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透明な青さにもたれかかって、私たちはからいジンジャーエールを飲む。


「高校時代の私たち、マジで勉強だけだったじゃん。なんかもっと青春っぽいこと、しておけばよかったなあと思うことめっちゃある」「特進だったからしゃあないよね。土日も学校で模試受けてたもんな、夏休み2週間しかなかったしな」「それな、ほんとそれ」

居心地のいい地元オブ地元のカフェで、お互い、大きなソファにもたれながら彼女はため息を吐き、私は笑った。コロナ対策で少しだけ開けられた窓から風が吹きこむのを、きもちがいい、と呟く。陽射しは夏の盛りだったけれど、風だけはすでに秋の匂いがしている。

私たちが進学した特進コースは「塾へ通わずに国公立へ進学する」を教育理念……教育理念か? もとい、事業目標に掲げていて、1年生のころからほぼほぼ週7日登校だった。週7日登校とはおもしろい言葉である、つまり、土日関係なく部活動よろしく学校へ行き勉強していた、ということだ。土日は授業ではなく模擬模試か、模試だった。模擬模試というのもふしぎな言葉だ。全国模試のために学内模試があったのである。

長期休暇は、宿題、補習、夏季・冬季講習の他に、勉強合宿があった。携帯の電波すら届かない僻地で缶詰にされたり、大雪で停電したホテルでこれまた缶詰にされたりした。修学旅行も「学を修めると書いて修学旅行」という清く正しい理念のもと、関西の名門大学を見学する、というわけのわからない旅程を組まれていた私たちである。半日のUSJすら許されなかった。上の学年も下の学年も、沖縄だったか北海道だったかが修学旅行先だったので、理不尽極まりない! と、当時は大ブーイングだったと思う。

部活動との両立すら困難な状況で、泣きながら辞めている子を何人も見た記憶がある。私たちは、勉強しかしていなかった。そのとおり。

恋も、おしゃれも、なんにもない。

勉強が好きだった私と、そうでもなかった彼女との間には、100%の共感があるわけじゃないのはわかっていたけど、事実としてはそのとおりだ。


「うちのクラスは仲良かったからまあ楽しかったほうだと思うけどさ」「そっちに比べればけんかは多かったかもだけど、ちゃんと楽しかったよ」「文系は派手な子多かったから怖いイメージしかない」「さよけ」「でも私もほとんど文系みたいなもんだったし、理系の授業つらかったからどっちがいいとも言えないかあ」

とりあえず青春、共学のような青春のきらきら感がなあ、ないんだよなあ、ひたすら遠い目をするので笑ってしまう。共学へ進学したからといってきらきらした学生生活が待っていたとは限らないし、私たちのような勉強漬けの特進コースでも彼氏がいる子はいたわけなので、環境に制限があった事実はそれとして、結局のところ「どういう学生生活を送りたかったか」という意識の問題もあったのではないかとも思う。半々くらいかなあ。んー、やっぱり3:1にしておくか。環境の差が大きいのは確かで、それは、私たちにはどうしようもないことだったろう。

そう思いながら、窓枠に寄りかかってだらだらとしていた身体を起こす。メニューを取る。暑いから咽喉が渇く。

「ハニーレモンソーダ読もうよ、青春きらっきらだよ三浦界くん最高だよ推すよ」「やだ」「なんで」「顔の半分が目になってるああいう絵にもう堪えられないしそもそも少女漫画の主人公になれるくらいかわいい子がいじめられるとか非現実的すぎる、全然陰キャじゃない」「それ言い出したら世の中の大半の少女漫画は成立しないな、ねえジンジャーエール頼んでもい?」「あ、私も飲む、飲みたい」

気の置けない友人との会話は、だいたい、至極どうでもいいことだけで構成されている。どうでもいい、マジで私たちの会話はとてもどうでもいい、そのどうでもいいばか話が、私たちは好きだった。ああしたかったとかこうしたかったとか、益体もないことばっかり。戻れない季節を回顧したところで、夏風にさらわれた端から忘れてしまうようなことだ。

ピンポーン。


「ジンジャーエール、ふたつください」「ジンジャーエールおふたつで」「で、いいんだよね、他になんかいる?」「いい」「お願いします」「はい、かしこまりました」

「お待たせしました、ジンジャーエールと、お茶請けのクッキーです」「ありがとうございます」

「うえっ、かっら! めっちゃ生姜! おいしい! けど、ジンジャーエールすぎる」「ジンジャーエールの中のジンジャーエールって感じ」「私ふつうにカナダドライを想定していた……マジのジンジャーエールだった……脳がバグる」「生姜やね」「せやな」「からいね」「からい」「夏だね」「夏だなあ……」「ねえクッキーどっち食べる?」「んん? 両方食べていいよ、私おなかいっぱい」「マジで?」「うん」

彼女がクッキーに手を伸ばす。私は、からい、と繰り返しながらジンジャーエールを飲む。咽喉が熱くなってきて、再び姿勢悪く窓にもたれた。陽が傾き始めて、いっそう、風が涼しく感じる。すうすうと首筋を撫でる。

