煩悩(21)マジ、愛って偽善じゃね?

タイトルがめちゃくちゃ頭わるい。こんばんちは、来年から兼業ライターになりそうな花輪です。いや、まだ全然わからないけれど。

彼と別れてから一年が過ぎ、完全に抜け殻状態。巷でウワサの「恋に恋する」状態を切実に感じています。

私は基本的に人が大好きなので、誰かに愛情を注ぐことで幸せを感じます。この世に生を受けてから5年目の彼氏と別れるまで、慎ましくも愛し愛される人生を送りたいと思っていました。

しかし、私は気づいてしまった。

もしかすると、この考えは単なる「自己満足」なのでは? 偽善的な「愛」なのか? 自分が愛されたいから、愛しているだけ?

単純なくせに頭でっかち。石橋を叩いて叩き割り、結局渡れずじまいの私。

そんな私が5年目の彼氏を好きになってまがりなりに愛し愛された結果、得たのがこんな感情です。

あまり人には言えませんでしたが、「彼氏ほしい」と言いつつも「偽善……偽善……」と頭でグワングワンしていました。

愛とか恋とか、もうよくわからん! と、心の中で思いながら「男性をカテゴライズしよう☆」「浮気しないカレの特徴」とか書いている始末。我ながら最低のライターだったと反省しています。

忙しさとはまた別に、筆(キーボード)が進まない(カタカタ、ッターンできない)時期がありました。「愛が偽善」まで考えが至ると、世紀末です。

そんなとき、私の友人に彼氏ができました。それはもうナンヤカンヤ紆余曲折あったのですが、様々な意味で私がすごく信頼している二人(彼氏とも知り合いです)が結ばれて本当に嬉しく、心から満たされた思いになりました。

そんなときに「あ、これ、偽善じゃないわ」と感じました。

すごく単純な話だったのですが、人から「愛されたい」という感情、人を「愛したい」という感情、この二つはコインの裏表に見せかけてまったくの別物。

「愛したい」「愛されたい」の欲求が合致した二人が結ばれ、その姿を傍からみて「愛されたい!」と感じることはあります。しかし、それが自分の「愛したい」の感情を生み出すエネルギーにはなりません。

私と5年目の彼氏の場合、両方の欲求がぶっ飛んでいました。私は彼が大好きでしたし、その反動で「愛されたい」と思っていた……と思っていました。しかし、これはただ、私が彼と本当に結ばれたいと思ったからだったんです。

少しズレが生じてしまい別れてしまいましたが、そういった思いを抱ける人と出会えてよかったと今では思います。

ところで、頭でっかちライターという素晴らしい文句を思いついたので、しばらく仮免から頭でっかちになります。今回もありがとうございました。

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