煩悩(34)突然すみませんですが、私を一人にして
こんばんは。花輪です。
咳だけが治らず、喘息になってしまいました。
夜にゴホゴホすると、たしかに『咳をしても一人』だな、と思います。
有名な自由律俳句、尾崎放哉です。
以前から再三かいておりますが、私は寂しがり屋です。
そして、ベタベタに甘えて育った一人っ子です。
寂しがり屋なので、基本的に人がまわりにいる環境を好みます。
人と一緒に過ごすのは楽しいし、楽しいし、楽しい。
あと、自分がいてもいなくても同じ感覚。
そういった意味で、人といるのは安心できます。
すごく嫌なことをさらりと言いました。
別にいいんです、自分がいなくても。
ただ、自分なしでまわってくれる世界がある方が
楽に生きられるというだけの話です。
これは、すごくやる気のないように聞こえますし、
まわりに寄りかかっているようにも聞こえます。
大正解です。
ここまで他力本願な考えがでる自分に嫌悪したこともありますが、
これが正しい声な気がします。
そして、一人っ子なので、ひとりでも平気です。
「ひとりになりたいな」という時が突然やってきます。
なんというか、兄弟のいる人の「ひとりがいい」という言葉と
一人っ子の「ひとりがいい」の言葉には、少し温度差を感じます。
どちらがいいという訳ではありません。
あくまでも違いの話です。
兄弟のいる人の「ひとりがいい」には、ある種の切実さがあります。
クールでありながら熱い、自分の意思を感じます。
私(一人っ子くくりには大きすぎる気もしてきました)の「ひとりがいい」には冷えしかありません。どちらかと言えば「何もしたくない」「何も言わないで」「何をしようと私の勝手」という自暴自棄な気持ちが強いのです。
私の場合、みんなと一緒にいるときには舵取りを任せ、
ひとりのときは浮き輪でぷかぷか浮かんでいるだけ。
他人の舵取りに違和感を覚えたら、浮き輪を取り出すような感覚です。
お前のオールを任せっぱなしな訳です。
はい、ここで5年目の彼氏がカットインしてきます。やほ。
たぶん、そこらへんの感覚が理解されなかったのでしょうね。
当たり前です、彼は立派な兄でしたから。
たしかに自分勝手なところや頑固なところもありましたが、
妹のために自分の意見を押し殺し、他人のために動くことが
どこか習慣づいている人でした。
結局、私は自分可愛いでしかないんです。
他人は二の次になってしまうのでしょう。
これ以上ないほど醜いですね。
それでも、いい子でいたい、なりたい、嫌われたくない。
だから「いい子」のモノマネをしつづけていました。
醜い上に足掻きはじめました。
救いようがありませんね。
でも、でもね。
自分にあまい私は、救いを求めて逃げるのです。
「いい子」のモノマネをつづけられたら、
この醜い私を隠すことができたら、
私の何倍もやさしい友人たちに囲まれていたら、
愛を、優しさを、光を、音を、言葉を、
こんな私が求めても許されるのではないか、と。
咳が止まりません。
喉の痛みからか、涙が出てきました。
水分補給をしてから、眠ることにしましょう。
にこやかに、中指を。
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