昨今の報道について思うこと。

大谷や水原元通訳の件については後ほど、自分の考えは書こうと思っているけども、まず書きたいのは「ギャンブル依存症について定義みたいなのだけを書いてるだけ」みたいなくだらない記事が多い事が当事者としては非常に残念です。

僕は常にnoteを開いた時に「ギャンブル依存症」で検索をかけて色んな記事を見ますが「当事者」が書いている文と「客観的」に書いているものがあります。

「客観的」なものはまぁ啓発的なものや注意喚起等、当事者からすれば当たり前のことをよく見かけます。

まさに進行中の依存症患者からしたらそれを読んで気付くこともすごく大事なことなのだけれど。(気付ければ)

個人的には「客観的」に書いたマニュアル文には正直言って依存症患者には意味ないと思っているのでこの手のnoteが増えるのも意味ないなって思ってます。(閲覧数稼ぎとかに見えるし、それ有料にする?みたいな記事も見かけます)

もちろん、今回の一平元通訳のようにやったことがギャンブル依存と関りのあるニュースとしてインパクトがデカすぎるので話題性にはもはや仕方ない部分はあるんですが。

ただ、それにしても「客観的」に色々書いている記事が多いので個人的には、当事者としては、ちょっとイラつくこともあるわけです。



さて、その当事者である自分は今回の件でどう思うかと言うと、ちょっと聞いているだけでしんどいですね。

というのもこれだけインパクトあるニュースなんで当然色んな人が知っているわけで僕の周りの人たちも当然知っています。それを考えると「自分のことを引き合いに考えるだろうな」とか思ってしまうわけです。

つまりはこの話題を自分自身に問われれば額の大きさは違えど「ギャンブルで他人に迷惑をかけた」ことは変わらないのでその辺のことを思い出してしまうのでかなりしんどくなります。

通院、ミーティングを続け、債務整理も進め、回復の為の行動を取っている中で忘れられないのが「家族等に迷惑をかけた記憶」になります。

ギャンブル依存症の症状の一つとして「周りの人の信頼を失くす、人間関係のトラブルが生まれる」ということがありますが僕は未だにこれが辛いです。僕の状況を知っているのはほぼ家族しかいませんが妻には時々刺さるような言葉をもらいます(笑)(当人はそんなつもりないと思いますが)

僕はある程度は今自分の状況が良くなりつつある中で当たり前の生活が少しづつ戻ってきている実感があります。

ギャンブルで借金に追われていた時はそんなものとは程遠く、いつも気持ちが焦っていました。

そういうことを忘れないのが自分の回復なんでしょうけど、辛かったことを思い出すのはやっぱりしんどいなって思ってしまいます。本当に死にたいと思ってましたから。

だから、一平元通訳も報道の通りなら今すぐにでも死にたかったと思っています。(そりゃあ、億単位の金を窃盗して、相手が世界のスーパースター)ちょっと前に書いたファジョーリの記事なんかでもファジョーリも死にたかったって言ってましたし。

でも、「死ねない何かあった」、逆に「それを一生背負う覚悟」ができたんだと思います。

僕は決して彼らを自分と同じだと擁護している訳ではないのですが、僕はこのニュースが早く終息してくれないかと思っている中で「当事者」としての見方を自分なりに書いてみた、ということです。

次回の通院やミーティングでこのニュースの話はしようと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?