煩悩(18)お互いに求める「価値」の変化

目の前をたくさんの人が通りすぎる中、涼しいカフェで原稿を書いています。隣駅でイベントがあったんでしょう。この温度差はよくあることです。

さて、お互いに求める「価値」ということですが。あなたは、彼氏に何を求めますか。もしかしたらそれが友人の延長かもしれませんし、ガッツリ男女でしか味わえないものかもしれません。

もちろん、それが一貫して殆ど変らない人もいます。5年目の彼氏もその類でした。直接彼に聞いたことはありませんが、たぶん一緒にいてラクなところがよかったのでしょう。

いつだったか、彼を待っている間に彼の犬と戯れていたこともあります。ある意味、家族並みに扱われていました。

厄介なのは、私のようにコロコロと変わる人です。いや、でもこればかりは私だけではないと思いたい。

付き合う前、私の彼に求める「価値」は、二人で一緒に話していておかしくない関係性でした。学生生活において体育会系という点以外、すがすがしいほどに何の接点もない私たちは二人で話しているだけで「え、なにあの二人」となりかねませんでした。

自然に話せないのなら、話せる関係になってやろう! という極めて原始的な考えの結果、付き合うことになりました。

そのうち、話すことが普通になってくると「あれ、これ私じゃなくてもよいんじゃない?」と思ってきました。そう考えた私が、次に彼に求めたのは「私じゃないとダメなポジション」でした。

いや、そもそも彼女じゃん、と思われるでしょう。

でも、聞いてください。

5年も経つと、好きという感情以外の「何か」を求めてしまいます。うまく言語化できている自信はありませんが、いわゆる男女のソレの相性か、漫才並みに噛み合う話のリズムか、共通の趣味でのパートナーか、それは様々です。

私の場合、その「何か」がないことに不満を感じていました。正直、私でなくてもいいのでは、と思うこともよくありましたし、「これ、生物学上の女であれば誰でもいいじゃん」と考えたこともあります。

会えばお互いの近況を話して、男女のソレをして、ご飯を食べる。ただの都合のいい女のように感じることもしばしば。

これ、私じゃなくてもいいんじゃない?

思いませんか? 私だけですか?

高望みだったのか、普通なのか、まだ答えは出ていません。ただ言えるのが、私の独りよがりだったことです。

私の価値観があるように、5年目の彼氏にも価値観があったはず。それを否定する形で彼にだけ「ポジションをくれ!」というのは無茶な話です。

一緒にいる時間が長くなると、なあなあになってしまう。それは良く、本当に身に染みてわかります。でも、彼が何を求めているか、その方向性は自分の求めるカップル像と離れていないか、しっかり確認することが大切です。

これは予測でしかありませんが、こういった価値観の波を乗り越えて「結婚」に至るんだろうと思います。その決め手がなかったということでしょう。

せっかく長い年月お付き合いができる仲であるのなら、乗り越えられなくてもその波に乗ることに躊躇わないでもらいたいと思います。

ただ湖に浮かぶ5年を過ごした、私のイチ意見でした。

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