「相変わらずあんすた?」「まあね、あとA3。でもやっぱりゲームより舞台だなあ、コロナが憎い」「ツイステは?」「私はしてない、してるんだ?」「いちおー。しかし男性キャラに興味薄な私はそろそろ飽き始めている……」「おい」「かわいい女の子を愛でていたいこの人生」「ツイステは何寮推しなの?」「蛸、あとサバナ」「蛸?」

彼女が、スマホをいじって検索し始める。オクタヴィネルだよ、と教える。

「アースラんとこ」「どれだよ、ディズニーに置き換えないでくれ」「青いやつ」「これ?」「それはディアソムニアだわ、マレフィセント。じゃなくて海っぽいやつ」「あ、これ」「それ。双子が好きでさあ、特にジェイドは最高に性格悪すぎて好きなんだよねえぇ」「ほんと昔から性格悪い男が好きだよね、ぶれない」

ぶれないなこれだけは、性癖だからね、私は笑う。高校時代に「性格が歪んでいる人間にめちゃくちゃ萌える」と私が熱弁したことを、いまでも引き合いに出される。市街地のど真ん中、地元一混雑していたマクドナルドのざわめきが、容易く耳朶に甦る。座る席もだいたい決まっていて、店員に目配せされながら、まだ食べてますよーというポーズをするのだ。溶けていく氷をストローでちびちび飲んだ。向かいでは、かならず、ここにはいないもうひとりが紙ナプキンなりストローの袋なりを、しゃべりながらビリビリビリビリ破り続けて、ゴミを嵩増ししていた。

本当に大事なことなんか何も話していなかった。テストの成績も、進路相談すらしない。そういうことは、お互い他の友人に明かした。あのころも、ずっとどうでもいいことばかりだった。昔とちがうのは、100円かそこらのマックのジュースを買って、溶けた氷を飲んで、時間をやり過ごしているのではないこと。ポットで600円の紅茶を飲んだら、600円のジンジャーエールをおかわりするだけの大人になったこと。

「多部ちゃん帰ってこないかなあ」「いつ帰ってこられるだろね、てか元気かな」「関東はコロナこわいしねえ」「子どものことで大変かなあと思ってLINEできてないんだよね」「私も」

会いたいね、とどちらともなく呟く。カラン、と氷が鳴る。吸い上げたジンジャーエールはからかった。

「まだ出産祝いしてないもんね」「お祝いしなきゃね」「それな、乾杯したいよね」


勉強しかしていなかったけど、10年経ってもつかず離れず一緒にいる。あのころの私たちは確かに、真っ青に染まってきらっきらな陽射しがさんざめく、鮮烈な青春ではなかったかもしれない。少女漫画じみたときめきとは無縁だった、カナダドライのさわやかなジンジャーエールより、生姜たっぷりの滋養満点手づくりジンジャーエールみたいな夏。教科書と参考書の詰まった重たいスクールバッグをずるずると引きずり、毎朝、急勾配の坂道をのぼる。どこへ行ってもみんなで楽しくお勉強。からいけどおいしい。おいしいけどからい。そんな3年間。炭酸水を逆さに振っても、Mrs.GREEN APPLEが歌う「青と夏」の世界が吹き出したりはしなかった。たぶん。

一方で、目を灼くほどに濃く色づかなかったから私たちは続いてきた、とも思う。誰とけんかしたって、成績が伸び悩んだって、大学生になって恋人と関係を拗らせ、社会に出て仕事がうまくいかなくなっても、どうでもよくたわいのない時間に、私たちはいつだってまどろんできたのだ。

透明な青さに、許されてきた。


「本当はもっと青春したかったとか恥ずかしくて言えない」「そか」「けいちゃんと多部ちゃんは、どうせ3秒後に忘れるから言える」「おい」「劣等感とか不安とか、果てしない愚痴とか、ここだから言える」「うちらどうでもいいことしか話さないからね、すぐ話変わるしゴミつくってるしね」「まじめに聞いてくれてるけど重くならない謎の安心感ね」

そろそろ帰ろうか。
そだね。


カランカランと、カフェのドアが鐘を鳴らす。ありがとうございましたー、と店員さんの声が向こう側へ消えるのに覆い被さって、あっつい! と声を上げた。涼しくなった気がしたけど、まだ全然、夏のど真ん中だ。

短い影を背負って、駐車場を歩く。

「やっぱりあついねー」「うん。ねえ会えてよかった」「ほんとに。もう会えないかと思ったわ、コロナつら」「また会おうね」「お互い元気で。次もどうでもいいことを話そう」「ソレ」

じゃあね。あっさりと手を振って、それぞれ自分の車に乗る。ここにいないひとりも含めて3人とも、昔から遅刻なんてザラだった。他の友人を優先することも、当たり前だった。私たちは自分のタイミングで集まって、自分の帰りたい道を帰る。それでも「会えてよかった」と「また会おう」の約束に、ふしぎとなんの躊躇もしない。私たちは、お互いの存在に「今しかない」なんて言わない。あのころも、今も、これからも。透明な青さにもたれかかって、どうでもいいことを紡ぎながらゆるやかに交わる。

窓を全開にして、ハンドルを握る。今日も楽しかった。目端で彼女を見送りながら、思う。なんにも特別じゃないから、特別なのだと。


こんなのを「青春」と名づけたっていいだろ、なあ。


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