今日の体重(ふたりだけの放課)#48
86.3kg
小さいころ、家から少し離れたところにある保育園に通っていた。姉がそこに通っていたからで、生まれて数ヶ月で通い始めた。
小学校は地元のところに通ったため、友だちがほとんどいなかった。唯一、A子が保育園からの友だちだった。
A子はいつも鼻をたらしていて、よく泣くし、人見知りなところがあった。同じ団地に住んでいたから、そういう意味でもぼくらは近しい存在だった。
ぼくは小学校に入りたてのころ、放課の時間(名古屋特有の言い方らしいですね、授業と授業の合間のことです)になるとA子と遊んでいた。
ドッヂボールの仲間に入ることもできなかったので、A子とガタついた傘立ての両端に乗りながらシーソーのようにして遊ぶことくらいしかできなかった。
そのうち、他の仲間に入ることができて、A子と遊ぶこともなくなったが、小学校四年生でぼくが引っ越すまでA子とは同じクラスだった。
そのときのことを思い出すと、A子に申し訳ないなと思う。まるで、ほったらかしにするように別のグループにいってしまったのだ。
当時、後ろめたいなんていう感情を理解していたかどうか分からないが、A子に悪いことをしているな、という感覚はあって、それでも、後ろを振り向くと仲間に置いていかれそうな気持ちになって、無視するような状態になってしまった。
大きくなって、A子はぼくらが通っていた保育園で保育士として働き始めた。風の噂で知っていたが行く機会がなかった。
A子が結婚を機に保育園を辞め、関東の方に引っ越すことを聞き、会いに行くことにした。
話した時間は5分くらいだったろうか、でも、ひさびさに見たA子は、相変わらずすぐ泣きそうな顔をしていたが、とても可愛く、女性らしくなっていた。
そこでA子をひとり残してしまったことについて聞いてみるなんてことはまったく思いつかず、恥ずかしさが勝って、世間話をして終わった。
A子はなんて答えただろう、そんなことあったっけ、と言うだろうか。そう、あのときすごく心細かったんだよ、と言うだろうか。
そもそも、ぼくに友だちができないから一緒にいてくれたのかもしれない。自分は他の友だちもできていたけど、置いておけなかったかもしれない。たしかに、そういう優しさはふんだんに持った人だった。
どちらにせよ、その数分の会話で終わったぼくらは、それでよかったのかもしれない。
思い出はときとして、そのままにしておくことでもっとも輝きを放つかもしれない。
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