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百刃封じ [Forge a hundred blades] #01

 ヒカリの眼前、骸骨の顎が大きく開く。立ち並ぶ鋭い牙。

 火床の熾火は朱く、金床の鉄材はまだ温かい。いつも通りの鍛冶場。鼻先に迫る死を除けば。

 牙はしかし、寸前で止まった。骸骨の頭を誰かが鷲掴みにしている。チエだ。チエは骸骨を土間に叩きつけ、ブーツで頭蓋を踏み砕く。そしてヒカリを見もせずに言った。

「いいから鍛冶をしろ」

「勝手に決めないでください!」

 ヒカリは警戒していた。チエは今日会ったばかりの、しかも明らかな異常者だ。それは真夏に黒い外套を着ているからではない。全身から溢れる強烈な鉄臭さ故だ。即ち血の匂い。

 チエの視線の先、土間に黒い靄が蟠る。闇の中から、新たに四体の骸骨が這い出した。

「面倒臭ぇな今夜のは」

 チエは外套を脱ぎ捨てる。隆々たる肩から晒を巻いた豊満な胸にかけて、小さな金属片が幾つも刺さり、じくじくと血を滲ませていた。肌の白に映える。

 ヒカリは目を見開く。刺さっているのは、折れて摩耗しきった刃物の破片だった。その刃に共通する特徴を、ヒカリは知っている。北斎の如き逆巻く刃文。小さくとも分かる。亡き祖父のものだ。

 チエは欠片を一つ引き抜く。片刃で、微かに湾曲していることから、ヒカリは手鎌の破片だと分かった。傷口から欠片へと粘ついた血が糸を引き……その流量が増していく! 迸る大量の血が欠片を包み、真紅の大鎌を形作った!

 チエは片手で大鎌を振るう! 四体の骸骨は腰から刈られ、鍛冶場に骨が飛散! だが骨片は動き出し、合体し、一体の奇怪な骸骨となる。身体はまるで骨の鱗鎧、頭蓋は歪に融合し、八つの眼窩の奥で紫紺色の炎が揺れる!

「……チエさん」

「なんだァ? 爺さんの代わり、ヤル気になったかよ?」

 ヒカリは問いかけを無視し、開いたままの引き戸を指す。

「外でやってください。道具が壊れたら、鍛冶ができなくなります」

 チエは舌打ちを一つ、向かってきた鎧骸骨を鍛冶場の外へ蹴り出した。

 チエは躊躇わず鱗鎧の骸骨を追う。ヒカリはほんの僅か逡巡するも、取り残される不安から外へ出た。

 外はいつの間にか日が落ちていた。鍛冶場は町外れの山裾に位置しており、周囲を自然に囲まれている。だが普段なら聞こえる虫や蛙の声が今は無く、ヒカリは言いようのない不気味さを覚えた。

 鎧骸骨は平然と立ち上がる。表情無き骨の貌からは、如何なる感情をも読み取れない。無造作に右腕で自らの左手を掴むと、肩からもぎ取った。取り外した左腕の表面が棘状に変形し、骨の棘棍棒となる。

 チエはひと跨ぎに接近し、鎧骸骨を射程に捉えた。振り下ろされる骨の棍を、切り上げる大鎌が弾く。体勢を崩したところへ、チエは鎌を叩き込む。切先が異形の頭蓋を容易く貫通し、そのまま胸まで断ち割った。棍を取り落とし、鎧骸骨は棒立ちになる。

 すると、鎧骸骨を囲むように、一際濃い闇が湧き出した。夜よりもさらに黒く、一切の光を吸い込んで返さぬ暗い靄。チエは飛び退り、靄の範囲外に出る。

 暗闇からさらなる骸骨が這い出してくる。それは一体や二体ではない。無数の骸骨が姿を現し、その骨は即座にバラバラになる。分かれた骨は宙に浮き、集まりゆく。鎧骸骨の元へ。

 鎧骸骨の欠損した左腕はあっという間に復元し、さらに全身が補強されていく。骨がプレート状に隙間なく集合し、それが幾重にも重なって強固な鎧となる。装甲の表面には筋繊維の如き線状の凹凸が走っていた。骨の溝付甲冑とでも言うべきか。

 骸骨の出現が止まり、蟠る闇が消えた時、そこには一人の屈強な戦士が立っていた。鎧の背や肩からは鋭い棘が乱れ生え、頭蓋からは特に長い八本の棘が放射状に伸びている。

 顎には牙が並び、固く噛み締められたさまは不落の城門を思わせた。そして四対の眼窩の奥で、おどろおどろしい紫紺の焔が揺れている。ヒカリには、蜘蛛を模した兜を備えた、邪悪な鎧武者のように思えた。

 蜘蛛武者がチエに迫る。その足取りは重厚な見た目に反して素早く、瞬きするうちに死線を超えた。骨棍を両手で掴み、上段に構える。棍もより長くなっており、捻じれ伸びた棘が禍々しい。

