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飯田国大 給料は0円だった

都会での生活「Sphere(スフィア)家は24時間で創る」

「知らん」
母が田舎での生活の中で温泉に入りながら地元の人に息子さんはなんの仕事をしていますか?と聞かれた。
母は一言「知らん」と答えた。

「材料費0円のレストラン」編を見て飯田は隠居して農家になったと思っている人もいると思う
農家になってもいいが箸より重いものを持てない飯田はへっぽこ農家にしかなれないと思う。
「Sphere(スフィア)家は24時間で創る」
この仕事は昨年ラオスより戻り日本で1年が経った。
しかしこの仕事での収入はいまだ0円である。
さらに0円だけならまだいいが、このプロジェクトに関する東京出張・関西出張、海外出張の費用はすべて自腹(飯田の個人マネー)である。
飯田のベンチャー企業としてのバーンレートは真っ赤である。

父や母そして家内の父や母に説明するのは難しい、、、、
なぜなら彼らにとって働くという事は誰かに雇われて安定して給料を貰うことだからだ。

飯田は社会人になって給料を一度も貰ったことはない

昔、社会をよくしたいと考え20代の時、自民党系政治家の秘書という「仕事」をしていた。
朝は4時起き 夜は深夜2時そして365日1日も休みがなかった。
それが何年も続いていた。
そんなに毎日働いていたのに「仕事」と書いたが給料は0円だった。
しかし今は知らないが当時は秘書といったら最初の半年ぐらいは給料はなかった。
そして秘書となって半年が経ち能力が認められある時言われた。
「飯田君給料をあげるよ」
当時の飯田は即答した。
「こんなに飯田のやりたいことをさせて頂いて勉強しているのに給料はいりません。」
と断った。
当時は1円も収入がなかった
でもやりたいことをやっていたから(勉強させていただいた)お金を頂くことはできないと感じていた。
命をかけて仕事をしていた。

秘書としての最初の仕事は福岡県知事選挙で遊説カーの運転手下っ端の下っ端だった。

ある時言われた。
「飯田君遊説カーのうぐいす嬢の衣装を洗ってきてくれ。」
うぐいす嬢の衣装???
衣装と言えば衣装だが洗ったのはウグイス嬢がはくパンツ(ブルマみたいなもの)だった、、、、、
まだ若い飯田にはショックで悲しくて涙がでた。
社会をよくしたいと考え飛び込んだ政治の世界
下っ端の下っ端とはいえ飯田のプライドは大きくきづついた。
僕はパンツを洗うため秘書になったわけじゃない!!!
その時は悲しくて悲しくて涙がたくさん出た。
当時、秘書というよりまだ運転手だった。
更にウグイス嬢からもパンツを洗っている下っ端の下っ端の飯田馬鹿にされていた。

しかし
普通の人は普通に仕事をこなし誰かに給料を貰いやらされているだけだった。
飯田は当時社会をよくしたいと考え本当に命を懸けて好きな仕事をしていた。
下っ端の下っ端だろうがどんな仕事も素直に受け入れた。
そんな感じだから誰にも負けるわけはなくだんだん責任ある仕事をまかされるようになっていった。
しかもパンツを洗って涙が出て以来飯田にはプライドが無くなりなんでも言われた仕事を素直に一生懸命頑張って仕事をした。

するとどんどんめんどくさい案件が飯田に来る
しかし一生懸命頑張るからどんどん評価され次の案件が来る
ある時、先輩秘書より飯田君!知事候補に「もっと大きな声を出せ」とダメ出しをしてくれと言われた。
はい!!
「候補!もっと大きな声を出していただけませんか?」
当時知事候補は60代20代の若者の飯田よりダメ出しをされムッとした表情をしていた。

県知事の選挙は知事は初当選した。
その知事が進めた施策で「福岡ベンチャーマーケット」があった
秘書を辞めた後その福岡ベンチャーマーケットでプレゼンをしてベンチャー企業として数億円資金調達を行った。
この知事の施策には様々なチャンスを頂いた。

知事の選挙事務所は博多駅の大成博多駅ビルだった。
当時はそのビルは廃墟のような状態だった。
なんの縁か?数年後大成博多駅ビルはリノベーションされ、そこに飯田はベンチャー企業の社長として入居するようになったこともあった。

知事の選挙数日後

飯田君
ある自民党系の県議会議員がいて1年後に地方選挙があるそこで頑張らないか?
「はい!!やります。やりたいです。」

しかし今だから話せるがその県会議員は地方選挙に立候補したが大病を患い生死のはざまで入院していた。
議員の全くいない選挙
病状を有権者に隠しての選挙
しかし自民党系議員の強みで選挙スタッフは余るほどいた。
よしこのままでは普通に選挙に負ける
勝つには我々が頑張るしかない

当時選挙区には約15万世帯あった。
このうち自民党系の支援者の家を徹底的に挨拶まわりをする事にした。
自民党系支援者の世帯数÷選挙が終わる日÷選挙スタッフ÷3回挨拶に行く=400世帯
1日に400世帯あいさつ回りをしないとこの選挙勝てないと予測した。
普通、一般の人が回ると100世帯が1日の限界である。
しかし当時の選挙スタッフに言った。
「議員は大病で多分この選挙には1度も顔を出さない我々は負けるしかし勝つには命をかけて400世帯やり遂げるしかない」

さぼる奴もいた
飯田は怒った
「なぜ命をかけてやらないんだ」
今考えたらそんな論理は仕事をやらされている人には通じなかった(笑)
当時の選挙スタッフは一生懸命400世帯を回ってくれた。

そんな命をかけて選挙を戦っていた選挙日が近づいた時
飯田君 今日からこの選挙事務所に行ってはいけないと指示があった。
理由は飯田をこの選挙事務所に紹介していただいた方と選挙事務所の筆頭秘書が選挙のやり方について意見の相違があり喧嘩した。

飯田はその指示には絶対に従えないと感じた。
選挙事務所を紹介していただいた方に不義理をするしかないと考え
頭を丸坊主にして直訴しにいった。
「私をこの選挙最後までやらして欲しい」
飯田君駄目だ、もうこれは決まったことだ
「私はこの選挙に命を懸けているあなたの指示でも従えない」
駄目だ!駄目だ!駄目だ
翌日飯田は頭を丸坊主の状態で選挙事務所に行った
選挙スタッフはいつもなら朝一番に来る飯田が来ない上に遅く来て丸坊主だったから
選挙スタッフはなにが起きたのか?驚いていた
しかし筆頭秘書より飯田君はもうここには来てはいけないと優しく諭された。
悔しくて悔しくて悔しくて涙が出た、、、、、

投票日
議員が大病で選挙に来なかったのに4人当選枠があるのに選挙区内での得票率は40%を超え九州エリアでは断トツのトップ当選だった。

残念なことに選挙の当選の打ち上げ1次会には参加できなかった。しかし若手たちの集まる2次回にはこそっと参加させていただいた。

飯田君よく頑張ったね
次は、、、、、

To be contnued....
#飯田國大

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