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飯田国大 死んでからではなにもできない

死んでからではなにもできない

先日元ヤオハンの和田一夫氏がお亡くなりになった。
ラオスより日本に戻ってお会いしたかったがお会いすることが出来なかった。
こころの奥底にはいつかまた逢えると油断があった。

飯田が和田代表と初めて会ったのは福岡だった。
福岡で若手の経営者を集めて和田代表より経営の話を聞くことが始まりだった。

初めて会ったとき和田代表より「飯田君は素晴らしいね!!面白いね!!」とお世辞かもしれないが全部を肯定する評価を頂いた。

当時は会社を独立したばっかりだったから伝説の経営者からの肯定は自分を認めてくれたと感じすごく嬉しかった。

和田代表は飯田の唯一の経営のメンター(師匠)となった。

ある時、和田代表にこんな相談をした。
会社を独立して不安に思うことが日々あると相談した。

毎月毎月会社を経営しているが数ヶ月先に会社の売上がある保証は何もなく先の事を考えると毎月毎月資金繰りで不安になることがあると話した。

和田代表
飯田君 心配することはなにもないよ
生きていると「いい事も」「悪い事も」ある。
しかし
全ては必ず意味がある。
「いい事も」「悪い事も」全て受け入れなさい。
そうすると自ずと道が自然に拓けてくる。

全てを素直に受け入れなさい

もし飯田君が会社を経営していて資金繰りや会社が詰まった場合それはそこで経験すべきことであり全ての事象には必ず意味がある。
その瞬間だけを見ていい、悪いの物事を判断してはいけないと和田代表は優しく教えてくれた。

それ以来、飯田は「いい事」や「悪い事」があってもなにも恐れるものは無くなってしまった。

無一物中無尽蔵である

飯田が人生最大のピンチの時に話していただいた話がある。
和田代表に教えて頂いた話の中で飯田のこころに強く残っていて今でも日々実践している。

「そば屋と居酒屋」の話である。

ある儲からなくなったそば屋が居酒屋に業態変換をしたい
お店を休業して改装して居酒屋にしたい

どうしたら?成功しますかと和田代表に相談に来たらしい

和田代表は相談者にひとこと
「やめなさい」
「それはビジネスではなくギャンブルです。」と答えた。

相談者
私だってこんなリスクのあるチャレンジはやりたくない
しかし
このままだと私のそば屋はだんだん売上が下がっているのでつぶれてしまう

和田代表
お店を休業にして改装して居酒屋にすることは実は成功確率は1/2しかない
そんなチャレンジはビジネスとは言わないギャンブルと言う

相談者
じゃ?私はどうすればいいのですか?

和田代表
そば屋のメニューに毎月一個づつ居酒屋のメニュー
を増やしていきなさい

12ヶ月後
居酒屋になっている。

しかし必ずどっかで失敗する。

大丈夫 1ヶ月前に戻ればいい。
少しずつのチャレンジを細かく繰り返す
これがビジネスだよ、、、、

飯田にはもうこれ以上書かないが和田代表から色々な事を教わった。
和田代表は飯田の救いであり、大きな、、、大きな感謝しかそこにはない。

しかし

もうその気持ちを伝える事は2度と出来ない、、、、
非常に強い後悔をしている。

今、飯田は週末レストランを父と母と家内と4人で行っている。
正直、ぜんぜん儲からない(笑)

しかし飯田40代後半にして父と母と過ごせる時間は悲しいが永遠ではない

こころの奥底にはいつか、、、、両親と

いつか?親孝行

いつか?両親と旅行

いつか?両親と美味しいものを食べに行く

いつかはない、、、、

今すぐに実行に移さないと時間はあまりない
もしかしたらもう全くないかもしれない、、、、

父と母と過ごす時間は一言でいうと
「幸せ」である。

飯田は長い間、経営者として仕事をしてきた。
その中で色々な事を経験して手に入れてきた。
金、車、、、女性遊び、、、、有名になりたいとか
この欲望には終わりはない
得ても得ても満足はなく更に求め続けるだけである。
その繰り返しだけである。

でも本当の「幸せ」は目の前にある。
残された時間はわからないがこの「幸せ」を
もっと
もっと
ゆっくり味わいたい、、、、

写真は先週、父と母と天ケ瀬の温泉街の花火を4人で見に行った時のものである。
この世の幸せである。

to be continued......
#飯田國大

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