「本気を出してきやがったなァ……下がってろ!」

 さっき迄とはチエの気迫が一段違う。一瞬遅れて、ヒカリはそれが自分への呼びかけだと理解する。声もなく数歩後ずさると、鍛冶場の外壁に背がぶつかった。

 初めてチエは大鎌を両手で握り、大きく振りかぶった。背中、両肩、そして上腕の筋肉が凄まじく隆起する。傷跡まみれの白肌に月光が陰影を付け、あたかも雪を被って連なる険しい山脈のように見えた。

 次の瞬間! 二者は同時に得物を振り下ろしていた。大鎌と骨棍が激突し、互いに弾く。蜘蛛武者は怯まず、横薙ぎを繰り出す。チエもまた大鎌を振り抜いた。再び両者の武器が衝突する。そして決定打がないまま、繰り返し打ち合った。

 一合毎に雷鳴のような衝突音が轟く。蜘蛛武者の身体は、最初の骸骨と比べ一回りも二回りも大きい。180cmは優にあろうかというチエの長躯より、さらに頭一つ大きくなっている。しかしチエは一歩も引かず、互角の打ち合いを続けた。

 ヒカリに荒事の心得は無い。だがそれでも、眼前の戦いが、一瞬でも間違えれば即、死ぬようなものだと分かった。そして、もしチエが敗れれば、己は為す術なく死ぬのだということも。

「! ここだっ!!」

 振り下ろされるチエの一撃は、微妙にタイミングをずらしていた。それは十分に勢いが増す前の骨棍を捉え……木っ端微塵に粉砕した!

 武器を突然失い、蜘蛛武者はたたらを踏む。チエはその隙を逃さない! 振り下ろした大鎌を返し、間髪入れず下から切り上げる! この一撃を、蜘蛛武者は交差した両腕で無理矢理に受けた。骨片が飛び散る!

「……殺ってねェな」

 チエは舌打ちした。蜘蛛武者は左手首を粉砕され、数メートル跳ね飛ばされながらも、チエの渾身の一撃を受けきった。自ら後方ヘ跳び、ダメージを緩和したのだ。空中で身を捻って姿勢制御し、離れた位置に着地する。そして、蜘蛛武者は右手に握る骨棍の柄を高く振りかざす。

「んん? 一体何を……しまった!」

 チエは振り返り、ヒカリの頭上を見上げる。その時ヒカリは、チエが砕いた骨棍の破片が、空中高くで球状に再構成されていたことに気付いた。蜘蛛武者が右腕を、振り下ろす! 禍々しい棘を無数に生やした骨の球が、ヒカリ目掛け急降下する!

 棘球はヒカリには届かなかった。長い脚で風のように駆けてきたチエが、高く跳躍して間に入ったのだ。空中で、大鎌が辛うじて球を捉える。激しい衝突音と共に、チエと棘球は反対方向に吹っ飛ぶ!

 チエは地面を転がり、すぐさま膝を付いて身を起こす。そこへ再度、骨の棘球が襲い来る! チエは大鎌で弾くが、棘球はすぐさまUターンし再攻撃! チエは防戦せざるを得ない。蜘蛛武者は砕けた左手を再構成しながら、ヒカリの方へゆっくりと歩き出す。

 ヒカリは、歩み寄る蜘蛛武者から目を離せなかった。棘にまみれた凶悪な鎧、その装甲の一部が剥がれ、浮遊し、蜘蛛武者の右手に新たな得物を組み上げる。それは細い骨片が乱杭歯のように飛び出した、幅広の大剣だった。

 蜘蛛武者の顔に空いた八つの眼窩は、内側から光を放つ。頭蓋の内、得体の知れぬ炎が灯っているからだ。ちろちろと踊るその火は、黒に近い紫色をしている。なんと現実離れした化物だろうか。だがそれは目の前に存在し、そしてヒカリとの距離を縮めつつあるのだ。

 ヒカリの視界の端に、執拗に襲う棘球を何度も弾き返すチエの姿が映る。その遠さはヒカリを絶望させた。

 武者が踏み出すその一歩毎に、全身を構成する骨片が軋み、擦れ合い、ごりごりと恐ろしげな音を立てる。その音はすぐ間近で鳴っていた。蜘蛛武者がヒカリヘ手を伸ばす!

 その時、振り下ろされた大鎌が蜘蛛武者の腕を断ち切り、地面に突き刺さった。チエが駆けつけたのか? 否。ヒカリは見た。大鎌の柄が細く、長く伸びていた。棘球が空中で両断されていた。そしてその向こうに、刃を振り抜いた逞しい女が居た。

 事の次第はこうだ。チエは駆け寄ったのでは間に合わぬと見て、大鎌に供給する血量を増やしたのである。そして柄を伸ばし、空中の棘球諸共、蜘蛛武者の左腕を一息に切り落としたのだった。

「触らせねぇよ。死んだら……鍛冶できなくなっちまうからなァ!」

 言うなりチエは地面を蹴る! 同時に掴んだ鎌の柄が猛烈な勢いで縮み始め、急加速! 蜘蛛武者との間合いを一気に詰める! 蜘蛛武者は恐るべき素早さでチエに向き直った!

