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愛につつまれて

お立ち寄りいただき
ありがとうございます。

今日は私の両親のことをお話ししたいと思います。

両親はお見合い結婚です。

結婚してから恋愛が始まったようだと
母が話していました。

喧嘩もよくしていますが
仲良の良い両親です。
よく2人で一緒に出掛けたりしていて。
両親は共働きでしたので
今ようやくゆっくりと
2人で過ごす時間をもてているのではないかと思います。

父は照れなのか
時間をもて余す、と話していますが。

母にとって嫁ぎ先が本家でした。
お盆やお正月に
親戚一同が集まりますので
必然的におもてなしする料理や準備などもありました。
結婚当初は父の弟も同居していて
私達三姉妹が生まれたころだったか
叔父が結婚し家をでたようです。

お盆お正月は
入れ替わりで30人くらい
来客があったのではと思います。
子どもながらに
お盆とお正月だけとはいえ
祖母と母の2人で
何品も30人以上もの食事の準備は
大変だったと思います。
祖母が亡くなった後は
母がひとりで準備することに。
私達三姉妹がいながら
私達をあてにすることなく
母は黙々と準備していました。
私が手伝うようになったのは
高校を卒業し
実家を離れて過ごすようになってからです。

親元を離れ
両親にどれだけ愛情そそがれ
育ててもらったかを知りました。

そして。
両親に感謝しているのは
私を家から出してくれたことです。

私は高校卒業後の進路は
県外の大学に進学を希望しました。
それを両親は了承してくれた。
私自身もこの条件なら両親が安心だろうという
進学先を選んだのも大きかったのかもしれない。
学びたいことが女子大の中にあることや
大学の敷地内に寮が完備されていること。
寮には寮母さんが常時いて
平日の門限が19時
土日の門限は21時。
考えらない時間でしょう。。。
それでも高校時の門限が18時だった私には
1時間延びていたので嬉しかった。
門限を破ると
両親に連絡がいきます。
実際のところ。
平日は夕方17時過ぎまで講義があったりしたから
ほとんど学校と寮の往復だけで
外出することは
日用品をお買い物に行く以外はなかった。

外泊時についても
その外泊先の連絡先と
両親の了承がないと許可されませんでした。

家を出るにあたり
両親を心配させない、ようにと。
そこまで私が両親に気を遣ったのは。
姉のことがあったから。
姉は隣県にある大学を志望していました。
学校からも
推薦してもらえる条件だったにも関わらず
父が進学を許さなかった。
母は父を説得したようでしたが
父は頑なに許さなかった。
女性は進学せずとも幸せになる方法がある、と。
姉が思春期の頃。
父とよくぶつかり
姉が家を飛び出していくこともありました。
その姿をみていた私は
ある意味学習していたのかもしれません。
どういう行動をすると父の反感をかうか。
父の言葉ひとつで
私達姉妹の未来は変わっていた。
妹は自ら両親の近くにいることを選んでいます。
父が大好きだった私は
姉や妹よりも父に接する機会が多く
父の動向を無意識に分かっていたのかもしれません。
ある意味ずる賢かったのでしょう。

ですが父が好きというのは純粋だったと思います。
共働きで朝の時間がとにかく忙しかった母は
毎日のように
私達三姉妹を起こし
お弁当の準備をしてくれて。
そこでゆったりご飯を食べていたりすると
片付かない、と一喝される私達三姉妹を父は
また怒られてる、と
ピリつく雰囲気を察し
それを笑いに変え、和やかな雰囲気をつくってくれた。
その父の心遣いが嬉しかった。

大学受験時の付き添いは
父が一緒でした。
前泊し受験しました。
当時の私は受験のことで
いっぱいいっぱいでしたが
後にも先にも父と2人で
一緒に泊まった記憶があるのは
その時だけです。
父とのよき思い出です。

前回も伝えましたが。
父は健在ですよ。

年齢的に。
両親に
いつ何が起こってもおかしくない。

なぜか最近父が気になる。
何事もなければよいのですが。

私には母とのことも
長きに渡ってトラウマがありました。

小学低学年の頃。
泣いて学校から帰った時
母から「人前で泣くな」と言われて以来
人前で泣けなくなりました。
母からのこの一言が
長く長く私を縛った。
最近になって人前でも泣けるように。
今思えば、その縛りは。
自分が創り上げてしまったものなのかもしれません。

母自身も
人前で泣けなかったことを
当時の私は理解していたから
余計に重くのしかかったのでしょう。

母は学生の頃
事故にあっています。
後遺症としてあざがありました。
私達姉妹は
ものごころついた頃
そのことを無意識に理解していたと思います。
みえる場所にありましたので
母は相当辛い想いをしてきていた。
父はそのことを理解したうえで
母と結婚しています。
母は父からのお見合いの話を
一度お断りしたそう。
それでも父が母に再度申し込んだ。
間に入っていただいた方が
父の人柄を信じていいと
背中を押してくれたようです。
そしてもうひとつ。
祖母が母にお嫁にきてほしい、と
願ったそう。
母は望まれていた。
後遺症で辛かった想いなどあったでしょうけれど
祖父母や父があたたかく迎えいれてくれたと。
半年程前
母と電話していた時
当時の辛かった想いも含め
打ち明けてくれました。
私はその時に。
母からのあの一言から解放されたように感じます。
母がどんな想いで
あの一言を放ったのか。
その真相を知ることができました。

