奇をてらうことしかできないのならまだ二流なのか

純粋な魅力だけで勝負できる才能ってうらやましい。M1グランプリとか見てても、意外に純粋王道漫才やってるコンビってすくなくて、キャラとか迫力とかで押しているコンビが多かったりするよね。

又吉直樹の「劇場」で、主人公が奇をてらった演劇を作るんですよ。奇をてらったって言い方は失礼だろうか。まあ、一般大衆向けじゃない玄人向けの作品を作るんです。堅苦しい職人気質の作品を作るんです。
そんな彼が、珍しく有名な劇団の演劇を見るんですけど、そこでいたく感動してしまうんですよ。それまでは王道のストーリー性、初めに苦労して最終的には成功して涙を誘うっていう展開に対して反発していた彼が、その演劇を見て、純粋にいい演劇を作る力がある人はストーリーの構成にそこまで工夫を凝らさなくても感動させることができるということを初めて認めます。

そこが大きな転換点になって主人公は自分の実力不足を自覚していくんです。それを読んでたしかにーと思ってしまいました!

小手先の力だけで勝負せず、特に工夫もせずとも人をひきつけてしまう魅力ってあるよね。うらやましい。いいなああ。僕にはないです…。うがった見方をしてしまうのだから。

ただただいいものを作ろうとするよりも型をやぶろうとする方が簡単だよね。「いいもの」って漠然としすぎてわかんないけど、型って何となくわかるし、普通とされているやり方から離れるだけでいいから、すぐできる。

型を跡形もなく破壊しつくすには、型の隅々まで知ってないといけない。ただ壊すだけでない、真の型破りはそんなに甘いもんじゃないってことなのかなあ。

芸術とかの先が見えなくても自分の感性を信じ続けるあの姿勢には尊敬します。というか畏怖を感じます。無駄だとも思います。けど、すごい。身近にいる小説を書いている人は馬鹿にしちゃうけど、でも本当の小説家は尊敬しかない。芸術には芸術家が作り出す作品を楽しむ人が不可欠だけど、誰しもはじめは自分一人でスタートするものなのかなあ。そんなの怖くてできやあしないなあ。

企業も芸術家をもっと採用すればいいのに。何やってるかわからないことに全力を捧ぐ芸術家の狂気は企業にとってもいい影響を与えそうだなあ。社員アスリートがいるんだから社員アーティストがいてもいいよね。

会社に買われてお金の心配なく安定したアーティストなんてアーティストじゃないのかな。でもお金は結局必要だよね。むずかしいや。

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