「良い人」、「忙しい」という名の幻想

「だってすごく親身になって話を聞いてくれるし、話しやすいし「良い人」ですよね」という言葉をよく耳にする。耳障りは悪くないが、注意した方が良い。個人的には困っている人がいれば手を差し伸べたいと思うし、何かに向かって頑張っているのであれば、それを応援したいのが当然だと思っている。そんな性格のボクは、そこそこの人脈、知識、経験を持っているので、何かと相談される事や頼られる事が多い。

しかし、それに応えるのはいいだけど、あまりにも恩を仇で返す人が多いなぁと思う。自分の都合が悪い時だけ相談に乗ってほしかったり、金をたかってきたりとすり寄ってきて、自分の出来る範囲でそれに応えてあげると、その瞬間は満面の笑みで喜んでいる訳ですよ。
後になって、ボクの方から「この人はこの知識に長けているから意見が欲しいなぁ」とか、「何となく悩んでいる事を相談してみようかなぁ」と思って話しかけようとすると、かなりの確率で軽くあしらわれるw(理由は大概「忙しいから」というパワーワード)

それを聞くと、交友関係を切ってしまおうって考えちゃうんだよね。「お前の器量が足りない」と言われればそうかもしれないし、「見返りを求めてはいけない」と言われても、そうかもしれない。ボクとしては軽く聞いてみようかなって感じなので、「見返り」という意識ではないんですがね。少し前に彫師さんが「知り合いがたくさんいるのは良い事だね。俺なんて、1人の仕事だし、たくさんのお客さんと絡むこともないから、寧ろ意図的に人脈を少なくしていってるよ」と話していた。今になってその考えが本当によくわかる。

ネットも助長して、気軽に誰とでもお話が出来るようになった。しかし、気軽にその縁を切れるようにもなったと言っても大きく間違えていない気がする。ネットでの人間関係の悩みほど、面倒くさいものは無いからね。

今の世の中は「余計なおせっかい」はいらないみたい(昔からそうか)。ボクはこのnoteが出来るだけ人目に触れない事を切に願っておりますw

あと、ボクは「忙しい」という単語をあえて使わないようにしている。物理的にやる事がたくさんあるかもしれないが、「忙しい」とは表現しない。「心」を「亡くす」程の状態であるのかと言われれば、そうではないと思うからね。簡単に「忙しい」という人は、ボクに対して、文字通り心が亡い状態なのでしょうね。


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