見出し画像

飯田国大 ONとOFFの人生

ONとOFFの人生

現在世界最先端の家を創るプロジェクトを行っています。
プロジェクト名は「家は24時間で創る」

その中のひとつの新しい家のテーマで「ONとOFFの人生」という提案があります。

今、私はOFFの人生で実験を行っている
テーマは「ONとOFFの人生」

テーマの中のキャッチフレーズにはこう書いてある

「OFF DAY」はもう一人の自分のなれる時間 
「ON DAY」は都市に住み「OFF DAY」田舎に購入した家に住む
野菜作りなどをして楽しむ自由人 人生二毛作

月曜日-木曜日までは都会でバリバリ仕事をする
金曜日-日曜日は田舎でゆっくりとした自分の人生を楽しむ

最近、田舎と都会どちらに住む?メリット・デメリットとかよく特集されている
しかしどちらにも大きなメリットがありその両方を得る人生の提案があってもいいのではないかと考える。

都会にはやはり様々な人やイベントがあり時代の新しい情報が仕事を行っていく上では非常に重要である。

また逆に田舎には静かな自然の中で温泉や季節の自然の風景の中で癒される自分の人生がある。

「66-80歳の人生」

人は生活環境の変化(加齢や仕事)による8回家を住み替えるのが理想らしい
その理想の中で仕事を定年退職した後(66歳から)の人生の提案の中で「店舗付き住宅」がいいらしい。

定年退職をして仕事を離れたことにより突然人生の仕事(目的)と人とのコミュニケーションを大きく失う。

退職後の次のステップで両方を同時に得るには1階を店舗2,3階を自らの居住スペースにするという提案がある

1階の店舗は自分の好きなことのお店や趣味の作品のギャラリーにするのもいいらしい

また退職をしたことにより社会との関りが希薄になった分を埋めるようにカフェをするのもいいと提案をしている。

このカフェは利潤が最優先事項ではなく最優先事項はコミュニケーションが最大の目的である。

私は今このテーマを実際に自分で体験するための実験を行っている。

和食レストラン「犬はりこ」である。
http://www.facebook.com/inuharikokusu
レストランから車で15分のところに美しいミツマタの花が5万平米も満開です。(4月中旬まで)

私は7年間もラオスにいた。

7年ぶりにラオスより1次帰国すると私の両親、家内の両親いつのまにか?年を取っていた。髪がすべて白髪に変化していた。
私の父に至ってはあと2ヶ月で死ぬと自分で言っている。

父は元捜査4課で福岡県の暴力団担当の刑事だった私の子供の頃の記憶だと平日は早朝から深夜まで働いていた、たまに早く帰ってくると「○○で発泡事件が発生」と警察署から緊急の呼び出しを受けすぐに出動していた。

そんな人生から警察を退職して突然暇になる。しかし自由になっても仕事しかしたことがないから次になにをしていいか?

よくわからない

人生の中で突然人との関りと目的を同時に失う

ラオスで嶺井さんという日本人にあった
嶺井さんは40代の時ラオスに日本の家具工場の責任者として派遣された。
嶺井さんはラオスに進出した最初の日本企業の責任者としてラオスで30年間働いた。

しかし今から2年前日本の家具工場の顧問として働いていた仕事も加齢の為退職した。
毎日、毎日家具工場で仕事をした人生が終わった。

するとすぐに歩くことがままならなくなった

ある時嶺井さんが私に言った。
周りの友人はみんな死んだ
凄く寂しい

「飯田君、友達になってくれないか?」

嶺井さんは沖縄出身の人で退職した後、沖縄の絵をよく描いていた

飯田君、沖縄に帰りたい

しかし今、帰ってもだれも知り合いがいない

嶺井さんは去年の12月寂しくラオスの地で亡くなった

目的と人とのかかわりのない人生、、、、、確かに生きている理由がない

私の母は昔から「いつかカフェをしたい」とよく言っていた。
いつか、、、、

多分今しかないだろう

よしカフェをやるよ!!

父と母に伝える

しかし最初に父と母に伝える「このカフェは商売ではない」
このカフェは父と母の社会とのコミュニケーションを増やすための目的のカフェだ

ひとことでいうと「コミュニケーションカフェ」である。

この「コミュニケーションカフェ」は目的は商売ではないから
予算は0である

設備投資もしない
従業員もいない お手伝いは大歓迎だが(笑)
家賃もない

そして内装は全て自分たちで行う事にする
お金は一切使わない、いや使ってはいけない

2018年12月から準備を始める

祖母の家が玖珠にある。
祖母が無くなって17年経ったその間空き家である。

その空き家をカフェにする。
週末の休みに改装を始める

外壁を塗装する
父と母が知り合いの塗装屋さんに相談する
家の外装の塗装をお願いする
見積もり30万円

却下

自分たちでやる
ナフコに行き塗料を買う1万2000円
父、母、飯田、家内と4人で塗装をする

畳が落ちている畳の張り替え
業者に見積もりを取る
12畳で12万円

却下

父にお願いする
サンワで床材を購入する
6畳で29000円

しかし父は当たり前だが元警官だから床材など自分で張ったことがない
私がYOUTUBEで検索して床材の張り方で動画を見せる

難しい

母の兄が家で時間をもてあましていた
体が弱って歩くこともままならない

母が兄に電話して呼ぶ「助けて」

父と母の兄と2人で床材を張る

母の兄は歩けなかったがいつのまにか歩いて床張りや庭の剪定をする為に梯子を使いに木を登っている
人間は思い込みで歩けないと思っている。
もしくは歩く必要がないから歩けなくなる。
動く必要がない自分を正当化するために
必要と目的があれば体は自然と動くようになる。

テーブルがない

○○万円でこのテーブルを買いたい

却下

IKEAに行く1つ3000円のテーブルを購入する
母に手芸の作品をテーブルの上においてその上にクロスを張ると伝える

食品衛生局の許可を取る

誰も調理師の免許がない
調理師を雇いたい

却下

家内に伝える
あなたが食品衛生局の許可を取る
やり方がわからない

新しく勉強をしなさい

自分で取れた。

内装をキレイにしたい

却下

壁を真っ白に塗って母の手芸作品を部屋に一杯飾る。
母は手芸の先生を40年以上している

駐車場をつくる
知り合いが最近駐車場を業者にお願いしてつくった見積もりを

却下

自分でやる

父と母の兄がスコップで整地をして駐車場の場所を確保する
そして玖珠の建設用レンタカー会社に連絡して人生初の2トントラックを借りる
ちなみに運転手は父である。

そして人生初めての採石場に行き砕石を2t購入する
駐車場に砕石を2tトラックから落とす

全て父が行った。

すべてが父にとっても私にとっても人生初めての経験である。

「全ては自分たちで行う」

投資をすると商売になる

商売になると目的がずれてくる
なぜならこのカフェは「コミュニケーションカフェ」である
投資を回収することが念頭にあると気負いとリスクがでてくる

そして無理が出てくる。

そして楽しくなくなる

ラオスでtokyocakeを始めた時も自分たちで内装をやった
最初は言われた
「学芸会の店」みたいだと
しかし今ではラオス一番のケーキ店となった

最近、父は死ぬとは言わなくなった

なぜなら新しい目的ができたからだ。

to be continued.....

お父さん私は箸より重いものは持てない
たくさん仕事はある、、、、、いつまでも
#飯田國大

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?