煩悩(7)J(自己承認)Y(欲求の)K(塊)と気づく

会いたかった~会いたかった~会いたかった~イエス!

……という茶番はさておき、本日は「自己承認欲求」についてです。この記事における自己承認欲求とは「自分が『頑張った』『えらかった』『すごかった』ことについて、何の嫌味も言わずに聞いた後に『えらい』と言ってもらうこと」を指します。

もうこの時点でお気づきかもしれませんが、私はめちゃくちゃ自信のない人間です。中身も空っぽです。堂々として見えるなら、それは虚勢です。一枚皮をはがせば、そこにはドス黒い嫉妬と不安がいっぱい詰まっています。

5年目の彼氏と付き合う前、私はこの自己承認欲求を満たすために、小学校からの親友にいわゆる自慢話をしていました。彼女は仏だったので、素直に褒めて「えらいね」と言ってくれました(本心ではそう思ってなかった可能性もありますが、そこまで考えるとさすがに疑心暗鬼になりそうなので、ここでは見なかったふりをします)

5年目の彼氏にその親友の話をしたら「友情クラッシャー」と返されました。結構ショックを受けたのを憶えています。同時に「俺にいえばいいじゃん」と言われた時、神さまに見えました。そのときの彼は、私がこんな酷い有様だとは知らなかったと思いますが。申し訳なかった。

いつだって認めてもらいたい、他人と比べて「いい子」でありたい、「頑張った」と褒めてほしい、そんな感情で出来上がったのが私です。親の名誉のために先に申し上げますが、私の両親は多大な愛情をもって接してくれました。もちろん、褒めてもくれました。

おそらく私は、無償の愛をもって存在を認めてくれる「親」ではなく、私と同じ一個体として存在している「血縁関係のない他人」に褒められることに快感を覚えていたのだと思います。ものすごく我儘な人間です。

5年目の彼氏と付き合ってからは、ずっと彼に「私が頑張った話」をしていました。彼からしてみると迷惑千万ですが、本当にずっっっと聞いてくれました。褒めてくれました。今だからこそ涙が出そうです。

いや、バカな話です。自分で自分を認められない人間が「何様のつもりで他人に一丁前に自慢してやがるんだ、このカボチャ頭」って感じです。さらに難ありなのが、他人の自慢を聞いてしまうと「嫉妬」の感情に生まれ変わってしまうことでした。

あまりにも桁違いだったり、フィールドが異なっていたりすると軽減されるのですが、彼の自慢を聞いて「嫉妬」になってしまったことも少なくありません。我儘なばかりか、心も狭かったようです。

この煩悩の供養として努力すべきは、まず自信をもつこと。他人の評価を頼りにせず、自分でしっかり地面に根を張ること。どれだけ自分勝手な人間かをはっきり知れたのは、彼と別れて「自己承認欲求」の相手を失ってからでした。

J(自己承認)Y(欲求の)K(塊)、卒業します!

余談ですが、この煩悩が果たして「別れて後悔したこと」に繋がるのか不安になってきました。読み直してみると「交際を引きずっていること」や「交際中の自分の失態」など、ごちゃまぜです。

除夜の鐘、すでに音が外れてきています。乞うご期待。

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