虹

虹を渡ってきた息子

今朝、Facebookが1年前の投稿を教えてくれた。

能登半島七尾市。
雨ばかりふるあの街に暮らしていたころ、人生で一番くっきりと架かった虹を見たこと。始まりから終わりまで、それはもう見事なアーチが目の前の広い空に架かっていた。

「いい日になった」とコメントを添えて、大きな虹の写真を投稿していた。

あれは、人生で初めて産婦人科を受診した帰り道。
すなわち、息子がいる人生の始まりの1日だった。まだ数ミリの胎嚢しかみえないエコー写真をカバンにひそませ、ざわめく心で見上げた空。
その景色が忘れられず、のちにわたしは、あの感動を息子の名前に忍ばせたのだ。彼は虹を渡ってやってきた。

あれから1年。8か月の妊婦生活と4か月の子育て。

妊娠した身体は、自分でも戸惑うほどの変化の連続だった。
妊娠してるけど私は大丈夫! 仕事は続ける、夜のバイトも。なんなら再来週漁船に乗せてもらおうかなー、せっかく冬の能登にいるんだし。
なんて思っていたのは、妊娠が判明してから1週間ほど。

目まぐるしく変化する自分の身体に、ついていけないのは自分自身だった。
今思えば、身体のなかで命を育てているのだから、ましてや妊娠初期なんて、赤ちゃんの身体を作り出す最も変化の大きい時期なのだから当たり前である。
しかし、当時の私は、妊娠したことによる自分の変化に戸惑い、今まで通りではなくなってしまった身体と向き合うことが精神的にもつらかった。
食欲は落ち、気分がふさぎ込み、ぼーっとすることが増えた。それを妊娠期間を通じて回復することはなかった。

ちなみに妊娠中、初期のツワリは言わずもがなであるが、私の場合7,8か月ごろから出産までの、体内の圧迫感もなかなかにつらかった。
身長143センチメートルと小柄な体型もあってか、常に胃やら肺やら心臓やら、子宮以外の臓器が常に圧迫され、座っているだけで息が苦しいとういう状態。
私はお腹があまり出ない妊婦だったが、その分息子は私の体内へ向かってのびのびと成長していたと推測される。
そんな状態が2,3か月続いた。口癖は「妊婦、生きているだけで疲れる」。

妊娠期間中、身体的につらかったことBEST3をあげるとすると
1.妊娠初期のツワリ
2.妊娠後期の圧迫感
3.妊娠中期のノロウイルス
となるから、総じて妊婦はいつも大変である。ちなみにノロウイルスでは下痢と嘔吐と高熱が1週間続いた。

そして言わずもがなの出産(安産ではあった)、新生児育児という洗礼、永遠の抱っこ期間、一通りのおっぱいトラブルとエンドレス寝不足を経て、先日息子は4か月を迎えた。

身体的にも、精神的にも、つらいことはたくさんあった。たくさん悩んでたくさん泣いた。眠れぬ夜を何度も越えた。

だけどそれと同じくらい、それ以上に幸せなことがたくさんあった。

少しずつ大きくなるお腹。みるたびに人の形になっていくエコー写真。お腹の上から見えるほどに動く胎動。大きなおなかを抱えていろんな景色を見に行ったこと。夫と2人で過ごした最後の日々。

元気な産声。くちゃくちゃな顔。小さな小さな赤ちゃん。

生きているということ。おっぱいがうまく飲めるようになった。じっと私を見つめる瞳。笑った。自分の手を見つけた。手を伸ばした。ものをつかんだ。首が持ち上がった。

今、息子は毎日成長し、できることが増え、新しいことができるたび嬉しそうに笑う。
私も一緒になって嬉しくなる。たくさん笑って、たくさんほめて、ちょぴっと泣く。息子の成長がほんの少し寂しい。
だけどこのさみしさもまた、幸せである。

あの辛さも、あの幸せも、この辛さも、この幸せも、全部息子が持ってきた。虹の向こうから抱えてきた。

この先続いていく息子と私の生きる道、その始まりはあの虹だった。それをわたしはずっと忘れない。彼の名前を呼ぶたびに、そこにあの虹が架かる。私だけが知っている、私たち家族の始まりの一日。

今はただ、息子と過ごしたかけがえのない1年を慈しむ。
今夜もまた、彼の寝顔に幸せを願う。

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