世界との境目

SNSは匿名だから何でも書けるとかいう人いるけど本当に匿名な人って全然いないよね。フォロワーの中には一人くらい知っている人がいるだろうし、全く無の状態からアカウントをスタートさせるなんてほぼほぼないから。

だとしたら、自分を知っている人っていう枠と、自分のことを知らない人っていう枠の二つの枠があるのかなあ。誰からも発言に関して責められたくないっていう意識と、誰かしらに認められたいっていう気持ちなのかもね。

別の話だけど、その人がどんな人かって知っている人はそんなにいないよね。小中高のころはクラスで毎日会うからクラスメイトに関してはある程度どういう性格してるのかってのはわかるけど、それでも本当に深く知っている人ってあんまりいない。

有名人の熱烈なファンと、その有名人の旧知の知り合いだったら後者の知り合いの方が深い付き合いだって言える気がする。ファンの方がいくら興味を持って、お金時間を費やして行動を追っていても、ただの知り合いってだけの人より深い付き合いになることはできない。なんで? おかしいような気もするけど当然のような気もする。

会話してないからかな。対話してないからかな。会って、面と向かって、交流する。相手の出方を見て発言内容を修正したり、言い方を変えたり、態度を変えたり、そういうのができないから? ただ発信する人と、ただ受信する人。いびつな関係。

イヤホンをつけることで外界から自分を区切ることができて安心できるっていう感覚になる。誰からも見られうるけど、誰からも見られない、自分の存在感に対する不安が少し軽減される感覚になる。

自分を認識できていないのかも。自分がどういう存在であるかを認識できていないから、イヤホンを使って強引に外界から遮断して自分と世界の境目を作らないと自分が何かわかんなくなるような感じなのかも。



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