「伏せてろ!!」

雄雄雄雄雄雄オオオオオオ!!!」

 ヒカリは咄嗟にしゃがみ込む。蜘蛛武者は初めて口を開き、黄泉平坂を吹き抜ける風鳴りの如き、血も凍る咆哮を放つ。するとその全身を包む装甲が弾け飛んだ。剥がれて千々に分かれた無数の骨片が、ヒカリの頭上、蜘蛛武者の周囲を激しく旋回する。そして空中静止し、その切っ先をチエへと向けた!

 今や蜘蛛武者は甲冑を脱ぎ捨てている。鎧の下から現れた体は、白い骨格の隙間を、艶のある漆黒の無機質な肉が埋めていた。蜘蛛の巣を思わせる肋骨に、時折、暗い紫の光が流れる。彼岸のエネルギーが脈打つかのように。

 蜘蛛武者は骨棘の大剣を両手で握る。手を目の高さに構え、刀身を地面と水平にして、迫るチエに剣先を向ける。柄を握る両手がぎりぎりと音を立て、そこに込められた膂力の恐るべきを物語る。

 蜘蛛武者とチエとの距離はあと僅か数メートル。チエは元の長さに戻った大鎌を肩に担ぐ。そして短い助走から跳躍し、勢いをさらに増す。チエが空中で刃を振りかぶると、鮮血で出来たそれは月光を受けて閃いた。

 蜘蛛武者の周囲に浮かぶ骨片が、チエめがけ一斉射出! 対するチエは、空中で大鎌を激しく縦横に振り回す! 致命的部位を狙う骨片を大鎌で弾き、肌を掠めるだけの骨片は意に介さない! チエは骨棘の嵐を突破!

 蜘蛛武者は踏み込みながら切り上げた。骨大剣の切っ先が、円弧を描いてチエへ迫る。装甲を捨てた蜘蛛武者の一撃は、それまでと比較にならぬほど早い! チエの大鎌と大剣が交差し、耳をつんざく衝突音が響く!

 チエはすれ違いざま、骨大剣と諸共に、蜘蛛武者の頭を額で輪切りにしていた。断面から紫紺の炎が覗く。チエは蜘蛛武者の背後に着地する。その体は傷だらけだが、総身に漲る力に些かの揺らぎも無し。

 蜘蛛武者の額から上、八本の棘が生えた頭の皿が、乾いた音を立てて地面に転がる。蜘蛛武者は蹌踉めき、しかし踏み止まった。間髪入れず振り返り、今一度、折れた大剣を正眼に構え――

「雑魚の! くせに! 手間取らせやがって!」

 吼え叫ぶチエは、腰を大きく捻った状態で、既に大鎌を限界まで振りかぶっていた。その山脈の如き筋肉が鳴らす、ぎちぎちという音をヒカリは聞く。

 蜘蛛武者が動くよりも先に、チエは腰の撥条を解放した。圧倒的暴力の奔流がチエを駆動し、振り抜かれた大鎌は、肉眼では紅の残像としてしか認識できなかった。しかもその斬撃は一度ではない。チエは独楽のように回転し、一瞬のうちに三度、大鎌を振り抜いていた。

 初撃が胴を、二撃が胸と腕を、そして最後の一撃が首を刎ねた。蜘蛛武者の首級が垂直に、ぽーん、と高く跳ね上がる。

 首から下はほんの束の間、構えたままの姿勢を保ち……音もなく崩れた。強固に合体していた骨片が、バラバラに分解したのだ。骨片にもはや一切の力はないと見え、粉雪の如く、ただその場に散るのみだった。

 ヒカリは立ち上がる。その膝は震えている。ヒカリの目蓋には、チエが蜘蛛武者を切り裂くさまが焼き付いていた。荒れ狂いながら精緻な身体動作を行うその姿に、ヒカリが抱いた感情は恐怖だけではなかった。だがそれが何なのかまでは、ヒカリは分からなかった。

 困惑し、立ち尽くすヒカリ。チエは落ちてきた首級を片手で受け止め、ヒカリの側まで悠々と歩み寄る。盃のような首級の中で、紫紺の火が小さく燃えていた。

 チエはもう片方の手に大鎌を持っている。その大きさが急激に縮んでいく。大鎌を成していた血液が、手から腕へと伝い、鎖骨あたりの、元は手鎌の破片が刺さっていた傷跡に吸い込まれていった。掌には刃の欠片だけが残ったが、それもひび割れ、粉々になって消えた。

 チエは首級をヒカリに差し出して言う。

「ほらよ。“暗い火”がないと、鍛冶が始まらねぇもんな!」

「……」

 ヒカリは無言だった。瞬きもせず、首級の中の炎を見つめていた。

 その態度にチエは眉根を寄せる。互いにとって予想外の出来事が起きていることを、チエは動物的直感で理解していた。

 ヒカリがやがて、ゆっくりと口を開く。

「すみません、チエさん。私、それ……知らないです」

 今度はチエが黙る番であった。固まる二人の間を、一陣の風が吹き抜ける。骨粉が宙に舞った。思い出したように、虫や蛙の声が聞こえてくる。

#1 おわり

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