記事一覧
#4 戦争と3度の命拾い、茶をつくる喜び|東京繁田園物語デジタルアーカイブ
本記事は、東京繁田園茶舗の創業者・繁田弘蔵が執筆した『東京繁田園物語』(1995年)の内容を再編集したものです。
▼これまでのお話はこちら
戦争に行く盛岡で兄の仕事を手伝う日々を送っていた私ですが、時代は戦争のまっただ中にありました。私も他の青年たちのように、兵隊にとられる年齢に達していました。昭和18年1月、20歳で私は通信隊に入隊しました。そしてビルマ戦線に送られることになりました。入隊通
#3 僕のおしん時代、からだで覚えた商い|東京繁田園物語デジタルアーカイブ
本記事は、東京繁田園茶舗の創業者・繁田弘蔵が執筆した『東京繁田園物語』(1995年)の内容を再編集したものです。
▼これまでのお話はこちら
茶業を生涯の仕事に父の仕事がうまくいかなくなり出した頃私は小学校の最終学年を迎えたのですが、この頃になると茶摘みだけでなくお茶づくりも手伝わされるようになりました。つまり、摘んできた葉を機械のところに持っていき、大人たちの作業の手伝いをするのです。昭和10
#2 少年時代の思い出、生家の倒産|東京繁田園物語デジタルアーカイブ
本記事は、東京繁田園茶舗の創業者・繁田弘蔵が執筆した『東京繁田園物語』(1995年)の内容を再編集したものです。
▼前回のお話はこちら
商家に生まれて私が生まれたのは大正12年7月9日。男3人女5人からなる8人兄弟姉妹の三男として、この世に生をさずかりました。以来70歳を過ぎた今日まで、私は茶業一筋に生きてきたのですが、思えばこの道に入ったのもごく自然な成り行きからでした。
私が生まれた入
茶源郷から届く、甘いかおりと青い旨味|秋季限定茶「和束の月」
<茶源郷 和束町>京都府相楽群和束町(わづかちょう)は、宇治茶の生まれ故郷。
約800年前の鎌倉時代、茶業興隆の祖とされる「僧 栂ノ尾の明恵高弁(みょうえこうべん)」より分けられた茶の種子が、和束町の鷲峰山(じゅぶせん)に撒かれ、宇治茶は誕生します。
そして現在も和束町は、宇治茶生産量の約4割を占める、京都最大の茶産地です。
山間地域のため朝晩の寒暖差は大きい。
また、町の東西には和束川が流
茶唄の心得♪ 味は狭山でとどめさす|抹茶入り玉緑茶「あじさやま」
<繁田園のルーツ・狭山について>狭山丘陵は、東京都と埼玉県の都県境に3,500ha(東京ディズニーリゾート全体で100haなので、実にその35倍!)も広がる、自然豊かな地域です。
映画『となりのトトロ』の舞台になったとも言われており、この一帯は「トトロの森」という愛称も。
さて、この地域でのお茶(=狭山茶)づくりがスタートしたのは、1800年代前半。
当店の起源にあたる繁田家もこの地で1812