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セルフイメージという呪縛


今朝、珍しく
娘が泣いた。



中学校での数学は
レベルに応じて2つのクラスに分けるので
希望を提出することになっていて。

娘は「基礎のクラスにしようかな」と言っていた。
ついて行けなかったら困るし
何人か聞いた友達もみんな、そっちにするみたい、と。



くーさんとわたしは
「発展クラスでいけるよー」と促していたんだけど
娘は、同じ中学を出た兄ちゃんの意見も聞いてから決めたいと言って寝た。

息子が帰ってきて、代わりに聞いてみると
「発展で行けるっしょー」とのこと。
それで今朝、娘に伝えたら

「じゃあ、そうする」と言いながらも、
泣きだしたのだ。


「そんなに嫌なら、基礎クラスにすれば?
プレッシャーかけるつもりで言ったわけじゃないんだよ?」と
言うと、それにも首を横に振り

「わかんなくって涙が出るの。
今は決められない…」と
提出を延ばして学校へ行った。


「もったいないよねー。
別に数学、ニガテじゃなさそうなのに」と
起きてきたくーさんも、息子も言う。

2人は理由を
あれこれと推測していたけど、

強い抵抗感が自分を苦しめていて
自分を過小評価していたり
前向きにチャレンジできなくなっている

ことだけは確かだった。




11時頃になって、
メルマガが送られてきた。

ブログもそうだけど、
自分の興味が移り変わっていくのと同時に
読みたいメルマガって変わってくから

今は、メルマガって
氣付けばこれしか受け取ってないのだけど。


~中川賢太郎さんって人です~


その内容を読んで、大笑いしながら
わたしはやっと氣がついた。

朝、娘が泣いたことも
このメルマガも、
全部わたしへのメッセージだったんだ!と。

自分の中の女神に
強い抵抗感を持ち、

まるで、無いもののように
閉ざしてたんだ。



メルマガはざっくり要約すると

「イケてる風、モテてる風、
お金に困ってない風…

そんなふうに
見せかけの何かを足すな。

深層では
それがないとダメだ
と思っていて

で、自分にはそれがない
と思っていて

その「不足感からの行動」って
自己肯定感を
めっちゃ下げちゃってるよー。」

っていう内容だったのよね。



つまり、昨日ガイドからもらった
アドバイス(という名の喝!)に
照らし合わせると


自分の中に既にある
女神の自分を

足す必要はない。
足りてないんじゃないから。

ただ、抵抗感から
無いものにしてただけ。

ただ認めて、
有るがままさらけ出すだけ。

っていうことだよね?



わたし、今度こそ絶対に

これまでのセルフイメージという呪縛から
抜け出してみせる。

本来の自分は、愛のカタマリを持ってる。

そんな自分を、恥ずかしがらないで
ばーん!と解放して
まーさんとの愛に還る。


それが本質ならば
本当は、清々しいはずで。

魂が喜ぶこと。

それ以外をくっつけている必要は
なくなるのだ。


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