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百刃封じ [Forge a hundred blades] #02

 正午をとうに過ぎ、傾き始めた夏の陽射しが、地上のあまねくを責め苛む。鍛冶場を囲む森では蝉が喚き散らし、ひたすらに聴覚を痛めつける。

 町はずれの山裾、森を少しひらいた場所に、鍛冶場はある。といっても、外観は単なる古臭い日本家屋だ。木造平屋建てで漆喰壁の母屋と、それにくっついた同じ造りの小屋。小屋の方が鍛冶場である。

 鍛冶場のガタついて開けにくい引き戸が、今は全開状態。ゆえに、その中で鳴る規則正しい金属音が、外までよく聞こえていた。

 カン、カン、カン、キン。

 カン、カン、カン、キキン。

 鍛冶場は八畳ほどの空間で、その大半を火床を中心とした鍛冶スペースが占めている。壁際に、作業台代わりの長机と数個のパイプ椅子。やっとこ、金槌、その他の道具類が、机上の道具箱に突っ込まれたり、壁に渡された棒に掛けられたりしている。

 鍛冶場と比べれば、外の炎天下は天国だ。火床の炎は、加熱する際は千二百度にも達する。鍛冶場の格子窓からはさほど風が入らず、引き戸を全開にしても焼け石に水だった。今は火床の送風機がOFFのため、火の勢いはさほどでもないが、それでも外よりは暑い。

 炎のそば、金床に向かい一心に金槌を振るうヒカリは汗みずくだった。長袖のシャツがべったりと張り付き、垂れた汗が目に入る。だがその右腕は休むことなく、一定のリズムを継続する。すぐに冷めてしまうからだ。

 鍛冶は力に非ず。ヒカリの祖父、アキナリの言葉である。一打だけに大きな力を込めても、鉄は歪になるのみ。一定の間隔で安定して打ち続けた方が、むしろ容易に形を整えられる。ヒカリは三度打ち、金床に金槌を軽く当てて一拍休む、というリズムで打ち続けた。

 鍛冶場を過酷な環境たらしめているのは、温度だけではない。打つ度に、金属が衝突する甲高い音が鍛冶場に響く。耳朶を貫くが如き槌音である。それは不快な騒音以外の何物でもない。鍛冶場が人里離れた場所にある理由の一つだ。だがヒカリにとって、それは心臓の鼓動にも似た、安心をもたらすビートだった。

 二年前、初めて鉄を打った時、ヒカリは金槌を振るうのはもちろん、火床に積まれたコークスの中に鉄材を戻すことすら難しかった。例えるなら、割り箸で鉛筆をつまんで、積まれた石の山に突っ込むようなものだ。今では無意識にできる。だが、導いてくれた師はもういない。

 まだまだ習うべき事があったのに、祖父は逝ってしまった。ヒカリの心中で憂鬱が首をもたげる。雑念は手元を狂わせかねない。それに鉄材も冷めてしまった。ヒカリは金槌を止めて、左手のやっとこで挟んだ鉄材を、注意深く眺める。

 鉄材の表面は見事に均され、ほぼ平面。整えられた輪郭は小ぶりなナイフのそれである。刃先がまだ少し厚いか。数日前、高校が夏休みになってから作り始め、あと少しで整形が完了する。

 唐突に、母屋から続く引戸が開いた。ノック無し。

「ふァ〜、こんな時間からカンカンうるせェな!」

 現れたのはチエである。昨晩と同じ、黒いズボンに上半身は晒のみの格好だ。欠伸を隠そうともせず、晒の上から腹筋をバリバリと掻きむしる。鍛冶場の煤の匂いに混じって、不快な血の匂いが漂う。肩から胸にかけて、肉に刺さるいくつもの金属片。滲む血の雫。

 折れ、欠け、摩耗しきってもなお、チエに刺さる刃に微かに残る特徴。逆巻く高波のような、細く渦巻く奇妙な刃文。祖父・アキナリが鍛造した刃の特徴である。

「爺さんの時は、昼間は鍛冶やってなかったのによォ。いつもは寝てる時間だから、眠くてしょうがねェや」

 ブツブツと文句を垂れながら、チエは土間のブーツを履く。

 昨日の夕方、ヒカリがいつものように鍛冶をしていたところへ、チエは突然現れた。“爺さん、今年も頼むぜ!”と言いながら、ずかずかと入ってきたのだ。そして、鍛冶場に立つのが見知らぬ少女だと気付いてか、目を白黒させていた。

 ヒカリの方も、突然現れたチエに肝を潰し、声も出せなかった。肩幅が自分の二倍もありそうなコートの女が、血の匂いを振り撒いて現れたのだ。祖父を知る素振りがなければ警察を呼んでいた。

