揺れる あいみょん
コロナ禍でのライブ。
弾き語りというスタイル。きっと大丈夫。
万が一も無いように、万全を期して過ごした1ヶ月。1人の観客として行くだけなのに、重圧というものを感じてしまった。
5月になると、盛岡のコロナ感染者が警戒レベル3を越え続け、中止や延期になったライブも当然あって、常に期待と不安が入り混じる日々。
やる事が正しいのか、やらない事が正しいのか。いずれにせよ、手応えがない。実感が湧かない。
一瞬のように過ぎていった、ライブという非日常。ずっと心に残る、特別な瞬間。
会場へ向かう時から感じるいつもとは違う静けさ。観客同士が交わす言葉も限定的。
ライブが始まっても、やはり物足りなさは拭えない。会場の一体感、熱気、歓声。思わず歌いたくなる大好きな曲も、グッと下唇を噛みしめてみたり、ちょっとだけ口ずさんでみたり。
満足かと問われれば、それは不満である。それ以上に楽しんできた今までのやり方があったから。
「ライブ」とは。そう聞かれたら、これじゃない。。。
そんな事が頭の中をよぎる度に、かき消してくるギターの音色と心の叫びのような歌声。全身でリズムを刻み、2時間立ちっぱなしの彼女。
見せつけられた、1人の音楽家の生き様。
この舞台へ上がるまで
何度涙を流してきたのだろう。
どれほど悔しい思いをしてきたのだろう。
眠れない夜を超えた先に見えた景色も、辿り着いた舞台も、決して思い描いていたモノほど、明るいものではないだろうに。
顔を半分マスクで覆われた観客を見渡して、笑顔で語りかけてくる。全力でイジってくる。
あれダメ、これダメってルールもイッパイあるけど、自分なりに楽しんでいってくださいと。精一杯のおもてなしが五臓六腑に染み渡る。
グレーのオーバーサイズのTシャツにベージュのゆったりとしたチノパンとスニーカー。
近所のコンビニに行くようなスタイルも、緊張を解き放してくれるスパイスのよう。
どんな道を選んでも、苦悩が尽きない中で
みんなの前で歌うことを選び、全力で届けようとする姿に、目が離せなかった。
シンプルゆえに、声が、音が、仕草が、突き刺さる。
スタッフを信じ、ファンを信じなければ、きっと押しつぶされる程の重圧が、コロナ禍でのツアーにはあると思う。全てを背負う覚悟なくして、成し得る事はない全国ツアー。
誰よりも正直で、人を愛せて、愛される彼女だから出来ている事なのだろうと実感する。
シンガーソングライターは1人だけど1人じゃないと、平然と言ってのける真っ直ぐな瞳に、吸い込まれていく。
1曲終わるごとに深々と頭を下げて「ありがとう」という、いつもの彼女のスタイルに精一杯の拍手で応える。
いつの間にか自分の中から、今までのライブという概念が消えていく。音楽がより深く広いモノに変わっていく。
唯一歌う前に、曲名を紹介をした「夜行バス」
揺れる箱の中で、夢を追う代償を切実に歌い上げた名曲が、何百回と聞いたはずのお気に入りの曲が、新譜のように聞こえてくる。
今は世界中が、揺れる箱なのだと。誰一人先が見えない中で、日常を取り戻す夢を追い続けて、知らない所へ走り続けなければならない。
道なき道を切り開くべく、ゆらゆらごとごと揺れる箱の中で、皆が夢を追いかけている。そう、思えたのだ。
きっと彼女自身も当時と今の何かを重ね合わせていたのかもしれない。
それが真実かどうかなんて、知ったこっちゃぁない。人と人がリアルで交わり、新しい物が生まれていく、そんな日常が今は非日常で、非日常の中に、本来の人間社会があるんだなと実感できた。
心が揺さぶられた。
過去が揺れ動き、崩れ落ちた。
これはまぎれもなく、ライブだ。
最高のライブだ。
そんな機会を作ってくれた、全ての勇敢なスタッフと、シンガーソングライターへ。
ありがとうっ。
歌い終えてもなお、全身で皆へ感謝を伝える彼女。
両腕を大きく振り、ぴょんぴょんと跳ねている時の笑顔は本当にキラキラと輝いている。
そして彼女は最後にこう言った。
「やだ、おっぱい揺らしちゃうっ(⋈◍>◡<◍)。✧♡」腕ギュッ
そう
揺れるたびに変わっていく。
揺れるたびに
愛おしくて。
あいみょん「おっぱい」より
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