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壊れた心の話

私にとっての心の在り方とは、色の無い不定形の宝石だ。
自分の体験を通して様々な影響を与え、色や形が勝手に作られていく。
そして勝手に作られた宝石が自分にとっての基盤となり、心の形からズレた事をしてしまうと、何処か輝きが減っていくような気がして嫌な気分になる。
そんなイメージがあるんだ。

世間では心が壊れると、廃人になったり、病んでしまったりするって言われてるけど、私のイメージではそんな事はない気がする。

廃人はそもそも、自分とかそう言う話じゃなくて、何も考えてないんだと思う。
自分の中の心の形に何一つ答えていない。
そうやって、輝きが無くなっちゃった人の行き着く場所が、廃人なんだと私は思う。

病んでしまうのは、心の形が完全に染まってしまったから、もう自分の輝きに逆らえなくて、どうにもならないからだと思う。
常に欲望と言う命令を聞いて、妥協も出来ないし、完璧じゃないと駄目。
新しい事への挑戦なんて候補にすらならないし、だから心の形を変えられない。
その上で自分を傷つけたりするのは、誰かに気づいて貰って、無理矢理にでも変えて欲しいって合図なんだと私は思う。

その上で今からする話を聞いて欲しい。

私の心の形は、壊れている。
ひび割れがあるとか、真っ二つとか、そんなのじゃなくて、粉々に砕かれてるんだ。

じゃあ何で今こうやって自分らしさのある文を書き綴ってるのかって言うと、それは今も砕けた心の欠片が指示を出してるからだ。

心の欠片には、沢山の種類があると思う。
色んな感情だったりが、様々な方向性となって欠片として別れてる。
どういう事かって言うと、善人としての私の嬉しさと、悪人としての私の嬉しさは違う。
心の形が壊れてない人は、それらを合体させた嬉しさがあるんだろうけど、私には無い。
良い事をして嬉しくなっても、悪人としての私はそれを不愉快に思ってるんだ。

何で心の形が壊れたのかは、分からない。

多分、自分と言う存在を作り上げる際に、何らかの問題が出て壊れるんだと思う。

人生を普通に過ごすのなら、ラッキーやショックは + や - で処理されてる。
だけど、問題が出てしまうと × や ÷ が出てきて、そこで「a × ( - 3)」みたいな事になっちゃうと心の形が台無しになる。

そう言う物なんだと私は思ってる。

ただ言えるのは、心の形を壊すのは別に怖い事じゃないよって話。
例えば、自分の中で相反するような心の欠片がある以上は、完全に染まる事は無い。
だから、絶対に病まずに済むんだ。

まあ、そのせいで一つの事に夢中になれないってデメリットもあるけどね。

だから、怖がらなくていい。
無理して自分を捨ててしまうくらいなら、壊れてしまった方がいい。
人生を捨てるのは、勿体無いからね。

私の言いたい事は以上です。
ご閲覧、ありがとうございました。

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