母は父の勧めで治療し
後遺症はきれいに消えています。

そして、
私も幼少期。
叔父と二人で出かけた時
叔父が運転する車の助手席に乗っていて
狭い路地の交差点で事故にあっています。
母の事故のこともありましたので
父はかなりナーバスになったんでしょう。
父が心配し色々検査したことを朧げに覚えています。
私はむち打ち程度だったと思います。
それ以来、助手席は乗せてもらえなくなりました。

私はすごく欲張りだったんだと思います。
私は父が好きで
姉妹の中でも父と過ごす時間を多くもてた。
ですが。
母の愛情も独り占めしたかった。
私は両親の愛情を独り占めしたかった。
すごく欲張りでした。

ここ数日で。
思い出したことが二つあります。

一つ目は。
どれくらい前か覚えていませんが。
母からもらったものがあります。
バックです。
それは父からのプレゼントだそう。
母が私にと。
今も私が持っています。
そのことを思い出しました。
私は姉にも妹にもそのことは話していませんし
母もおそらく話していないと思います。
母は私の独り占めしたかった想いを
言わずとも理解していてくれたのかもしれません。
私は母からの愛情を独り占めできていました。

そして二つ目は。
2年前。
子どもが大学受験を翌月に控えていた冬のこと。
環境が急変し
子どもと二人で過ごすことになりました。
この時、私自身の心が限界だったと思います。
色んな事が重なり
あのままの状況が続けば
私の心は壊れていた。
壊れるかどうかのぎりぎりのタイミングで
目にみえない力が働いたのでしょう。
その時にはそう感じていましたが
子どもと二人で過ごす時間がもてたことを通し
私自身も母と二人で過ごす時間を
もてていたことを思いだせました。

社会人になり実家から通勤していたころ。
父が3ヶ月間の長期出張で
家を空けることがありました。
当時、姉も妹も家を離れていましたので
3ヶ月間、母と二人。
いつも家族のために
朝早くからご飯の支度などしていた母に
その3ヶ月間はゆっくりしてね、と
伝えた覚えがあります。
私は1年間寮生活でしたがのちに
一人暮らしをし
それなりにご飯の準備も自分でできたので
母にゆっくりしてほしかった。
母も好きさせてもらうわね、と。
その時間があったことを
自分自身が
子どもと一緒に過ごした時間をもてたことで
思い出しました。

以前。
子どももツインレイとして
生まれてきているかもしれないと
書いた記事があります。
子どもは私と同じことを経験してきています。
子どもは私と同じように
幼少期から母という存在を
独り占めしたかったのでしょう。
私の関心が
幼少期の頃から
いつも自分だけに向いていた訳ではないことを
察していた。
私との二人の時間をもてたことで
子どもの心は
充分満たされたんだと感じます。
色んな話しをしましたし
一緒に映画を観に行ったり
ドライブに行ったりもしました。
子どもとの二人の時間。
巣立っていく子どもの成長が
嬉しくもさみしくもあり
何より
私自身も満たされていました。
そして、
子どもは自立し
子育ては終わりました。
これから私は私を生きる時間です。

今年の母の日に。
子どもから
好きなことに真っ直ぐ頑張ってるお母さん
カッコいいぞーと
メッセージがありました。

子どもは私が自由に生きていいと
理解し応援してくれています。

子どもとの時間を通し
私は両親からの愛情を
独り占めできていたことを知りました。
私はようやく両親から自立できます。

両親への満たされなかった想いが
既に満たされていた。
この気付きで
私のインナーチャイルドが
癒せたということなのだと感じます。

そして。
ツインレイの彼からも
惜しみない愛情をそそがれていることを
理解していながらも
もっと、と欲がでてきてしまっていた自分がいました。
充分満たされているのに。

私は愛されている。

今更ですが。
腑に落ちました。

私は欲しかった相手から
欲しかった愛情を
充分もらっていました。
そのことが腑に落ち
今とても心満たされています。

ツインレイの彼からの想いは。
私が一生かけても追いつかないほどの
はかり知れない
愛情の大きさと強さ深さです。

その想いが
今すごく心に響きます。

今の今までどこか怖かった。
彼の想いの強さや
みている視点は同じなのに
価値観が違ってみえてしまうこと。
今の自分の状況がまだ整理つかないままなのに
彼に向かって動いていいのか、と。
こんな私で動いたとしても
彼は受けいれてくれはしないだろう、と。
心の隅に不安があった。

こんな弱い自分がいることを
知られたくないと
やっぱり強がってしまう。

いてもたってもいられなくなり
以前行ったことのある
ある神社に急に思い立ち行ってきました。
そこで何かがそぎ落とされたように感じます。

あるべき私じゃなくていい。
そのままの私でいい、と。

重かった鎧が外れた。
最後の鎧の一枚は。
いつか彼と再会できたとき。
彼に伝えたいことを伝えられて
外れるんだと感じます。

ずっと。
逢いたかった。

愛してる。

そう伝えられた時です。

私自身の弱さを認められたこと。
欲しかった愛情を
欲しかった相手からもらえていたことに
気付いた。

これでようやく
自分自身を解放できそうです。



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