今日の体重(手すりを磨く)#47

85.2kg

初老の男性が電車のドアの前に立っている。スーツ姿ではなく、フランネルのカッターシャツにスラックス、ウィンドブレーカーを羽織っている。

ドア横に着いた縦型の手すりを執拗に指で擦っていた。

手すりは、ドア枠に接地している部分からドア方向に45度傾けて5cmほど突っ張っている。そこから下方向に細く曲がり、太い円柱が伸びて手すりとしての機能を果たしている。

彼は下方向に曲がったフラットな部分を執拗に擦っていた。

分かる、と思った。

ほぼ無意識なのだが、その部分をぴかぴかにしたいと思う、擦り始める、手の脂が伸びる、汚れる、擦る、の繰り返しである。

ときどき、ピカピカのその部分に出会うと、自ら触れて汚さないようにする。

いつからだろう、そんなことを考え始めたのは。

いまや、あまり不特定多数の人が触れる部分にベタベタ手をつけようとはしないが、あるとき、その魅力に出会い、トリコになった。

きっかけは覚えていない。続けてしまっている感情の鳴動は、やりたいわけではなく、やらなければという使命感だと思う。

何回かやるとピカピカになる瞬間がある。気持ちよくなり、それ以上触らない。

ピカピカになる前に降りなければならないときもある。悔しさとともに次の場所へ向かう。

これは、ぼくのなかでだけ行われる秘密の儀式だった。誰かに話したこともないし、むしろ、その行為が終わればその記憶はどっかにいってしまっている。

彼はドアが開くまで、正確に言えばアナウンスで次の駅が近いことを告げられるまで、呆けた顔をしながら目だけはその一点を見つめ、汚れを逃すまいと執拗に親指の腹でこすっていた。

ドアが開くと、彼は小走りにかけていった。それまで我を忘れるくらいある一部分の清掃に勤しんでいたことなど覚えていないだろう。

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