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カウンター越しの距離

無職最後の週、昼時の人気の海鮮系定食屋に足を運んだ。
少し待って、カウンター席に通される。
右も左もスーツのサラリーマン。お仕事お疲れ様です。

カウンター席は好き。
一番忙しいであろうランチタイムの厨房で働く人たちは、まさにプロフェッショナル。
オーダーを確認し、手際よく料理を作りつつ、お客さんにも律儀に挨拶をする。
食材に向かうときには真剣な顔。
配膳のスタッフさんはホールと厨房を絶えず行ったり来たり、無駄のない動き。
料理が運ばれてくるまでの間、そんな姿をずーっと眺めていられる。
だからカウンター席が好き。


夫に恋をしたのもカウンター越しだった。
カウンターの向こうの彼は料理に真剣で、人当たりが良くて、店全体をあったかい雰囲気にするような人だった。
カウンターからその横顔を眺めていたころが一番幸せだったな。
結婚して関係がこじれてからも、カウンターに座るときだけは、当時の自分に戻った気がした。


地元に戻ってきてから、コーヒー屋の店主となった友人に再会した。
最初は遠慮して端っこの席に座っていたのだけど、だんだんと心を開けるようになり、そのうちカウンター席が定位置となった。
焙煎士でもある彼は、自慢のコーヒーをワイングラスに注いでくれる。
ゆっくりゆっくり、コーヒーを飲み終えるまでの時間、カウンター越しにいろいろな話をした。
心すさんだ私の、数少ない癒しの時間。

就職が決まり、もうそれまでのようにゆっくりとお店を訪ねることができなくなるとなった最後の日も、私はその店のカウンターに座った。
このカウンターで話せてよかったよ、とは照れくさくて言えなかったけど、今までのお礼に、いつもは頼まないスイーツを頼んだ。


カウンター越しの距離。
それが私にはちょうど良い。
懸命に働く人たちの動きを見るのも、恋焦がれるのも、高校の教室で隣の席にいたときにはほとんど話さなかった友人と、向かい合って話すのも。
カウンターの隔たりで、自分の場所を守って関わるくらいがちょうど良いのだ。

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