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夏至

最近の朝は 悪夢からはっとして 目が覚める

ソラニンという映画で、車を運転してそのままふと突進して死んでしまう場面がある。そのワンシーンをそのままに、運転席には私の知っている顔がいる。

ばっと起きて、ああ、夢だった、と思う。
夢でよかった、と、思う。
ふれてふれて、ここにいてくれ、と、それだけ思う。


夢は潜在意識、みたいな話って本当かな

夢じゃなくても、そもそも潜在意識って、なんなんだろうか
それはじぶんであるのだろうか わたしのこころなのだろうか

思ってもないこと、を、人は言えるのだろうか。


心の底でおもっていることを 思いたくないときってどうしてますか。

私は、自分で自分を洗脳してでも思いたくないことを どうやら潜在的に思っているようです

それが口に出た時、ものすごく怒らせて、傷つけて、一番したいことの真逆に事は進みます。自分のことばひとつで、一番引かれたくない一線を引かれた、大切な物を割らせてしまった、ひとつ、ひとつ、自分が積み上げたものを自分の足で蹴ったかのように、一瞬で。一番大切な人に、頼ることが誰より苦手なあの人に頼ってもらうために自分がしっかりしたいのにその前に自分のことを心配して今日は泣いた?。信じられない。私は一体なにを謝らせてしまっているのか、どんな最悪な方向に空気を塗り替えているのか、私は。そう思った次の瞬間には、それを錯覚だ、と冷静に教えてくれた人がいました。助かった


文章を書く気分なわけがありません
写真する気分にも掃除や洗濯をする気分にもなれるわけがない
ましてや自分をお風呂であたためたり、食事をとったり

気持ち悪い、考えただけで吐き気とめまいが止まらない

そうなる度に、でもそんなわけないよね、と自分を笑ってやった

だって一緒に食べたご飯は舌の上でおいしかったんだもの、今日先ほどまでよく眠っていたんだもの、心が疲弊しているだけで身体は元気に決まっているなと思う度に、その症状はどこかへ行った

悲劇の主人公や脇役を勝手に描いてるのもまた自分である
それだけが今日の私の冷静な部分で、なんども急にサーっと俯瞰できた時、身体は立ち上がって掃除をし、洗濯をし、お風呂をためた


どんな嫌なこと言われても思われても傷ついても辛くても今これだけしかできなくても、もう生活だけでもできてるならすごくない?普通にすごいぞ自分




こんな文章を書いて誰かを不快にしたらどうしようとか、心配かけたらどうしようとか、今この瞬間もおもっているけれど、それでも書いておきたいと思います。明日起きたらきっとない今のこころのうちを、わたしは作品にできるということを、ここできちんと確かめておこうと思います



私が今、毎日中心に向き合っている、どの人の緊急連絡先の中にも私はいない、逆も然り

血が繋がってなくてももう家族なんて言葉だけで、だれかが、どこかで一大事があっても、私はいち早く知ることはできない。

もし私がここで倒れてもだれも気づかず、遠くの家族の方が先に連絡がいくのかな

彼が今、ソラニンになったって、多分誰も教えてくれないんだな

そのことだけでも狂えそうです


ただ、ずっといまが続くとも思っていなくて
なにかをあきらめたわけでもないです

それに今日という一日の中にも素晴らしい瞬間があったのだと思います
私は、それを知っているのだと思います

風鈴を、つけてよかった
うるさいくらいにきれいな音がなんども外の風を教えてくれました

彼が、猫に可愛い、といって笑いました
ふつうのことが、今日も起きたな、と思いました


自分たちの一番したいことを考えて考えて頭を悩ますネックになってしまっている、という事実を自分たちで悲しみ、今日はもう考えられないかもしれないと思っていたら、とある人から電話がかかってきて

私たちがなんども諦めたくなったり逃げ出したくなっていたチャンスは広がりました

その人は

一分の会話で、元気?の次に元気じゃないといった私に何も聞かずに
がんばろう、ということばをくれました

がんばろうって嬉しいな

無理はしないでねとか、自分を大切にね、とか、普段近しい人に自分が山ほどかけていて、周りからも最近特にかけてもらえるそのことばの、何倍も、何倍も、嬉しかったな



わたしは、今また個展のことを考えています

いけそう!と思ってすぐ書けない、と凹み、間に合わない、と焦ります

でも泣きすぎて冴えた目を擦って、また自分を笑って書き出すと思います


きのうまでにとった写真を編集し、ギャラリーに連絡をし、ものがたりを書いて眠ります

できるかな、どれもは無理だろうけどな、きっと


いまできることがあるのは、今日起きたすべてのことがあったからかなと思います
すごいことです

生きてるだけで偉いなんて言葉聞き飽きてうんざりで、でも、すごいことです、わたしが今日もここにいて、あの人があそこで生きていて、だから生きている人がいて、そのまた向こうで生きている人がいるなんて。こわいくらいにすごいや。


いつの日か、
「ヨーロッパの陰鬱な気候と人間関係の渦で吐き散らしながら制作をしたい!」なんて明るく言った自分へ

その地獄ぶりより何故か上にカッコ良さを見出した自分へ

おめでとう、ひと足早く、理想の芸術家像、叶ってるぞ



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