 祖父は生前、“仕事はよく吟味して引き受けろ、その分、客は大事にしろ”と言っていた。つまり、チエは祖父が大事にした客なのだ。遺憾ながら無下にはできない。

 ブーツを履き終えたチエは、パイプ椅子をヒカリの正面に据え、どっかりと腰を下ろす。チエを無視して、ヒカリは火床に積まれたコークスの中に鉄材を戻した。首に巻いたタオルで、絶え間なく流れる汗を拭う。そして送風機の電源を入れた。

 年代物の送風機が唸りを上げて、火床へ力強く酸素を送り込む。火床のコークスは激しく燃え、その輝きを赤から明るい橙、そして黄金色に変える。ヒカリは金色の輝きを見つめながら、凄まじい熱気を肌で感じる。

 コークスの隙間から鉄材が覗く。ヒカリは目を眇め、眩い輝きの向こう、僅かに見える鉄材の色を観察する。鈍色から、徐々に赤く、明るくなっていく。

 ヒカリはタイミングを見計らい、送風機を止めた。鉄材をやっとこで挟み、素早く金床にあてがう。その色は今にも蕩けそうな朱色である。

 冷めるまでの勝負。ヒカリは金槌を振るった。

 カン、カン、カン、キン。

 やっとこを握った手首を返し、鉄材を裏返す。

 カン、カン、カン、キキン。

「音を聞いてると、爺さんと違いが分からねぇな!」

 チエの大声は槌音にも負けない。この女が、遠慮を知らず、がさつで、短慮な人間であることをヒカリは既に察していた。そしてそれ故に、今の発言が世辞ではなく、ただ思ったことを喋っただけだとも分かった。祖父と並び称されるのは、まんざらでもない。

 ヒカリはしばし、鉄を打ち続けた。チエはそれをじっと……ほとんど瞬きもせず……見つめる。二人の間には熱と槌音だけがあった。そして鉄材が冷め始めた頃、チエはやおら口を開いた。

「“暗い火”もあるんだから、あとは勘で何とかならねェか?」

「そもそも暗い火というのは何なんですか?」

 ヒカリは金槌を持つ右手を止め、今日初めて言葉を発した。言いながら、やっとこで掴んだ鉄材を上下左右から見つめ、状態を確認する。刃先を十分に薄くできた。整形は完了でいいだろう。

「バケモノの内に灯る、紫の炎だ。ま、オレも説明できるほど知ってるわけじゃねェ」

 そう言いながら、チエは火床の方を見る。

 火床。耐火レンガで囲んだ長方形の領域に灰を溜め、その中央にコークスが積まれている。コークスの真下の送風口から、電動モーターで風を送る仕組みだ。

 チエの視線の先、火床の隅に、頭頂部の無い異形の頭蓋骨が置かれている。頭蓋の中に、紫の炎が微かに見える。蜘蛛武者の首級を、当初、ヒカリは鍛冶場に入れることすら渋った。しかし「火の気だから」という理由には反論できず、火床の隅に転がしておくことで合意した。

 これさえなければ。ヒカリは昨晩のすべてを、夢か幻として片付けてしまいたかった。ヒカリの脳裏に、血の大鎌で骸骨達を薙ぎ払ったチエの姿が浮かぶ。この狭い鍛冶場で大立ち回りはかなり無理がある。昨晩、道具類が破損しなかったのは奇跡だった。

「大事なのは、暗い火で鍛えた刃物が、バケモノをぶっ殺すのに最高だってことだ。そんでもって、それを鍛冶できるのは爺さんだけだった」

「祖父の鍛えた刃物の中に、他と違う特徴の刃がある事は私も知っています。でも、暗い火のことは知りませんでした。当然、作り方も分かりません」

 奇妙な刃文は、祖父の鍛えたすべての刃にあるわけではない。過去、祖父に聞いても、何も教えては貰えなかった。だが、今のヒカリは、秘密の一端を知っている。バケモノに由来する暗い火を使った刃に、あの逆巻く刃文が表れると考えて間違いないだろう。

 しかし、分からないことはまだ多くある。暗い火を、鍛冶のどの工程で、どのように用いるのか? 普通の火とは何が違うのか? そして、なぜ祖父は暗い火で鍛冶をして、それをヒカリには一言も喋らなかったのか?

