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【ニンジャ読書感想】『ニンジャスレイヤー』は人間に寄り添う

『ニンジャスレイヤー』シーズン4の第9話【ビースト・オブ・マッポーカリプス後編】の感想。


■作品紹介

 シーズン4を端的に言うと、主人公が7人の刺客と1人ずつ戦う、というものである。刺客は“狩人”と呼ばれ、ニンジャスレイヤーとそのホームタウンたるネオサイタマをナメ腐っている。しかし狩人たちは超強いので、主人公は過酷な戦いを強いられ、読者は手に汗を握る。

 そして狩人の中でも一番ヤバいのが、アヴァリスという男だ。

『ニンジャスレイヤー』作中の常識として、ただニンジャであるだけで相当強い。そしてアヴァリスは様々なニンジャの力を自在に操れるので、本当に途方もなく強い。

 自分には力があり、何でもほしいままにできて、それが当然だと思っている。他者を好きなだけ蹂躙し、貪って良いと思っている。そして底なしに飢えている。それがアヴァリスだ。

【ビースト・オブ・マッポーカリプス後編】において、アヴァリスは最後の狩人として、ニンジャスレイヤーと激突する。


■感想

 アヴァリスは、己の力が無尽蔵で、ニンジャスレイヤーが矮小な存在であることを繰り返し主張する。己に挑むことが徒労であると、言葉と拳で分からせようとする。そして文字通り無限に強いので、ニンジャスレイヤーはボロボロになる。

 理不尽な力に押し潰されるというのは人類に普遍的な困難であり、それに立ち向かう主人公の姿は応援せずにはいられない。それまでのストーリー展開により読者は感情移入しているので尚更だ。

 私も完全に感情移入していたので、読みながらアヴァリスに「この野郎、ナメやがって!」と憤慨した。

 しかしニンジャスレイヤーは違った。

 そもそも耳を貸さない。

 相手の主張を歯牙にもかけない。

 最初から最後まで微塵も揺るがない。

 その最たるシーンが、これだ。

「ニンジャがどうした」

 このセリフに痺れた。

 先に述べたとおり、ニンジャ=強いというのがこの作中世界における常識である。つまりアヴァリスの主張こそ作中の常識に則っている。それを主人公は一言で切って捨てるのだ。

 そしてこの後、ニンジャスレイヤーは、やると言ったことをやる。

 想像してみてほしい。傍若無人な敵役が、路傍の石としか思っていなかった相手こそ真に脅威であると認める瞬間を。傷だらけで勝つ主人公を。そのカタルシスを。

 めちゃくちゃ良い。


■俺の話

 俺は情緒不安定で些細な事に動揺する自分の脳みそを忌々しく思っていた。散漫な注意力を、貧弱な集中力を、乏しい記憶力を呪わしく思っていた。

 しかし『ニンジャスレイヤー』を読んでいると、違った気持ちになる。

 どんな困難でも、主人公マスラダ・カイは「だからどうした」と切り捨てる。そして、自分がやると言ったことを必ずやり遂げる。

 その姿を見ていると、俺自身がいくら自分を呪っても、私がそれに耳を貸す必要は無いのだと気づく。自分自身に「知ったことか」と言ってやろうと思える。頭の中のケオスに、負けてたまるかという気持ちにさせてくれる。

 このシリーズはいつだって私に活力をくれる。中でも【ビースト・オブ・マッポーカリプス後編】には本当に励まされる。

 そして、きっと『ニンジャスレイヤー』は、あなたにも寄り添う。

『ニンジャスレイヤー』に描かれるのは、理不尽への抵抗、つまり人生についての普遍的な物語だ。だから誰でも、読めば必ず活力が湧いてくる。

 是非ご一読頂きたい。


以上


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