼくが突っ込まなければ、この場では、だれも突っ込まない。
「専門家にいくつかの現場を分析させました。どうやら破壊のパターンは、二通りあるようです」相田がつづける。ボケ殺しだ。「力の加わり方が違うようですね」
「解析って、どうやんの?」セイさんが訊く。
「画像を使って計算します。たとえば、そうですね、この写真でも行えます」
「こんぴゅーたー? 高いやつ?」
「はい。税金ですが」
ぼくは、調査が進んでいたことに驚いた。科学捜査までしているのか?
「そおかぁ。じゃあ、殴ってるやつ、二人いるんじゃね」
「そんな人間いるわけないでしょ」
さすがに突っ込むぼくに、相田氏が驚いた顔をむけた。
「ワシは無理じゃけど」と、木原のほうを向く。
「あい、これくらいのコンクリート砕ける?」
「砕けるわけねーだろ」
どんなゴリラだ、と突っ込みたかった。
「じじいくらいなら砕けるかも」
木原は冗談を言わない人なので、セイさんは、ほっほと言って庭のほうに逃げて行った。

座敷は、中年刑事と学生三人の四人になる。
ここで、「そういえば」と、中学生のときに聞いた事件を思い出した。
「ぼくとは別の中学なんですけど、爆弾を真似した装置を作った生徒がいて、グループで遊んでいるうちに爆発する事件があったみたいなんです。といっても、怪我をした生徒は、手に火傷をしただけで、たいした話にはならなかったみたいですが」
「警察は知っているのか?」
「はい、たぶん……」
相田氏は、セイさんが去って力が抜けたのか、また煙草に火をつける。ふーと煙を吐き出す。そしてようやく、「爆弾とは言わないな」
だから、真似した装置だって。
「それが、その火傷した生徒というのが、南野というやつで、今、光田とつるんでいるんです」
ぴくりとする。ぼくの話は、ベテラン刑事の動きを一瞬、止めるくらいの効果はあったようだ。光田、という単語に、敏感なセンサのように反応する。
が、口を出したのは、木原だった。
「わかった。爆弾の犯人は、あのネズミづらだ」
名探偵の最後の台詞のようだ。けど――、
「ちょっと、短絡的じゃないですか」
「そんな顔してる」
「無茶な……」
「もう少し詳しくいいかな、愛ちゃん」優しく訊ねる相田氏の態度が、ぼくのときとまるで違うのだが。
「ネズミが、何日か学校を休んだときがあったのね」
「あっ、七瀬さんが、ぶっ飛ばしたとき」
「ああ」と思い出したように七瀬さん。
「そのときに爆弾事件があったか、調べてみればいい。多分、ない」
たしかに、そのときすでに、爆弾事件ははじまっていた。
あのダメージで南野が活動できていたとは思えない。
「ありがとう、愛ちゃん。参考にするよ」
木原は、照れを隠すように立ち上がる。
座敷を出ていく直前、ぼくのほうを見て、「あんた、わたしのこと馬鹿だと思ったでしょ?」
ピシャリとふすまが閉まる。
「愛ちゃん、かわいいなあ」相田氏は、ぼくとまったく違う感想を口にした。
……怖いので、今日はこのまま帰ろう。
「じじいとあいの意見を足したらちょうどいいかもな」七瀬さんが言う。
「南野は、怪しいといえば怪しいですけど、セイさんのは、ちょっとひどくないですか」
「武術気功」ひと言、七瀬さんが言った。続けて、独り言のように、「あいが砕けないものを、相手は砕いていることになる」とも。
会話が途絶える。夕暮れの座敷に男三人――。
突然、湧いてきたかのような蝉しぐれ。
七瀬さんの言葉が気になったが、あまりにも場の酸素濃度が薄いため、ぼくは帰宅する旨を伝え、セイさん宅を後にした。

家に帰り、夕食後、陰陽五行のときの反省を踏まえて、インターネットでさっさと調べる。ところが、予想に反し、こちらはよく分らない。ネット上をしばらくさまよった。

武術気功――護身用とされている「硬気功」と同じものではないかと推測される。その硬気功にしても流派が多く、つかみどころがないのだが、「硬」の字が示すように、肉体、もしくはその一部を硬化させ、武術に応用するものであるようだ。
通常の気功――硬気功に対し、軟気功という――とは、練習法も異なるようで、ぼくの練習メニューにその面影はない。ただ、気の質を高め、コントロールすることには変わりない。両者は、どこかでつながっているはず。

木原のは、間違いなく「それ」だ。彼女には、その道のマスターっぽいセイさんがついている。百六十センチそこそこ、すらりとした体型の彼女が、蹴りで大男を吹っ飛ばすなど、常識では考えられない。
鉄男こと光田はどうだろう。あの肉体だ。気功など関係なく、その強さは筋力によるものだとしても十分に説明がつく。逆にいえば、あの肉体で硬気功を身につけたならば、コンクリートすら砕くこともできる?
馬鹿げている――そう笑い飛ばすことはできない。これまでに何度も、想像がつかないものを見てきた。

『あいが砕けないものを、相手は砕いていることになる』
七瀬さんの言葉がよみがえる。
変な言い方かもしれないが、「まっとうな」爆弾魔であってくれたほうが、よっぽどありがたい。
ぼくはテレビを見ていても、どこか上の空で、ベッドに入ってもなかなか寝つけなかった。

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