 それがヒカリがチエを追い返さない最大の理由だ。つまり、ヒカリの知らない祖父の一面を、チエが知っているであろうからに他ならない。

 ヒカリは二年前、高校進学と同時にこの町へ越してきた。そして、町外れの山裾にある祖父の鍛冶場へ出入りするようになった。それまで祖父のアキナリとはほとんど交流がなく、当然、祖父の過去をヒカリは知らない。

 引っ越してからほぼ毎週末、ヒカリは鍛冶場に入り浸っていた。家には居たくないし、鍛冶の上達が楽しかったからだ。それは数ヶ月前に祖父が急死した後も変わっていない。しかしチエと会ったことはなかった。つまり、チエはヒカリより前に祖父と知り合っているのだ。

 ヒカリは、自分の知らない祖父の業前、その片鱗だけでも良いから知りたかった。だからこそ、昨晩、“爺さんの時と同じく母屋に泊めろ”というチエの勝手な要求を飲んだのだ。

 だが、祖父の代わりに鍛冶をしろという要求には、まだ了承していない。

「作り方を知らなかろうが、爺さんが死んだッてんなら、お前に鍛冶をしてもらう。爺さんに作ってもらった分は、全部ボロボロになっちまったからな」

「祖父は鍛冶を仕事にしていました。でも、私は違います。祖父ほどの技術はありません」

「リクツじゃそうかもしれねェけどよ。でも、出来るできないの話じゃねェんだ……薄々分かってるだろ?」

 チエはヒカリを真っ直ぐに見る。金床が膝くらいの高さになるよう、ヒカリのいる位置は、周囲の土間から一段低く掘り下げられている。故に、座っているチエの目は、ほぼヒカリの真正面にあった。

 ヒカリは鉄材と金槌を金床に置き、暴力が筋肉を纏ったかのような女の目を見つめ返す。鍛冶場の責任者は鍛冶師で、だから客に臆してはならない。これも祖父の教えだ。

 思えば、コートを脱いだチエをちゃんと見るのは、これが初めてだった。鍛え抜かれた肉体は、その真っ白な肌と相まって、古代ギリシャ彫刻を思わせる。背中に届くほどの乱れた黒髪は、所々が血で固まっていた。腹から胸までを覆う晒は、新旧の血染みに塗れている。どこを切り取っても、彼女がヒカリとは縁遠い世界の住人だと分かる。

 ヒカリを見つめるチエの、その顔で特徴的なのは目だ。切れ長の瞳の中で、小さな黒目がヒカリの一挙手一投足を捉えている。ひりつく視線だとヒカリは感じた。例えば、ヒカリがこれからどんな行動に出ても、その行動を即座に見切り、無力化できるであろう、油断なき目つきだ。

「昨日みたいなバケモノが、これから毎晩やって来る。いくら欠片を呪血で強化しても限界がある。お互い死にたくなきゃ、新しい刃物を作るしかないんだよ」

「そのバケモノですけど、何故ここへ現れるんです? しかも昨日から突然に」

「この鍛冶場はひと夏の間、バケモノがわんさか湧くんだよ。そんでその後、何年か間が空くんだ。前回は三年前な。ここに出る理由までは知らねぇ」

 ヒカリは視線を鉄材に向ける。作りかけのナイフは眼中になく、脳裏でチエの話を反芻し、吟味していた。ここまでの話に矛盾はない。昨日からの出来事を説明できている。だいいち、わざわざチエが嘘をつく理由もない。

 つまり、あんなバケモノが、今夜も現れるということだ。

 それでもヒカリを逡巡させるのは、バケモノを退治するという話の異様さだけではなかった。ヒカリはまだ他人から仕事を依頼されたことがない。そんな自分が、しかも得体の知れぬ“暗い火”で鍛造など、できる気がしなかった。

 一方で、断ることも躊躇われた。もちろんチエが祖父の客だったということもあるが、他にも理由はある。まず、昨晩、命を救われた借りがある。それに、ヒカリの唯一の居場所である鍛冶場を、バケモノの好きになどさせたくない。だが一番は、チエの、ヒカリの鍛冶に対する評価だ。

 祖父以外で、ヒカリの鍛冶に関心を示す人物が現れたのは初めての事だった。チエは、ヒカリが鍛冶をすることに、何であれプラスの価値を見出している。祖父が死んで数ヶ月、己が他者からの評価に飢えていることに、ヒカリは無自覚だった。チエから評価されて、存外に心地良かったのだ。

 突然、チエが窓の外へと視線を移す。

「お悩みのようだが……クソッタレなバケモノのお出ましだぜ」

「! まだせいぜい夕方ですよ!?」

「良いコト教えてやるよ。バケモノの中にはなァ、夜を“連れてくる”奴がいるんだ」

 ヒカリも外を見る。格子窓の向こう、少しずつ茜色に変わり始めていた空が、不自然に黒く染まってゆく。

 チエは開け放たれた引き戸から堂々と出ていった。その背中がヒカリに声をかける。

「ほら、鍛冶場を壊されたら困るんだろ? 表へ出ようぜ」


#2 おわり


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